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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

ゼロからやり直す事を考えた

2021-03-23 22:55:30 | マレーシアでニャー2021
あるきっかけがあって珍しく家族会議を開いた。家族会議と言っても自分とキャサリンさんだけでつぶあんは寝ていた。おまえはどこぞの国会議員か!

まあ、それはそうとして、何を話し合ったかと言うと、今後の方針だ。毎年の事ながら、ビザが更新できなければマレーシアを出ると言うのは変わらない。それは誰の決意も決定も必要ない。物理的な問題だ。だからある程度常に準備はする。しかしながら今回に関しては日本へ行く公算がかなり強まった。

そろそろ引き時ではないかと考え始めたのだ。

もともとマレーシアにいる気は無かったのにこうして10年を超えていてしまった。と言う事はマレーシア自体自分たちが求めていたものでは無かった。これは常に思っていた事だ。確かにマレーシアは生活がしやすい。そして今は日本の小売業やサービス業もどんどん入ってきてさらに生活し易くなっている。が、自分たちに関してはそんなものは求めていないと言うスタンスだ。

いくら日本と同じ店ができて日本でしか手に入らない物が購入できるとしても、日本の劣化版など嬉しくはない。そう言う何かが欲しいと思ったら東京あたりに住む。東京は家賃が高いから福岡あたりに住めば良いと本当に思っている。日本のそうした業種が遅れて入って来る前にマレーシアにはヨーロッパあたりの業者が既に入っていてそれをやっている。それほどの意味を感じない。

そして今住んでいるここ、そして以前に住んでいた場所も、前にも書いた気がするが仕事の都合で選ばれたに過ぎない。その条件が外れればこの場所でなく別の場所を選んでいたはずだ。もしリタイアメントで来ていたらもっと快適な場所を本気で探したろう。つまり、移住したい国ナンバー1と今の実際の生活は何の関わりもない。自分たちの事じゃないのだ。


そう考えていくと、移動と言う選択肢の存在感は大きいと感じる。

もちろんここに慣れてしまったと言うのはある。でも、それはこれまでもやってきた事がどこに行っても繰り返されるだけだ。誰も知っている人がいないところで何とか家を探したり仕事を探したり、食べ物を調達したりバスに乗る事を覚えたり。その程度の事は言葉の通じない他の場所でも何度でもできる。1つの場所に慣れて不自由なく生きられるなんて特に素晴らしい技術でも何でもなくて誰にでもできる、難しい事じゃない。別の場所でまたやれば良い。

少なくともそうしたことができる体力と動く身体があるうちにまた、ゼロからやり直すのも良いかもしれないと考えた。