(長いです。)
バリにいた時にそこの人たちの人間関係の感じ方が面白いなと思っていました。
外国語を覚える時にまず挨拶の言葉を覚えます。こんにちはとかおはようとか。多くの場合それが普通だと思います。でも、ある程度時間が経過すると現地ではそうした挨拶はほとんどしていないのがわかりました。知っている相手では目で挨拶し、初めての相手では「どこから来たの?」なのでした。
現地の人たちどうしでどう挨拶するか横から見ていると面白いのです。「どこから来たの?」「○○だよ」○○の範囲が広いとさらに○○の中の細かい地名聞きます。その場合、質問している方はその○○に知人や親戚などがいて、いくらか○○を知っている必要があります。知らないと広範囲の○○を聞いてそれで終わりです。
これが何を意味するかと言うと、お互いの距離感を測っているようでした。何らかの繋がりが分かると初見でも相当仲良しのように振る舞います。同じグループに属していると言うのが重要です。
そう言うのがすごく面白いなと思っていたのですが、よーっく考えると日本もそれと似た発想が実はあります。自分達の事で普通過ぎて気付いていないだけでした。
これからすぐに選挙がありますが、どう言う風に投票するかと言うと、けっこう多くの人が自分に近い人、自分が属している(仮想的にでも)グループの人に投票すると思います。そう言うやり方はずっと伝統のように続いてきました。細かい事は端折って言うと、その結果が今の状態です。地縁、血縁、友人関係、仕事関係、利害関係。
要は何も考えない投票の仕方です。
私は日本に住んでいませんが、日本人の家族や友人がいますのでそうした事と全く無縁ではありません。投票以外にも誰がどちらのグループに属しているからどうとか、少しは耳に入ります。もちろんくだらないので聞きません。バカにされている気がします。何も考え無い人間と思われているのでしょう。
そんなやり方はこれまずっと日本で続いてきました。そして政治家はお金を集める為に政治やっているふりをしている時代が子供の頃から続いていて、新聞記事からその話題が絶える事はありませんでした。今の今までずっと。でも、我々はそんな政治家をずっと許し続けています。田中角栄は裁判で汚職認定後に地元でトップ当選しています。それが今やそうした政治家達の2代目、3代目に引き継がれています。日経新聞の調査では世襲議員は8割方当選します。
世襲問題は世襲だけの問題ではないはずです。本当の問題は我々が考えない事でしょう。自分に近いグループの人だから票を入れると言うような行動です。自分の目の前にある問題や友人関係で見ていると気付けない、でも同じ事です。
そんな、言っちゃ悪いですが、老人達のやってきたやり方を私達は次の世代に引き継いで良いのでしょうか?ここで断ち切って考え議論をする方法へ変えていくのがそろそろ高齢者に入る我々世代の義務じゃないのでしょうか?どこかのグループに所属したり考えもなく支持したりしても、実際には利用されているだけだと気付く時期じゃないでしょうか?敵対する相手が悪いのではなくて、自分達のやり方が悪かったと気付く時ではないでしょうか?日本も自分たちの住む町もこんな状況になってもまだこのまま続けて私達は次の世代の多くの可能性を、議論しないと言うその一点で奪っていると考えられないでしょうか?