土佐のくじらです。
当ブログの歴史部門では今、豊臣秀吉流の天下布武に焦点を当てております。
天下布武は、信長発案のキャッチフレーズですが、その後の秀吉や家康には、形を変えてこのキャッチフレーズが引き継がれたと思っております。
信長型天下布武が、原理主義的天下布武。
つまり、天下布武というテーマを、いかに成し遂げる組織とし、戦略と戦術を工夫することにあり、
秀吉型は、現実主義的天下布武。
天下布武のための、具体的な天下の取り方の実践例・・・でありましょう。
原理主義的天下布武は、全方位での戦いとなり、泥沼化か全滅の未来となることが、秀吉は見抜いていたと思います。
秀吉が主導権を握った以降は、無茶な戦い、人が多く死ぬような戦いは避け、局地に戦力を集中しての戦いに移行しています。
そして時は流れ、
家康型の、統治としての天下布武・・・と時代は移って行く訳ですね。
さて、秀吉は政権と担当してから、キリスト教を禁教としておりますね。
一方、仏教や神道などは保護対象としております。
信長が、キリスト教を保護したのに対して、比叡山焼き討ちや、長島一向宗を弾圧し、既存仏教勢力に厳しくあたったのと、対照的ですね。
信長が、既存の宗教に厳しかったのは、彼らが武装化したり、独立国家のような振る舞いをしたからでしょうね。
自分に屈服しないものは排除する、信長流天下布武の象徴的な出来事だと思います。
古い体質を壊すために、彼はこういう方法論をとりました。
非常にデジタル(二者択一的)な判断と発想ですね。
一方、秀吉がキリスト教を迫害いたしましたが、当時の日本のクリスチャンが武装化していた形跡はありません。
ですから、信長とは違う理由で宗教を迫害したのは明白ですね。
秀吉は、当時のキリスト教の国際伝道が、その後に来る、国家侵略と密接に結びついているのを見抜いていたのですね。
恐らく信長も見抜いていただろうけれども、信長は時が来るまでは利用していたと思います。
足利将軍家も、ある時までは利用し、邪魔になればポイ(笑)しておりますので、キリスト教も海外の情報収集などに、利用していたのが信長流と考えられます。
この、キリスト教布教→スペイン・ポルトガル軍侵攻の図式で、アステカなどアメリカ大陸諸国が占領されましたし、それだけではなく、フィリピンや東南アジア諸国にも、その触手は伸びておりました。
フィリピン・・・という国名は、この地を訪れたスペイン人たちが、「スペイン国の、フィリペ王子に捧げる。」と言って占領し、命名したことは以前記事にしておりますね。
ではなぜ秀吉は、そのようなキリスト教国の魂胆を、日本国内にいながら、見抜けたのでしょうか?
それは当時既に日本には、東南アジア諸国と、密接な貿易関係が存在したからです。
30年ほど前のNHK大河ドラマで、俳優の松本幸四郎(当時は市川染五郎)さんが、呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)という主人公をやっていましたが、これからわかるとおり、当時は既に、フィリピンやカンボジアなどと十分な交易があり、商業通商ベースでの国際的な情報は、日本に相当入って来ていました。
その後の江戸初期には、東南アジア諸国に、日本人村まであり、日本人の殖民都市まであったほどです。
秀吉はキリスト教自体を、嫌がったりしてはいなかったかも知れません。
処刑されたのは、主に外国人宣教師だけで、国内に多数いたキリスト教信者や大名の存在には、見て見ぬ振りをしていた形跡があります。
ですからこの、キリスト教布教→スペイン・ポルトガル侵攻の図式、侵略システムだけが嫌だったのだと私は思います。
当時の日本は既に、鉄砲の総数で全ヨーロッパを抜き去るという、事実上の、世界一の軍事大国でありました。
鉄砲の大量生産技術を、世界で唯一持ち、100年に及ぶ内戦で鍛えられた武士が、国内に大量に生息し、しかも秀吉の働きで、泥沼の内戦にならずに国内統一を果たしました。
秀吉当時の日本は、遠い国から船でやってくるスペイン・ポルトガル軍にから、軍事的には完全に守りきれる国内体制が、確立されていたのです。
信長・秀吉なくば、そして家康の秀吉との連立なくば、日本は南蛮国家に、占領されていた可能性もあります。
海外からの、直接的な軍事的侵略の可能性はなくとも、国内に手引きする勢力があれば話は別です。
他国の侵略を、招き入れる可能性があるからです。
そういった意味で、秀吉のキリスト教迫害は、たんなる宗教迫害ということではなく、現代でも通じる歴史的意味合いがあると、私は考えます。
私はキリスト教は嫌いではありませんし、イエス・キリストを心から尊敬しております。
しかし、他国を侵略するために、愛国心を失わせるための思想は大嫌いです。
今日本は、中国と対峙する必要があります。
中国は、共産主義(無神論)国家です。
ですから日本が今、最も気をつける必要があるのは、共産主義思想であり、良心的思想の仮面を被った左翼思想であり、反米思想であり無神論です。
私は別に、「迫害せよ。」とか、「処刑せよ。」とかは申しません。
思想信条の自由を、私は心から愛しております。
ただ、手引きされないように、その意図を見抜かなければなりません。
白昼堂々、違法なことができないように、見抜かれれば彼らは何もできません。
(続く)
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信長 =原理主義的天下布武
秀吉=現実主義的
家康=統治型
ね。
こうやって、みると、よくわかる。
それぞれの役割というか、段階がね。
今まで、こういう形で
信長、秀吉、家康を考えたことはなかった。
新たな歴史の視点をいただいて土佐のくじらさんに
感謝。<(_ _)>
信長・秀吉・家康の戦国三傑は、歴史の中では言い尽くされた感があり、私もなかなかやりにくい所がございます。(笑)
ただ、三傑に共通するところは、どれも脱戦国です。
それは、信長の天下布武から来ていると思います。
その根源にはやはり世界が、大航海時代による、植民地の歴史の始まりの時期であったこと、つまり、国防概念があると思うのです。
とかく歴史は、日本史なら日本史、世界史なら世界史という観点から見勝ちですが、現実は世界史の中に日本史があるのですから、大雑把にざっくり見ないと、見えてこない所があると思うのです。
三傑の天下布武の原理や方法論は、どれも力があり、どれも欠点がございます。
今後の日本人が、どの選択をするかが問題です。
おお、そういうこともあったのですか。
勉強になります。
ブログ白銀海岸さんに、寄らせていただきました。
なるほどぉ、硝石が日本では産出できませんものね。
硝石欲しさの人身売買が、この時代にはあったのですね。
それで江戸時代に、トイレの排泄物お幕府が買い取ったのか。
ガッテンです。