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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

左から右へ

2010-11-30 22:33:33 | まさか、マレーシア!
ちょうど1週間後の12月7日(火)はイスラム暦の正月にあたるアワル・ムハラムだ。

ただ、正月にあたると言ってもその前後に休みが無い、単独の旗日になっている。確か中国暦の正月は大型連休になっていた。ムスリムの多いこの国でどうしてだろう? イスラム暦の正月の方が盛大でも良さそうなものだけれど。



先日、メールですばらしいレポートを送ってくれている人が誰か、やっとわかった。見た目には普通のマレーの女性だった。見た目とやっていることが一致しないのがマレーシアらしい。なかなか。



先日、日本から資料が送られてきたので翻訳して配信しておいた。細かくやると大変なので最低限意味が分かる程度に留めておく。

それを今日の会議である人が使っているのを見た。書いてある英訳の内容をそのまま使っているので、こちらが逆にそんなので大丈夫なのかと心配になる。話の内容を利くと幸いにも大丈夫のようだったので安心。

日本人で時々長い文章をメールに書く人がいると困る。翻訳するだけでも1時間以上もかかりそうだ。そうしたメールは実は内容的には薄いものが多いので100行あっても2~3行で済ませたりする。取引先の方からのお礼のような文章は、日本語であれば長めに書く方が伝わるので長く書かかれているのだけれど、それは一応書いていただいた事実だけ見てもらうことにして、「○○の件でありがとうって言ってくれてるようだよ」的なところで勘弁していただく。



このブログの最下段にある"前ページ"は左側にある。けれども、他のブログでは、たとえばbloggerでは右側になっている。単に感覚としてだけれど時間が左から右に進むような気がしているので前ページが左側にある方が自然に感じている。でも右側にあるブログもけっこうあるようなので反対の人もいるのかなあと思うけれど、どうだろう?

ドリアンに世界で一番近い

2010-11-28 20:56:51 | まさか、マレーシア!
さっき、ショッピングモールでカメラを見てきた。

Fujifilm A220 RM299 ( 8,400円)
Canon A495 RM398 (11,100円)
Nikon L22 RM398 (11,100円)

どれもメモリーカードがオマケ。どれも単三乾電池タイプ。画角は32とか37からでズームが光学3倍程度なのでスナップ写真用。多分性能は並で重さもほとんど同じ。キャノンだけがマクロで1cmから撮れる。電池の持ちはニッケル水素電池ならどれも400枚程度。どれも手ぶれ補正はニコンとフジが電子式でキャノンはなし。

要はどれもあまり変わらないって事だ。



ジャスコはジャスコ会員になるとお誕生月にはバースデークーポンの冊子をくれる。宝くじのような紙が20枚弱ほどステープラーで止められた束だ。それを持って提携しているお店に行くと○○が10%OFFとか1個買うともう1個は無料などと言ううれしいクーポンなのだ、が....、ここで注意しなければならないのは、ジャスコがマレーシアでどう言う位置づけのスーパーマーケットかと言う事だ。

と言うのは、日本でジャスコは普通のスーパーだけれども、マレーシアでは中流以上のスーパーになっていて、簡単に言うとデパートにちょっと近い感じなのだ。と、いう事で、バースデークーポンもそれなりの店でしか使えない。

最初のページが31アイスクリーム。これも、日本で31なんてお金をあまり持っていない高校生でも買う店だけれど、マレーシアではそうじゃない。"Enjoy RM3 off"と嬉しいことが印刷してあるが、その下を良く見るとワッフル・ベリー・サンデーかキャラメル・チョコレート・ワッフル・サンデーかチョコレートなんとかサンデーを3リンギット引きとも書かれている。

早速31に行ってみるとその中の一番安いサンデーでも16リンギット以上の値段がメニューボードに書かれている。16リンギットと言えば普段の夕食の3食分にもあたるわけで、これは13リンギットになったとしても買って食べようとはとても思えない。日本円にしたら360円と言えばまあ安く感じないでもない。


そんなわけで、せっかくクーポンをもらっても次からのページは見る必要すらないわけで、裏面にたくさん文字が書かれているからメモにもならずさようなら。ジャスコカードは1年間更新したけれど来年からはクーポンをもらいに行かないこと決定なのである。

31のアイスクリームはあきらめたのでその代わりにジャスコのパン屋で3.3リンギットのチーズケーキ1本を買った。夕食後にコーヒーを煎れて食べよう。




ドリアンの匂い("臭い"じゃない)は強いにおいで有名だ。

確かに強い。遠くからでも誰かが食べているのがわかる。日本にいる人にはあまりそのにおいは馴染みが無いと思うのでどう言うにおいなのか想像が難しいと思う。口の悪い人は玉ねぎが腐ったようだとかニンニクを混ぜたようだとか、さらには汚物のように言うけれど、知っている人間からすればその臭いはかなり遠い。

日本人は辛い、甘いなどの味の種類の1つに"うまみ"と言うのをそれらとは分けて入れることができる。それはそれが別の味覚と違うのを知っていて区別できるからだ。"うまみ"を知らない人たち(国によってある)にはそれを"甘い"と混同すると言う。

ドリアンのにおいもそんな感じのもので、知らないでかいだ人がそれを汚物と混同して分類してしまうのはわからないではない。ただ、実際、それは違う。


と言いつつ、そのにおいを再現する方法によって説明したいと思う。

シャンプーのリジョイ、その中のフケ防止でフルーティーな香りのタイプを買ってくる。そしてもちろん風呂に入ってシャンプーする。よく泡立てる。目に泡が入るのを避けるためにちゃんと目は閉じた方が良い。目を閉じた方がにおいを感じやすいと言うこともある。

さて、ちゃんと泡立ててシャンプーの臭いが顔の周りに充満したところで、ここで一発、"おなら"をする。おならの臭いとリジョイの匂いがちょうど混じったところのにおいが、これすなわち"ドリアンの匂い"に一番近いのでお試しください。

目覚めたときには曇っていた

2010-11-28 09:26:55 | まさか、マレーシア!
昨夜、仕事パソコン2号のセットアップをしてみた。

コンパックのEvo N610cと言う2003年モデル。CPUがpentium4のモバイル用1.7?GHz、メモリは1GB、ATIのグラフィックチップMobility Radeon 7500が入っている。当時としてはかなりの高性能マシン。

ただ、気付いたのは当時の高性能だけにファンが回りっぱなしでかなりうるさい。仕事では良いが家ではとても無理。DVDで映画を見るようなことはしないが、もし見るとしたら戦争映画にしか向かないだろう。


英語版XPが入っていて日本語版にライセンスの関係で交換できないのでそのまま使うので、まずは日本語フォントを入れる。コントロールパネルの中のフォントのアイコンから入ってそこに追加するだけで簡単だ。これをしておくとメニューは日本語にならないが日本語のソフトをインストールするときでも文字化けしないで説明文が出てくる。

次にするのが日本語入力、これは普通Windowsで通常使う言語をJapaneseにするとMS-IMEと言うのが出てくるのだけれど、この機会にと思いまだベータ版だけれど評判の良いGoogle日本語入力をインストールしてみた。これは時々ネットから変換候補をもらってきて成長するIMEだそうだ。世間ではインターネットで使われるスラングのようなものまで変換候補に出てきてくれると言う事で評判が良いようだけれども、技術用語や専門用語はどうなんだろう?


そして今使っているラップトップからファイルをコピーして来る。

そのファイルの中にはFoirefoxポータブルとThunderbirdポータブルのフォルダも含まれている。これらはコピーしてきてから開くと元のままのブックマークや設定やメールが全部そのままになっているので何も再設定も再インストールも必要なくて便利だ。


まだやっていないのがOpenOfficeのインストール。これもポータブル版が出ているけれども通常版にする。不要なものを削ってインストールしたいから。後でダウンロードしよう。これは仕事では大活躍しているソフトの1つ。


そう言えば、OpenOfficeからLibreOfficeに分かれたけれどもそちらはまだベータ版。もう少ししてベータが取れたら使ってみることにしようと思う。






朝、目が覚めたら6時半ちょっと前。

平日は6時過ぎに起きるので日曜日でもその位の時刻には自動的に目が覚めてしまう。人間には日のタイマーは持ってていても週間タイマーは無いのかもしれない。日本だと季節タイマーがあるっぽいが、この熱帯に急に来ても別にそう言うのは働かないようだから季節タイマーは無くて、ただ気候に従っているだけなんだなと思う。


開いた窓から空を見ると(窓を開けて寝る)、曇り空だった。

その昔、「目覚めたときには晴れていた」と言う曲がテレビドラマで使われていて印象に残っていたので試しにYuoTubeで検索してみたら、ちゃんとあった。伝書鳩と言うグループが歌っているのだと初めて知る。キャサリンさんに朝から暗い曲なんか聞かされて....と文句を言われる。ついでに「横浜いれぶん」も聞いてみたら木之内みどりは20年前に竹中直人と結婚したとキャサリンさんが言う。そっちの方が暗いニュースじゃないか。

バナナに利用される人間

2010-11-27 23:31:43 | まさか、マレーシア!
カルフールで売っている台湾は天仁(てんれん)のウーロン茶とキャサリンさんが日本から持ってきた米屋の栗蒸羊羹を食べるとここがマレーシアでないかのように感じる。

その前にお昼には近所のマレー食堂で「美味しいなあ」と言ったばかりで、栗蒸羊羹の後の夕食にはインド食堂でコテコテのカレーを食べて胃の中はインターナショナルだ。どれもそれぞれに美味しい。日本の物を食べるって事はほとんど無いが、1年間こうしていろいろ食べてきて、......まだ生きている。人間て言うのは同じ人間が食べるものならだいたい何を食べても生きていかれるものだ。


そう言えば、キャサリンさんが居なかった2週間は自分で好きなところで食べていたわけだけれども、そうすると満遍なく食べているようでもやはり偏るらしく多少身体に力が入らないとか疲れやすいようになってきていた。

キャサリンさんは毎朝キャベツのサラダに酢をかけて出すクセがあって、どうも女は酸っぱいものに強いらしいなあと思って食べている。それが良いのかどうかわからないが、とりあえず、他人が選んだものを食べる方が自分でこれだといつも選らんでいるよりは食べるものの範囲が広がって良いのじゃないかな、と思う。

食べ物以外もそうだろう。よく考えているようでも自分一人の範囲など実際それほどでも無い。好きでなくても無駄に感じても他人からいろいろ受け取る方が利益があるように思う。




毎日、ある人が今日の生産状況の報告を送ってくれる。生産の状況と言うのは何個作ってそのうちの何個不良を出してしまったかと言うようなものだ。それを見るだけで価値があるなあ、と思って見ている。

なぜかと言うと、普通、そうした毎日の状況はエクセルに数字を転写してずらずらと並べているだけなのだけれども、その人が作る報告書はそんな無味乾燥でうんざりするような物じゃない。今日はどんな試みをしたかがその数字に重ねて色分けされていて、グラフにもそれが時系列でコメントされている。だからこの人が毎日何をしてその結果がどうだったのか一目でわかる。

つまり、その人は毎日何か工夫しているって事でもある。その結果がどうあれ、こう言う報告は毎日見ても楽しいし読むのに時間もかからない。何て素晴らしいセンスなのかと感心。残念なことにその人のメールに書かれている名前と顔が一致していないので、後で見に行ってみようかと思っている。多分インド系かマレー系の女性じゃないかな。




熱帯地方なのでバナナの木がよくある。

工場の小さな緑地にも人間の身長ほどしかないバナナの木あって、時々バナナが生(な)っている。誰かがまだ熟れていないうちにとっていってしまうので木から直接捥いで食べられないのが残念だ。

バナナと言うのは不思議な植物で、あんなに大きくて栄養のありそうな実をたくさんつけるのに、その中に"種"は作らない。たまに種が入っているのがあるけれども例外中の例外で99.99%以上の確率で種は作らない。しかし、こんなにあるバナナの木はそれではどうしてこの世の中に繁殖し続けられているのかと言うと、人間が植えているからだ。


と、言うことは、バナナは人間を媒体として子孫繁栄をしているわけで、あの黄色いバナナの実をエサにして人間を利用しているってことになる。地球の支配者のように自分では思っている人間だけれども、実は人間はバナナに利用されているのだ。サルでもゾウでも他の動物もバナナは好物だけれど、決してバナナを植えてはくれない。そう考えるとバナナは人間だけを選択的に利用しているとしか考えられないわけだ。

バナナ、恐るべし。





今日、ニコンで撮っているときに電池が切れて再起動させたらまた「レンズエラー」表示が出た。例によって息を吹きかけてポンポンとたたくと正常にもどった。やはり早めに次のカメラを買う必要があるのかと思った。日本では相当にカメラの値段が下がっているがマレーシアではまだまだ高い。

困ったなあ。誰かマレーシアに来る日本人はいないかなあ。

快適君

2010-11-26 23:43:11 | いろいろ雑記帖
人間て言うのは、...いつも時々ハッと我に返る夢遊病者のようなもので、その時が良くても悪くても、とりわけ悪い状態の場合に「どうして自分はここでこんな事をしているのだろう」と思うものじゃないかなあ。

ここにいるキャサリンさんなんかは「どうしてこんな男と結婚しちゃったんだろう」と日々、割と小刻みに我に返って思っているように見える。キャサリンさんばかりじゃなくて世の既婚女性の多くはきっとそう思うことがけっこうあるのじゃないだろうか。だって結婚の7割(だったっけ?)は失敗だなどと良く言われるのだから。


結婚と言うようなことばかりじゃなく、だいたい人のするほとんどの事がそうだと思う。もともと好きだったわけでも無いことを何時しかやり続けるようになっていたり、それは不愉快に見えることでも何故かそれをし続けていることは多いものだ。趣味でも仕事みたいなことでもクセでも習慣でも何でも、それに理由があるわけじゃないのにどうしてもそうしないと気が済まない。

そんなわけのわからない物事がごってりと塊を作っているのが現在の"自分"と言うものじゃないかと思う。今ある状態の全てを洗いざらい分類したり整理してみようとしたら、きっと30年住んだ家の押入れみたいにもうなぜそこにそれがあるのか思い出せないようなものがごっそり出てくるに違いない。

そう考えると、きっとどこかで知らないうちにそれを受け入れるきっかけがあったと言うことだけれども、どうもそれらを連れて来るヤツがいるような気がする。そいつには名前が無いようなので勝手に名前を付けさせてもらうが、「快適君」が良いように思う。


人が何かしたいとか、変えたいと感じるのはやっぱり"快さ"がそこに付いているからと言うのが一番じゃないかと思うからだ。イヤイヤの時はほとんど長続きしないでその場限りになるけれども、ちょっとした心地良さや快さがある時は脳ミソが拒絶せずになぜか自動的に受け入れてしまう。子供がちょっとほめられるとそれをずっとやり続けるようなもので、大人になってもそれが変わることはないのじゃないだろうか。

結果としてどうしてそんな事やり続けるのかな、と思うようなことが習慣になってしまったりする。そうしてそんな事が積もり積もってだんだん変なクセのある大人に成長していって、元の姿が何だったのか、果たしてこの人に純真な子供時代があったのかなと言うようになる。海の底に沈んだカキの殻のたくさん付いた石ころだ。



それはそれでまあ、仕方ない。

逆に、他人にきっかけを与えるとすれば快適君と言うコンパニオンをたくさん連れて歩いているような人じゃないとそれはできないのじゃないだろうか。怒ってばかりいる上司の部下はきっとその場は仕事をするように見えるけれども、ずっと怒り続けていなくては仕事にならないだろう。けれど、快適君を連れて来てくれる上司の部下はあまりいろいろ言わなくてもちゃんと仕事を自主的にするって説明だとわかり易いかと思う。

自分自身はあまり快適君を連れて歩く方じゃないので人に何か影響を与えるような人間にはなれないかと思うけれども、たまにはそう言う事を心掛けないといけないなと思うこともある。別に仕事じゃなくても。

2010-11-25 23:40:59 | これってスゴイ!
Picasaと言うPicassoに似た名前のアルバムソフトを使っている。

それが何時からだったか忘れたけれど写真の中の顔を自動認識するようになっていて、気付いたら勝手に今まで撮ってあった写真の中の人の顔を確認し始めていた。放っておくと何だか分類しようとしているようだった。よくはわからないが、そんなに簡単に顔認識なんてできるものかと思ったので自分の写真の下に出た名前追加欄に自分の名前を記入してみた。

そうしたら2万3000枚の写真から自分の顔を見つけてきては名前のフォルダにポンポンと入れている。これはちょっとどうかなと言う写真にはレ点と×点で補助してやる必要があるが、ほとんどは正確だ。顔が陰になって真っ暗でも横向きでも半分しか見えていなくても認識している。

どうやら優秀そうだ。

面白そうなので幾人かの名前を書いてやるとそれもほぼ正確に認識している。


難しいらしいのが姉妹などの血縁関係で年齢が近い場合のようで、これは割と良く間違えている。人間が見るとはっきり違っているように見えるのに、プログラムにとっては判別し辛いらしい。

なるほど違うように見えてやっぱり血縁だと似ていると言うことなんだなとわかる。


ちなみにどう言うわけか写っていたカーネルサンダースも名前を入れてみたところ、3枚、しかも同じ1枚の写真にあった3つだけしか出てこなかった。風景の片隅にもっとあるかと思ったが、そうでもなかった。


仏像やら壁の落書きの顔も認識してくれる。
ならば、仏像の分類などにも使えるかも知れないなあなどと考える。いった先々で見た仏像や仏画をどんどん写真に写してきて、それにGPSで位置情報を入れてやるとある種の仏教の伝播などが解析できるだろうか?、と、ちょっと思ったりする。誰かやってみないだろうか?



人間に話を戻すと、たくさん撮っている人ほど時間経過による顔の変遷がわかって面白い。太ったりやせたり、歳をとっていく様など、よく会っているとあまり気付かないものだけれども一覧にしてみると.....、ああ、こんなに....と再認識させられる。


その他、意外な人の写真が多かったりすることとか、こんなに写真が残っているのに名前が思い出せないって人もいて、それは自分の問題として申し訳ないと言うか、....だ。

逆に名前も聞かずに1回会っただけの人の顔が、写真の背景無しに(顔のところだけ切り取られて出てくる)出てきても、ああ、あの時のあの人とすぐに思い出せるのは不思議だ。けっこう前なのに最近の人より覚えていたりする。人間の記憶の構造はどうなっているんだろう。

よく知っているのに写真が1枚も無い人もいてそれにもびっくり。人によって無意識に対応の仕方を変えているって事かもしれない。それはそれでまた問題ではある。

仕事パソコンを交換したい、でも古い方に

2010-11-23 22:24:08 | まさか、マレーシア!
仕事ラップトップパソコンを交換したいと思っている。

ひょんな事からもう1台のラップトップ、Evo n610cと言う機種を借りることになった。これは2003年モデルと言う骨董品に近いものなのだけれども、今使っている少し新しいラップトップよりも良さそうな感じなのだ。

現在使っているラップトップのCPUがPentiumM世代、n610cがPentium4世代と1世代前の物になる。そう言う意味からすれば今使っているものの方が良い。(とは言ってもPentiumMだってもう古い。)けれども、今使っている物は言わばお徳用パソコンで、n610cは当時のハイスペックモデル。だから画像表示用のチップがパソコンのシステムをコントロールするチップセットとは別に贅沢な物が使われていて電熱器のように電気を食うけれども性能は悪くない。

そしてメモリも2倍入っているし、ポインティングデバイスもThinkPadタイプに近い。またアプリケーションの表示がとても速いのでどう見ても骨董品の方が快適だ。それともう一つ、少し軽いと言うのもある。

難点は無線LANが内臓でない。仕方がないので日本のハードオフで100円で仕入れた自前のPCカード式無線LANカードを使うことにする。

さらに残念ながら、今使っている方は日本語XPで骨董品は英語XP。そしてライセンスの関係でシステムを交換してインストールできない事が判明している。仕方が無いので自分で日本語フォントと日本語入力設定をして使えるようにしてみようと考えている。システム担当者からは許可が出たのでしばらく両方持っていて引越作業をしてみよう。



普通に事務仕事のようにメールや表計算や文章のためだけにパソコンを使っているのなら不都合はないのだけれど、多少でもお絵描きをしたり、いくつかのアプリケーションを同時に立ち上げておいて使ったりしていると事務パソコンはどうしようもなくダメだ。仕事を効率的にしているのか非効率にしているのかわからなくなる。だいたい何で事務屋さんとエンジニアのパソコンが同じなのだ?!(CADするほどでなくてもね。)そう言う意味で今は骨董品パソコンの方がだいぶマシなのです。


どうして新しいのを買わないのかって?
良い質問だね。

デジカメ

2010-11-22 22:55:04 | いろいろ雑記帖
ニコンのP50と言うカメラを使っているが、先日壊れそうになったので新しいカメラを買おうかと思っていた。

ニコンは奇跡的に復活したのでそのまま使うことにしたが、もし次回壊れて復活しなくなったらどうしようかと思うのと、キャサリンさんが使うカメラが無いのでそれも検討しなければならないとも思っている。

そこでカメラの条件はこうなる。

(1)単三か単四電池が使えること。

デジカメの電池はほとんどがリチウムイオン電池で、それは機種ごとに専用になっている。これはストロボへのの充電時間を素早くしてストロボでもすぐに何回もシャッターを押せるようにするためと、電池を小型化しても長持ちするからだ。

プロでないほとんどの人が多分オートモードで使っているのでストロボへの充電速度は速くなければならないのだと思うが、デジカメは基本的には光を機械が適当に電気信号に変えるのでそれほどストロボに頼らなくても、暗ければ暗いなりに何かが写る。それにコンパクトサイズのデジカメに付いているチャチなストロボなんて役に立つ瞬間は実際あまり無い。だからそんな事どうでも良い。ストロボは通常時OFFにするのが基本だと思っている。

また最近はのデジカメは燃費が良いので1回のフル充電で200枚や300枚は撮れることになっている。

ただ、よく考えなくてはならないのは、これが2000枚とか3000枚では無いことだ。もし1週間の海外旅行に行くとしたら200枚や300枚など2日もあれば撮れてしまう。と、言うことは予備のリチウム電池を3本充電して持っていくか充電器とコンセントの変換機を持って行かなければならない。それ以外の方法でカメラの電池を回復する方法は皆無なので残りの5日間はカメラなしになる。

機械式のカメラなら世界中どこにでも売られている35mmのフィルムを補給するだけで思い出を完全に残すことはできたが、デジカメの場合はいくらメモリーカードが大容量でも電池が切れたら終わり。カメラの本質的な機能とは全く関係ない電池にデジカメは拘束されている。本末転倒なのである。携帯電話の電池なら今は世界中どこでも手に入るがデジカメはそうはいかない。性能はどんどんアップしても機動力は電池による拘束で低下していると思う。

どんなに良いカメラでも電池が切れて使えないなんて意味がない。乾電池なら人間が住んでいるところならジャングルでも手に入る。(実際、ジャングルで乾電池は買えた。)


(2)できるだけ軽くて小さいこと。

プロじゃないので持って歩く気になる物でないと使えないと言うだけ。


(3)すぐ撮れること。

最近は安いデジカメでも高機能なのでモードダイヤルが付いているのが多い。移したい物が目の前に現れてから電源をONにする。写したい対象から判断してモードを切り替えて写す。失敗の無い写真を写させるためにメーカーが用意したセッティングがこれで選べるようになっているのだけれど、これは見た目がカメラっぽくなるだけであまり意味のある物だとは思えない。

電源がONになったらセミオートになってそのままシャッターを押して見たとおりに撮れればそれで十分だと思う。失敗してもほとんどの場合、もう1回オートフォーカスしなおして撮るだけで良い。失敗しなかった時にも念のために数枚撮っておいたからと言って別に損するわけでもなし。


そんなわけで、安いカメラをもう1台買おうか、それともカメラ付きスマートフォンを買おうかと思っている。

どうしてスマートフォンが出てくるかと言うと、電池の問題はカメラより電話の方が便利、割合手軽に撮れること、うまくいけば基本的な編集が出来そうなことを考えるとそれも良いのかなと思うからだ。スマートフォンはHTC、Samsungあたりなら世界中にあるので何があっても大丈夫だろうと思うし、この意味ではデジタル時代のカメラとしてはスマートフォンの方が実はカメラらしいと思えなくもない。

カメラ自体の性能はテキトーでかまわない。フィルムの時代と違ってデジタルでは一発勝負の要素が減って、どうにかしようと思えば後からどうにかなるからだ。


そう言うことで、お勧めはありませんか?

USJ 1

2010-11-21 20:57:52 | まさか、マレーシア!
マレーシアの夕焼けってのはとても短いのだけれどもたまに鮮やかに見えることがあってびっくりさせっられる。デジカメ写真だとコントラストが出ないので下を撮影しながら空の雲までは撮れないのが残念。

近所のUSJ1地区はたまにバスで通り過ぎるところなのだけれど、今日は夕方から夜店が出ていたので夕ご飯でもと思い行ってみた。SS12でも今夜は夜店が出るけれども、あちらは中国系の人たちがメインなので日本人的には東南アジアらしさってのは無い。台湾にも同じような感じのところはある。けれどもこのUSJ1の夜店はマレー系がメインで割合近代的な集合住宅の集まる地区にしてはたしかに東南アジアの屋台村だ。

売られている食べ物もちゃんとマレーのご飯だった。ナシクラブ、ナシダガンを選んでオカズを入れてもらっても2食分で5リンギットにしかならない。おいおい、それで利益出るのか?と買った方が心配になるけれども、どこでもこのご飯はそんな値段なのだ。そしてどっちも半島東海岸でよく食べられるご飯なのでカレーっぽくなく、どちらかと言うとすっきりさわやか系の味だ。

こう言うのがもうちょっと近くに出ていると助かるんだけれどなあ、と思う。スズキ君に乗ればほんの5分しないで着くって言えば着くのだが。

Batu Caves

2010-11-21 18:40:25 | まさか、マレーシア!
ガイドブックでもおなじみのBatu Cavesに電車の駅が出来たと聞いていた。

そしてその駅はこの近所の駅から続く鉄道の延長上の最北端にある。前に行った時にはKLのコタ・ラヤまで電車かバスで出て、そこからバトゥケーブ行きのバスに乗り換えて行った。コタ・ラヤからバスで1時間ほどはかかったのじゃないかと思う。つまりはコタ・ラヤまでのバスを含めると全部で2時間かかっっていた。

それが何とこの鉄道駅が出来たことで近所の駅から全行程たった1時間で行けるようになった。こうなるとけっこう気軽に行けるなあと思う。それほどヒンドゥー寺院に用があるわけでもないけれど。

昼に出て到着したのは午後1時のちょうどお昼ご飯時。



お土産屋さんの一角にある前回とは違うインド料理食堂でダウン・ピサン(バナナの葉の上にご飯とカレーと副菜を乗せてくれる料理で基本はベジタリアンミール。)とテー・タリッ(お茶)を注文する。今回はベジタリアン・チキン・カレーを店員さんが持ってきてくれたのでそれも食べてみた。ベジタリアンなのでチキンのようでも中身は多分大豆か何かでできているチキン風のもの。

全部野菜や穀物だけ出来ているのにどうしてこんなにコクが出せえるのか不思議なものだ。これならベジタリアンになったとしても物足りなさを感じる事無く生きていけるかもしれない、などとちょっと思った。



ところで今日はヒンドゥー教徒にとって特別な日だったのだそうだ。知ってて行ったのではないけれど階段にも洞窟の中にもたくさんの小さな素焼き鉢に入ったロウに火が灯されていて何かありそうな雰囲気を漂わせていた。洞窟寺院への長い長い階段も今日はインド系の華やかな衣装の色が目立っていたし、頭に金色の泥のようなものを塗った子供たちも多く見られた。

拙いマレー語なので説明を聞いてもよくはわからないが何か神聖な日だと言うことだけはわかった。偶然だったけれどもこうした日に来られてよかった。蝋に火を灯し、額に白い粉を付けていただいた。

今月から来月にかけてがヒンドゥー教ではお祈りをよくする月なのだそうで、行ってみるなら今がチャンスだとのこと。



最後の写真はバナナの花がバナナに変わるところ。バナナの種類によるのだろうけれども、最初から黄色いバナナもあるんだね。

2010-11-20 22:31:46 | まさか、マレーシア!

道端に捨てられているのかと思うような鉢植えに花が咲いていた。
鉢はもうぼろぼろで苔が生えてヒビも入っている。


そこに置かれた、その時はきっとかわいがられただろう。
もう誰も見向きもしない。きっと誰も水をやろうとはしない。







けれども今は雲が水を与え、空が光を与える。

そうしてどうにか生き延びて、いつかはこうして花が咲く。
アスファルトの上だけれど、蝶や蜂がいつか蜜を吸いに来ると期待して待っているのでしょうか。

水蓮

2010-11-20 18:15:10 | まさか、マレーシア!
葉っぱの上でころころころころ。

人もこの水滴たちと同じでころころころころ。
何をしてもしなくてもころころころころ。
風がちょっと吹けばまたころころころころ。
そこで踏ん張ろうとしてもだめ。

どうなるかなんてわかったものじゃない。
せめて葉っぱから落ちないことを祈るばかり。

でも、ころころころころも悪くない。
あっちへ行ってしまったと思ったらまたころころころころ戻ってくる。
そう言うものだと思えばそれも悪くない。

Haji

2010-11-20 09:42:49 | いろいろ雑記帖
先日の17日のHari Raya Hajiの日に牛がモスクに連れられてくるかと思っていたら、今日になっていた。朝、モスクのスピーカーから響く声がいつものお祈りでなく何かの案内のようなものに代わって長く続いていたので見に行ってみた。


モスクの入り口で見ていると中にいた男性が入っても良いよと招き入れてくれた。写真も撮って良いと。寛容なのだ。