釜石の日々

解釈改憲の遠因

昨夜、玄関先で上を見ると、杏の花が咲き始めていた。この時期は朝晩と日中の気温差があるため、衣類に気を使う。朝から高い空を雲が覆い、午後になり日射しが出て、夕方には雲も切れて、青空が広がって来た。昼休みに隣接する薬師公園に行ってみた。八重の白梅が咲き誇り、そばで河津桜もよく花を開かせていた。階段を登ると、薮椿もたくさん咲いている。観音寺前には一重の白梅がやはり咲いていた。階段を登ったせいもあって、少し汗ばんで来た。日が射していなかったが、気温は20度近くまで上がっていた。たくさんある薮椿の木もよく見ると、八重のものも混じっていた。 1960年の日米安全保障条約改定を前に1957年7月に当時の東京都砂川町、現在の立川市の米軍旧立川基地拡張に反対した学生等のデモ隊が基地内に侵入し、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された。一審の東京地裁は2年後の1959年3月、駐留米軍は憲法9条2項で禁止する「陸海空軍その他の戦力の保持」に該当するため違憲だとして全員に無罪を言い渡した。いわゆる伊達判決だ。これに対して、地検側は高裁を経ずに、最高裁に異例の跳躍上告をした。同年12月16日、最高裁判所は「安保条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決を破棄する決定を下した。翌月の1960年1月安保改定は調印され、2月に批准案が衆院に提出された後、強行採決を経て六月に発効した。昨年4月、布川玲子元山梨学院大教授が米国立公文書館に開示請求していた機密指定を解除された米公文書で、最高裁の公判日程が決まる3日前の1959年7月31日、当時の田中耕太郎最高裁長官とウィリアム・レンハート在日米大使館首席公使が裁判について密談していたことが明らかになった。田中長官は会談で「結審後の評議は、全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている」と発言していた。また、「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していた。裁判内容について、最高裁長官が関係者と密談すること自体がやってはならないことであった。さらには、上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べており、現実を裁判が追認する典型的な事例を示した。もうこの時点で最高裁長官が自ら三権分立、司法権の独立を崩壊させている。このため、以後の司法は行政追認姿勢を確立してしまった。最高裁の差戻し判決に基づき、東京地裁は1961年3月27日、有罪判決を下し、1963年12月7日、最高裁は上告棄却を決定し、有罪判決が確定した。田中長官はその後、国際司法裁判所判事となり、文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章し、1974年没後は大勲位菊花大綬章を叙勲、正二位を追贈されている。田中最高裁長官は1959年12月の判決で、憲法9条について「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と指摘した。これを根拠として、自由民主党の高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と述べた。続いて、首相も8日の民放BS番組で、同様に「個別(的自衛権)も集団も入っている。両方にかかっているのが当然だ」と述べている。行政追認の最高裁長官の判決文を楯に集団的自衛権を憲法が保障する範囲内のもと解釈しているのだ。しかし、以前にも書いたが、憲法の9条2項は「陸海空軍その他の戦力の保持」自体を禁じているのだ。そして、「国の交戦権は、これを認めない。」としている。誰が考えても自衛隊は戦力であり、たとえ自衛であっても交戦権は認められていないのだ。それが日本の国として不都合だと言うのであれば、改めて憲法改正しなければならないだろう。それが法治国家のとるべき手順であろう。今月6日、朝日新聞は憲法に関する全国郵送世論調査結果を報じた。その結果によれば、「憲法9条を変えない方がよい」とする人は64%で、「変える方がよい」とする29%を大きく上回っている。集団的自衛権についても、「行使できない立場維持」が63%で、「行使できるようにする」の29%を同じく上回っている。武器輸出の拡大については反対が77%に達している。一新聞社の調査なので、そのままは受け取れないにしても、大筋の傾向は示しているだろう。すでに米国の都合に合わせて憲法に反する軍隊である自衛隊を設けたことが「解釈」に頼らざるを得ない下地となった。法を司法ではなく、行政が自由に解釈できるると言う無法国家に堕してしまっているのが今の日本である。そして、それを許すことに繋がったのが田中耕太郎元最高裁長官の判決である。あろうことか行政に司法を譲ったのだ。
庭で咲いている花空木の珠姫

庭の姫水木

薬師公園入口で咲く白梅 河津桜が後ろで咲いている

薬師公園の観音寺の白梅

薬師公園の階段そばに咲く薮椿
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