土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

先の大戦を、深く反省した上で導き出される、国家の平和的選択とは。

2015-08-15 10:08:30 | この国を守るために

 

土佐のくじらです。

昨日14日首相官邸にて、「戦後70周年記念談話」が発表となりました。

 

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

この一文は胸を打ちました。

全くもって同感です。

河野談話、村山談話を発表した両氏に、日本の為政者として、この思いはあったのでしょうか?

 

ただ気になる点がいくつかあります。

総じて、「どのようにも解釈ができるような文体である」ということですね。

誰が誰に対して決意しているのか、また決意させようとしているのかが、今ひとつわからないという文言が続きます。

これは恐らく、国内に相当数いると思われる、左翼的史観を推し進めようとしている政治勢力、これは他党のみならず、自民党内にもいると思われる反対勢力に、揚げ足を取られないようにという、政治的妥協の結果であろうと推測されます。

日本の侵略および、従軍慰安婦などの強制性を詫びた、河野・村山両氏の談話から比べると、雲泥の差ではあると思います。

河野・村山談話には、歴史的事実の根拠が全くありません。

反吐が出ます。

しかしこの談話で、果たして日本の誇りが取り戻せたか、また、先の大戦で尊い命を散らせた英霊の方々に、真なる名誉回復がなされたかと言えば、「NO」という他はありません。

首相は、「靖国神社において、これと同様の声明を発表できるか」と言われれば、残念ながらできないでありましょう。

 

そして気になる文言があります。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

この2文です。

 

一見、とても素敵な言葉で綴られた文章です。

それ自体は、とても良いことです。

しかしこれを具体的にどうするのか、また、これは一体誰に向かって発表し、決意し、また決意させるものなのかで、それは全く結論が違ってまいります。

すべては原因あって結果あり。

これは2500年前に、釈尊が喝破した真理です。

真理とは、誰が見ても、どこから見ても、いつ見ても正しい真実です。

この2文は、我々日本人が、きちんと先の大戦を反省しているか否かで、これからの未来を変えてしまうほどの力があるのです。

 

 

先の大戦以前において、日本は孤立しました。

よく言われるのは、「軍部が独走したから、世界から孤立した」と言われるものですが、決してそうではありません。

軍部が独走したのは、孤立化したから独走せざるを得なかったからであって、日本の孤立化は、それ以前から始まっているのですね。

それは歴史を順番に辿っていくならば、そういう結論に達してしまうのです。

つまり、一般的に論じられていることと、原因と結果の順番が違っているのです。

正しい診断なくば、正しい治療はできません。

歴史の反省も同じです。

 

反省とは、懺悔ではありません。

反省とは過去を振り返ることです。

結果がなぜ起こったかを突き止める、つまり原因を探るリサーチ(分析すること)です。

その結果、間違っていることがあれば懺悔すれば良いことで、反省=懺悔ではありません。

平和が良くて、争いを起こしたくないならば、きちんと、原因と結果に照らし合わせて、論理的に情報収集し、分析して原因の結論に達するべきです。

正しい分析に至れば、それは真理です。

真理ならば、原因と結果に整合性が出てまいります。

つまり、つじつまが合うわけですね。

歴史を精査するには、つじつまが合うか否かが、とても重要なのです。

 

 

では、なぜ日本が孤立化したのか。

それは第1次世界大戦終結後に行われた、パリ講和会議において、日本が提案したことから始まっていると思うのが、最もつじつまが合う結論となります。

 

日本が何を提案したか。

それは、「今後は世界から、人種差別をなくしていこうではないか。」という、とても有意義な提案でした。

これは世界で始めて、人種差別の撤廃を訴えた国際的提案であり、それ自体は人類的貢献とも言える内容でした。

しかしそれは、当時の国際的社会背景からすれば、とても都合の悪い提案だったのですね。

なぜならば、世界は植民地主義が横行していたからです。

植民地主義とは、言わば侵略主義・占領主義です。

占領する側は数が少ないので、植民地主義は、人種差別を前提としていたのですね。

でなければ、とてもではないが、大多数の現地人を支配することができないからです。

つまり、当時の日本の素敵な提案は、当時の列強諸国にとっては、とても都合の悪いものだったのですね。

だから、日本は孤立し始めたのです。

 

明治末期ころのアジアの地図

 

第1次世界大戦で、ボロボロだったヨーロッパと比較して戦力に被害のなかった日本は、当時世界では相対的に最も強い国でした。

ですから、植民地大国・・・その後の連合国ですが・・・、彼らは戦略的に日本を弱める方向性で進み、それが日本の孤立化へつながっているわけです。

そして当の日本は、素敵な提言を訴えただけで、「人種差別をなくしていくだけの、具体的な実行力」について、深く言及していたとは思えません。

当時の日本に、「その理想主義的な提言を世界に納得させ、具体的に叶えさせるだけの、覚悟はあったのか!」と言われれば、ひょっとしたらなかったのやも知れませんね。

はっきり申し上げれば、相対的に世界最強国であった第1次世界大戦直後の日本が、

「今後は世界から人種差別をなくしていこう。でなければ日本は、すぐにアジアに軍を進める覚悟がある。」と言えば、それで大東亜共栄圏は成立できたはずなのです。

侵略者というのは、敵わない相手なら撤退しますからね。

なぜならば、侵略というのは、軍事力を使ったビジネスだからです。

日本人にはなかなか理解しがたいものがあると思いますが、ビジネスですから、割の合わないことはやらないのですね。

ですから荒っぽいように見えて、これが最も、平和的解決の具体的な方法となるわけです。

 

さあ、そういった歴史的な背景を踏まえた上で、安倍首相の言葉を見直してみましょう。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

 

これは今、事大主義的軍事拡張路線を引いている中国への行動も、立国以降、チベット・内モンゴル・満州・ウィグルなどを占領してきた中国の行動も、そしてなおかつ、第2次世界大戦の要因ともなった、欧米の植民地占領政策をも、非難しようと思えば非難できる内容となっております。

 

これがどう、国際的な評価を受けるのか。

また世界的に見て、どのような印象をもたれるのかまでは、英語等の文化的解釈に疎い現在の私では、理解し難いものがあります。

ただ理解しておかなければならないのは、一見受けの良さそうな文面であったとて、世界がどのように受け取るか、また世界がそれを、自国の都合の良いとらえるか否かは、全くわからないということです。

 

つまり、現在の日本の世論の妥協点的な、今回の戦後70周年記念談話は、全世界を巻き込んだ、歴史認識戦争の引き金を引く可能性もあるわけですね。

であるならば、首相の言う、

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

を、具体的に、なおかつ現在の中国や、元来侵略的思考を強く持つ欧米諸国にも守らせるだけの覚悟と、具体的な世策が必要かと思うのです。

これが先の大戦を、深く反省した上で導き出される、国家の平和的選択ではないかと私は考えます。

 

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戦後70周年記念首相談話全文 

サンケイニュース http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三

 



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