ずいぶん御無沙汰しております。
12/4に父が亡くなり、ばたばたしておりました。実家は岐阜県の田舎町です。
約10年前に心筋梗塞で救急車で運ばれ、ステント、ペースメーカー、5年前からの透析。そして2年前は風邪から呼吸不全になり、一時は今晩が山と言われていたのを持ち直し…今季は風邪を引かないようにと気を付けていたのに、ずいぶん弱っていたので、持ち直すことは困難でした。死因は致死性不整脈。
1年半前から片目が見えなくなり、車の免許を返上したころから急にガクッときた様子でした。去年の10月初め(亡くなる2か月前)には長女の婿さんを紹介して、皆で外食ができたのが最後の親孝行だったかなあ。11/23にも帰って、年賀状を印刷してあげたときには、正月までは大丈夫と思っていました。亡くなる2日前に、苦しそうだからと2年前に私が買って渡しておいたパルスオキシメーターを使ったところ低すぎてエラーが出たらしい。母が自分で測ってみると98%あったので、これはやばいとすぐに救急車を呼んだそうです。病院で酸素を吸い、点滴を打って持ち直したので、大丈夫と思って私を呼びよせるまでしなくて良いと判断したそうです。前日も夕食時までは母が食事をさせ、おかゆをすべて平らげたのを見届けて母は家に帰りました。次の日の朝、急変し、母でさえすでに言葉を交わすことさえできませんでした。
私は12/4は普通に職場に行き、10時頃母からの「危篤」コールを受け、いったん自宅に帰り喪服を持って新幹線に飛び乗り、実家の最寄り駅からレンタカーを借り(マニュアルの軽トラしかなかった)実家へ。もうすでに亡くなり自宅に戻っていた父と対面しました。苦しんだ様子もなく、穏やかな顔をしていました。
亡くなってからが大変。私が到着したときには、親戚一同が集まり、通夜、告別式の相談。私の主人に喪主を頼み、通夜は6日、告別式は7日と決まりました。主人と娘2人には5日に車で来てもらい、5日に納棺の儀。その間にも続々と弔問客が訪れ、その対応に追われるし電話も鳴るし…市議会議員を3期務めたこともあり、現市長と現市議会議員の方が弔辞を読んでくれることになり、83歳にしては派手なお葬式となりました。主人と娘たちには、お香典の名簿作成(住所、電話番号、金額等)を2台のPCでしてもらい、その日のうちに新幹線で帰ってもらいました。レンタカーは返してしまったので、この後の手続きは車がないと何とも不便だからです。
無事、葬式が終わったのもつかの間、次の日は市役所に。色々な手続きがありました。市役所で一覧表をくださったので、それに沿っていろんな課を渡り歩けば良いのですが、一番困ったのは年金事務所。実家から車で片道1時間かかる上に、予約制。しかもいろんな書類を用意しなくてはならない。金曜日1日だけで手続きを終わらせて日曜日には帰る予定でいたのに、それはかないませんでした。年金事務所の予約を何とか月曜日の夕方に入れてもらえたけど、その他にやることがたくさんあったので、結局12/10水曜日まで休ませてもらうことに。
喪中ハガキの印刷(約200枚)両面。お香典をもらった人にもすべて出すというので、PCに入れてもらったデータが役立ちました。平日に来ることがなかなか難しいので、土地等の相続、登記は司法書士に12/9に来てもらって依頼しました。電話、電気、ガス、生命保険、カード会社(水道は市役所内)すべてに電話して、名義変更の手続き。携帯の解約。母一人になったので、私の家族として契約し直しました。銀行は凍結される前にほぼお金をおろして来ていたのでよかったのですが、後から、母の知らない通帳やら株券やら出てきて、それらはまだこれから手続き予定です。これは母にやってもらうしかありません。
49日の法要も12/23の連休に帰省して、手配しました。お寺の住職さんへの確認、案内状の作成、料理屋さん、引き出物…やることがたくさんあるものです。気丈な母ですが、80歳を超えているので事務的な手続きは苦手なようなので、代わりにやるしかないようです。
お正月にも帰省。恒例のおじさんやいとこたちが集合。葬儀屋さんが撮ってくれた写真を見せたり、49日の引き出物に使うお菓子を試食してもらったりしました。49日の法要を自宅で行うので、蛍光灯を買い替えたり、自宅電話が古くなって聞こえにくいというので、買い替えたり忙しく過ごしてきました。
年末年始の忘年会、新年会は忌中のため、すべてキャンセル。テニスの試合も入っていたので、それもキャンセル。1/21に49日の法要をするので、それまではおとなしくする予定です。ごめんなさい、SNSにこんなことを書くわけにもいかず、記録として残しておきたいのでここに書かせていただきました。
12/4に父が亡くなり、ばたばたしておりました。実家は岐阜県の田舎町です。
約10年前に心筋梗塞で救急車で運ばれ、ステント、ペースメーカー、5年前からの透析。そして2年前は風邪から呼吸不全になり、一時は今晩が山と言われていたのを持ち直し…今季は風邪を引かないようにと気を付けていたのに、ずいぶん弱っていたので、持ち直すことは困難でした。死因は致死性不整脈。
1年半前から片目が見えなくなり、車の免許を返上したころから急にガクッときた様子でした。去年の10月初め(亡くなる2か月前)には長女の婿さんを紹介して、皆で外食ができたのが最後の親孝行だったかなあ。11/23にも帰って、年賀状を印刷してあげたときには、正月までは大丈夫と思っていました。亡くなる2日前に、苦しそうだからと2年前に私が買って渡しておいたパルスオキシメーターを使ったところ低すぎてエラーが出たらしい。母が自分で測ってみると98%あったので、これはやばいとすぐに救急車を呼んだそうです。病院で酸素を吸い、点滴を打って持ち直したので、大丈夫と思って私を呼びよせるまでしなくて良いと判断したそうです。前日も夕食時までは母が食事をさせ、おかゆをすべて平らげたのを見届けて母は家に帰りました。次の日の朝、急変し、母でさえすでに言葉を交わすことさえできませんでした。
私は12/4は普通に職場に行き、10時頃母からの「危篤」コールを受け、いったん自宅に帰り喪服を持って新幹線に飛び乗り、実家の最寄り駅からレンタカーを借り(マニュアルの軽トラしかなかった)実家へ。もうすでに亡くなり自宅に戻っていた父と対面しました。苦しんだ様子もなく、穏やかな顔をしていました。
亡くなってからが大変。私が到着したときには、親戚一同が集まり、通夜、告別式の相談。私の主人に喪主を頼み、通夜は6日、告別式は7日と決まりました。主人と娘2人には5日に車で来てもらい、5日に納棺の儀。その間にも続々と弔問客が訪れ、その対応に追われるし電話も鳴るし…市議会議員を3期務めたこともあり、現市長と現市議会議員の方が弔辞を読んでくれることになり、83歳にしては派手なお葬式となりました。主人と娘たちには、お香典の名簿作成(住所、電話番号、金額等)を2台のPCでしてもらい、その日のうちに新幹線で帰ってもらいました。レンタカーは返してしまったので、この後の手続きは車がないと何とも不便だからです。
無事、葬式が終わったのもつかの間、次の日は市役所に。色々な手続きがありました。市役所で一覧表をくださったので、それに沿っていろんな課を渡り歩けば良いのですが、一番困ったのは年金事務所。実家から車で片道1時間かかる上に、予約制。しかもいろんな書類を用意しなくてはならない。金曜日1日だけで手続きを終わらせて日曜日には帰る予定でいたのに、それはかないませんでした。年金事務所の予約を何とか月曜日の夕方に入れてもらえたけど、その他にやることがたくさんあったので、結局12/10水曜日まで休ませてもらうことに。
喪中ハガキの印刷(約200枚)両面。お香典をもらった人にもすべて出すというので、PCに入れてもらったデータが役立ちました。平日に来ることがなかなか難しいので、土地等の相続、登記は司法書士に12/9に来てもらって依頼しました。電話、電気、ガス、生命保険、カード会社(水道は市役所内)すべてに電話して、名義変更の手続き。携帯の解約。母一人になったので、私の家族として契約し直しました。銀行は凍結される前にほぼお金をおろして来ていたのでよかったのですが、後から、母の知らない通帳やら株券やら出てきて、それらはまだこれから手続き予定です。これは母にやってもらうしかありません。
49日の法要も12/23の連休に帰省して、手配しました。お寺の住職さんへの確認、案内状の作成、料理屋さん、引き出物…やることがたくさんあるものです。気丈な母ですが、80歳を超えているので事務的な手続きは苦手なようなので、代わりにやるしかないようです。
お正月にも帰省。恒例のおじさんやいとこたちが集合。葬儀屋さんが撮ってくれた写真を見せたり、49日の引き出物に使うお菓子を試食してもらったりしました。49日の法要を自宅で行うので、蛍光灯を買い替えたり、自宅電話が古くなって聞こえにくいというので、買い替えたり忙しく過ごしてきました。
年末年始の忘年会、新年会は忌中のため、すべてキャンセル。テニスの試合も入っていたので、それもキャンセル。1/21に49日の法要をするので、それまではおとなしくする予定です。ごめんなさい、SNSにこんなことを書くわけにもいかず、記録として残しておきたいのでここに書かせていただきました。