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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

人間は完璧だから仕事は不完璧になるのだ

マレーシアなんかで外国人作業員使ってやってる工場って言うと、当たり前だけれど人の手に頼ってやっている。そう言うわけで、何でも人の手でやる。が、人の手には限界がある。

限界と言うのは、普通に考えると、疲れるとかスピードとかだけれど、実はそんな単純な事だけじゃない。それは人間があまりにも良く出来過ぎていると言う事なのだ。

人間は自律的に動ける。つまり目とか耳とか手とかのセンサーがあって、脳と言うコンピュータがあり、手足と言う出力器官まである。重すぎるとか熱すぎるとかでない限り勝手に動く。命令は言葉で伝達すれば良い。

が、その完璧さが欠点なのだ。

例えば、この仕事をこうやってと言うと、する。できる。2時間後、人間はまだその命令を覚えていてやっている。結果は出ている。出来た物がいくつも置いてあるからわかる。でも、本当に命令に従ってやった結果なの? わからない。何の証拠もない。証拠らしき物は出来た物だけ。

でも、命令はこれを作ると言うので無くて、こう言う手順でやれだったとしたら、出来てるように見えて実は出来ていないと言う事になる。工場での仕事ってのは手順が大事なのだ。出来た物なんかじゃない。人間は自発的、自律的に命令を端折ってしまう事ができる。


で、後で問題が発覚して時にどうするかと言うと、罰を与えるとか再度教育するとか、そう言うのがよくある。これも2次的な問題を引き起こす。人間は教育されるから教育されたように外見上見えてしまう。それで安心したいが、そんなの何の証拠もない。(命令する方は勝手に出来たと思いたい。)

こんな曖昧なまま物事は繰り返す。作業、問題、教育.....


もし、人間がもっと不完璧なものだったらわかりやすい。例えば目がないと見えない。見えない故に何か問題が起きる。だったら目の機能をするカメラを設置しましょう、と言うのがわかるし対策が間違っていなそうだと、こちらもすぐにわわかえる。

現実には人間は何でも出来そうだからそれを使う方は教育とか訓練をして曖昧なやり方ばかりしてしまう。でも切りがない。

人間がやる事をもっと完璧に近づけようと思ったら、人間の完璧性に頼らず、もう1歩踏み込んだ事をしないといけないと思っている。

(今日もなんだかわかりにくい。)
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