土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

なぜ秀吉は、キリスト教を迫害したのか。

2013-10-05 09:30:40 | 歴史の読み方

土佐のくじらです。

当ブログの歴史部門では今、豊臣秀吉流の天下布武に焦点を当てております。

天下布武は、信長発案のキャッチフレーズですが、その後の秀吉や家康には、形を変えてこのキャッチフレーズが引き継がれたと思っております。

信長型天下布武が、原理主義的天下布武。
つまり、天下布武というテーマを、いかに成し遂げる組織とし、戦略と戦術を工夫することにあり、

秀吉型は、現実主義的天下布武。
天下布武のための、具体的な天下の取り方の実践例・・・でありましょう。
原理主義的天下布武は、全方位での戦いとなり、泥沼化か全滅の未来となることが、秀吉は見抜いていたと思います。
秀吉が主導権を握った以降は、無茶な戦い、人が多く死ぬような戦いは避け、局地に戦力を集中しての戦いに移行しています。

そして時は流れ、
家康型の、統治としての天下布武・・・と時代は移って行く訳ですね。

さて、秀吉は政権と担当してから、キリスト教を禁教としておりますね。
一方、仏教や神道などは保護対象としております。

信長が、キリスト教を保護したのに対して、比叡山焼き討ちや、長島一向宗を弾圧し、既存仏教勢力に厳しくあたったのと、対照的ですね。
信長が、既存の宗教に厳しかったのは、彼らが武装化したり、独立国家のような振る舞いをしたからでしょうね。

自分に屈服しないものは排除する、信長流天下布武の象徴的な出来事だと思います。
古い体質を壊すために、彼はこういう方法論をとりました。
非常にデジタル(二者択一的)な判断と発想ですね。

一方、秀吉がキリスト教を迫害いたしましたが、当時の日本のクリスチャンが武装化していた形跡はありません。
ですから、信長とは違う理由で宗教を迫害したのは明白ですね。

秀吉は、当時のキリスト教の国際伝道が、その後に来る、国家侵略と密接に結びついているのを見抜いていたのですね。
恐らく信長も見抜いていただろうけれども、信長は時が来るまでは利用していたと思います。
足利将軍家も、ある時までは利用し、邪魔になればポイ(笑)しておりますので、キリスト教も海外の情報収集などに、利用していたのが信長流と考えられます。

この、キリスト教布教→スペイン・ポルトガル軍侵攻の図式で、アステカなどアメリカ大陸諸国が占領されましたし、それだけではなく、フィリピンや東南アジア諸国にも、その触手は伸びておりました。

フィリピン・・・という国名は、この地を訪れたスペイン人たちが、「スペイン国の、フィリペ王子に捧げる。」と言って占領し、命名したことは以前記事にしておりますね。

ではなぜ秀吉は、そのようなキリスト教国の魂胆を、日本国内にいながら、見抜けたのでしょうか?
それは当時既に日本には、東南アジア諸国と、密接な貿易関係が存在したからです。

30年ほど前のNHK大河ドラマで、俳優の松本幸四郎(当時は市川染五郎)さんが、呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)という主人公をやっていましたが、これからわかるとおり、当時は既に、フィリピンやカンボジアなどと十分な交易があり、商業通商ベースでの国際的な情報は、日本に相当入って来ていました。

その後の江戸初期には、東南アジア諸国に、日本人村まであり、日本人の殖民都市まであったほどです。

秀吉はキリスト教自体を、嫌がったりしてはいなかったかも知れません。
処刑されたのは、主に外国人宣教師だけで、国内に多数いたキリスト教信者や大名の存在には、見て見ぬ振りをしていた形跡があります。

ですからこの、キリスト教布教→スペイン・ポルトガル侵攻の図式、侵略システムだけが嫌だったのだと私は思います。

当時の日本は既に、鉄砲の総数で全ヨーロッパを抜き去るという、事実上の、世界一の軍事大国でありました。
鉄砲の大量生産技術を、世界で唯一持ち、100年に及ぶ内戦で鍛えられた武士が、国内に大量に生息し、しかも秀吉の働きで、泥沼の内戦にならずに国内統一を果たしました。

秀吉当時の日本は、遠い国から船でやってくるスペイン・ポルトガル軍にから、軍事的には完全に守りきれる国内体制が、確立されていたのです。

信長・秀吉なくば、そして家康の秀吉との連立なくば、日本は南蛮国家に、占領されていた可能性もあります。
海外からの、直接的な軍事的侵略の可能性はなくとも、国内に手引きする勢力があれば話は別です。

他国の侵略を、招き入れる可能性があるからです。

そういった意味で、秀吉のキリスト教迫害は、たんなる宗教迫害ということではなく、現代でも通じる歴史的意味合いがあると、私は考えます。

私はキリスト教は嫌いではありませんし、イエス・キリストを心から尊敬しております。
しかし、他国を侵略するために、愛国心を失わせるための思想は大嫌いです。

今日本は、中国と対峙する必要があります。
中国は、共産主義(無神論)国家です。

ですから日本が今、最も気をつける必要があるのは、共産主義思想であり、良心的思想の仮面を被った左翼思想であり、反米思想であり無神論です。

私は別に、「迫害せよ。」とか、「処刑せよ。」とかは申しません。
思想信条の自由を、私は心から愛しております。

ただ、手引きされないように、その意図を見抜かなければなりません。
白昼堂々、違法なことができないように、見抜かれれば彼らは何もできません。

                                                 (続く)


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4 コメント

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Unknown ()
2013-10-05 10:51:21
なるほど。
信長 =原理主義的天下布武

秀吉=現実主義的

家康=統治型

ね。

こうやって、みると、よくわかる。

それぞれの役割というか、段階がね。

今まで、こういう形で

信長、秀吉、家康を考えたことはなかった。

新たな歴史の視点をいただいて土佐のくじらさんに

感謝。<(_ _)>

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天下布武=脱戦国だと。 (土佐のくじら)
2013-10-05 11:10:19
英さん、コメントありがとうございます。

信長・秀吉・家康の戦国三傑は、歴史の中では言い尽くされた感があり、私もなかなかやりにくい所がございます。(笑)

ただ、三傑に共通するところは、どれも脱戦国です。
それは、信長の天下布武から来ていると思います。

その根源にはやはり世界が、大航海時代による、植民地の歴史の始まりの時期であったこと、つまり、国防概念があると思うのです。

とかく歴史は、日本史なら日本史、世界史なら世界史という観点から見勝ちですが、現実は世界史の中に日本史があるのですから、大雑把にざっくり見ないと、見えてこない所があると思うのです。

三傑の天下布武の原理や方法論は、どれも力があり、どれも欠点がございます。
今後の日本人が、どの選択をするかが問題です。
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白銀海岸 (いるか)
2013-10-06 09:00:06
秀吉はキリシタン宣教者達やキリシタン大名が中心でやっていた日本人の奴隷売買による資金によっての武器調達にも危惧していたと聞きました。
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コメントありがとうございます。 (土佐のくじら)
2013-10-06 09:55:42
いるかさん、コメントありがとうございます。
おお、そういうこともあったのですか。

勉強になります。

ブログ白銀海岸さんに、寄らせていただきました。

なるほどぉ、硝石が日本では産出できませんものね。
硝石欲しさの人身売買が、この時代にはあったのですね。

それで江戸時代に、トイレの排泄物お幕府が買い取ったのか。

ガッテンです。
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