goo blog サービス終了のお知らせ 

もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

秋は消滅したし、興味は消費される

2024-10-10 20:50:29 | 日本でニャー2024
きなこが人の寝ている布団に寝るようになった。よほど寒いのだろう。そりゃそうだ、人間だって寒い。この世に秋は無く、夏かすぐに冬が来るのか?ジャカランダの種子が何個も発芽しつつあるが、どうやって保温してやれば良いのやら。家に入れられるだろうか?




人間は生きるのに直接役立たない物事に興味を持つ。それが人間らしさの一つだと感じるが、面白いことにほとんどの人はその興味を消費するだけで満足してしまう。テレビとかYoutubeとか漫画とかいろいろそれを消費させるものが提供されている。何も産み出さない。

でも中には産み出す人がほんの少しだけいる。どこにその違いがあるのだろう?

古いレコードがたくさんあるので

2024-10-09 20:50:25 | 日本でニャー2024
近所の電器屋さんが古いレコードを山のようにたくさん持っている。


将来この店が閉店となりレコードが処分されてしまうと取り返しがつかないような気になっている。

そこで、活断層ハウスにあるソニーULMスピーカーを運び込んで簡単な椅子とテーブルを置いて近所の人が聴けるようにしたらどうだろうと考える。土日になると観光客も来る。スピーカー以外の機材は近くの土日営業カフェで壊れて使っていないアンプをできるかどうかわからないが修理、(これも相当古い) レコードプレーヤーは安くて古いのを調達でどうか?

あとは著作権だが、JASRCによると年額6000円払えば済むらしい。(間違っているといけないので再確認すべし)


椅子とテーブルはジモティあたりで貰う。

あとはこの6000円含む経費をどうやって賄うかとか、誰が面倒見るとかいろいろ考えなければならない。

雨が止んだら電器屋さんにちょっと聞いてみよう。

他人は放っておいてあげるのが一番だ

2024-10-08 13:51:08 | 日本でニャー2024
続けて読んでいただいている方は既によくわかっていると思うが、キャサリンさんはいろいろ問題を抱えている。これは今に今始まった問題じゃなくてずっとずっと以前からだ。
(本人が公表しても良いと言っている)

1) ある人が約束を守らない件。
連絡すると言って連絡してこないとかそんなようなこと。
(心当たりのある方、連絡してね)

2) ある方とお話しするとき、言い方が気に食わない。

3) ある方が好意的なはずの別の人に対して「あの人は○○だから嫌」的なことを言ったのが気に食わない。

4) ある人(一回り位年齢が上)が昭和的な冗談で変なことを言ったのが気に食わない。

5) ある方が最近心の病の症状が出たが家族の者たちがサーポートせず問題がそのままになっているのが気に食わない。

6) 上のことを話した人が「そんなの放っておけば良いよ」と言っていたところ、最近やっぱりひどいのを再認識したと言ったそうで、「だから最初から言ってたのに!」とご立腹。

7) ある家の草がぼうぼうに生えていて何もしないでいるのが気に食わない。

まだまだいろいろあったはずだが、思い出せない。

確かにどの人にも問題があるとは思うが、その人たちは自分自身でそれを問題と思っていない。問題だと思っていたら既にその問題は消え失せているはずだが、そうはない。当たり前だ。各人にはそれなりの優先順位があって大切な方から順番にやっているだろう。人に与えられた時間は等しく1日あたり24時間なのだ。

それをどう使うかはその人が決めて良いことになっている。自分だってそうしている。

そして各人には各人なりの正しさがある。この世の中には宗教一つとっても何かを信じる自由というものがあり、それを誰も否定することはできない。これは特に宗教だけを言っているのではなくてその他の全てのことだ。それが正常な世の中なのだ。

さらに言うと、各人がそうして今現在まで生きてきているという事実がある。その時間経過は誰にも否定できない。つまりそれで成り立っているのだ。これは良いことと考えるべきだろう。なぜなら自分もそうして他人から見れば問題になっている可能性があるが、どうにか今の時点まで生きている。

いや、「生きている」と言えば傲慢過ぎる。「生かされている」と言うべきだろう。広い宇宙空間のようなところに一人で浮かんでいて誰にも何にも接することなく生き続けている人がいればその人は「生きている」で良いだろう。そうでなければ「生きている」などとは言えない。

ともかく、人はどういうわけか生きている。それだけで祝福されているし、祝福すべきことだ。その在り方はそれぞれで皆ちょっとずつ違う。そういうものだ。

それを否定しようとする者たちも世の中にはいる。その存在すらも世の中の自然かもしれないが、無益なことだ。彼らは怒るに飽き足らず他人を殺そうとする。腹が減って共食いする魚や虫は隣人を殺して腹を満たせるからまあそれも仕方ないのかもしれないが、人が人を殺しても腹は満たせない。意味がない。何もせずに寝ていた方がマシだ。

まあ、そんな話はともかくとして、それぞれちょっとずつ他人と違う人生の中で自分は死ぬまでに何ができるかを考えないといけない。生きてどうにかやっていけている他人がどうでも自分の人生とはあまり関係がない。というか、重要でもない。死にそうな人がいれば助けるにしても、ほとんどの場合放っておいてやる方が正しい。

どなたか、キャサリンさんにサジェスチョンをお願いしたい。


築60年のモダン建築物がボグワーツより不思議で魔法である理由

2024-10-07 20:46:05 | 日本でニャー2024
LXA-OT3用にケースを作成。






たまには建築のことを書こう。

下の建物を評価してみていただきたい。(特に正解があるわけではないけれど、まずこの建物がどう面白いかを数分考えて)


ここ、たまたま今日訪問することになった建物で、今は個人宅兼、ギャラリーカフェとして使われている。以前は起業の保養所だったこともあるそう。


この建物の何が面白いかって、なかなかわかってもらえないかもしれないので超初心者向けスーパー簡単解説。

何が面白いか?と問われて・・・
たぶん「積木を重ねたようにゴツゴツしていて形が変わっている」という人が多いと思う。外見的にはその通り。だけど、「建築」なのでもうちょっとだけ考えてみるとさらに面白さが増す。


というわけででこういうのはいかが?
1) この家の柱ってどことどこにある?
一部柱が見えるけれど、一般の家とちがって建物の四隅にあるのか、無いのかがわからない。あるかもしれないし、無いところもあるかもしれない。これだけでちょっと興味深い。


2) 5階建てなので上下に人が移動するはずだけれど、どうやって移動しているのか外から見て全くわからない。なんとなくここに階段があるのかなと思うところもあるけれど、途中で切れている。手品のようだ。まさか奥側に見える外階段使えってのはないよな?安藤忠雄じゃあるまいし。


3) 左前にも正面にも扉が見えるし、外階段上がったところも建物に面しているから扉がありそうだし、地形が崖っぽいから裏にも扉がありそうだし・・・玄関はどこ? そして正面はどっちで裏はどっち?


4) 一般の家と違って各階の床の大きさと形が全部違う。つまり、下の階の造りにその上の階がほとんど拘束されていない。ってことは、どこかにある居間は居間として誰(他の部屋という要素)にも邪魔されずに快適な居間の形と大きさになっているとか、キッチンはキッチンが最も良いようにデザインされているとか、風呂は風呂だし、寝室は寝室で最適化できているって可能性がある。これは凄いことじゃない?各階からの眺めを最適にしているとか光の入り方をそれぞれ最適にしているという可能性もある。単に四角い建物ではそんなのは不可能。


つまり総じて言うと、モダニズムが求めていた、そして現代建築も求め続けている「自由」の一つがここに実現されているというわけ。これが60年前にできているって、脅威だよね。今はもっといろいろ技術が使えるからさらにもっと自由なはずだけれど、なかなか人間の思考がついていかない・・・どころか、けっこう後退してしまっていたりする。


これをちゃんと見たらボグワーツなんて古くておどろどろしいだけでちっとも不思議で魔法な建物じゃないと思わない?



あなたはたった今からあなたしか考え付かないニッチな商売を始められますか?

2024-10-06 20:59:22 | 日本でニャー2024
この街でイベントがあってそこのある店初めてこのパンケーキを食べてみた。




そもそもパンケーキという物をちゃんと食べたことがなかった。確か、昔どこかのファミリーレストランで薄くて丸いのを何段か重ねたパンケーキというメニューがあってそれは食べた記憶があるが、それが正しいパンケーキなのかは確信がない。

でも、フライパンで焼くケーキだから所謂ホットケーキと同じ物じゃなか?とは思う。しかしながらホットケーキは粉をベーキングパウダーで膨らませる簡単なものでありながらプレミックスされたホットケーキミックスという製品で作る別物に進化しているのでもしかするとちょっと違う気もする。(細かいこと言うな!って?)

まあ、それは良いにして、このパンケーキだが、結論から言うと「美味い」。ミルクの代わりに豆乳が使われているのがわかったが豆乳臭さはほぼ無くて味に癖が無い。甘みや無理矢理付けた香りのような推しが強い感じではない。粉が美味い感じ。ふんわりとしていて歯応えも良い。

おっと、そこも本題じゃなかった。

実はこのパンケーキ、こうしてパンケーキの形に調理して食べさせるのは実際のところサンプルの位置付けだ。粉屋が本業だという。粉屋と言っても小麦粉屋ではなくてパンケーキミックス「のみ」を売っている粉屋だ。

とても商売の間口が狭い。カステラ、どら焼きのようなのは全くやらずにパンケーキのみという狭さ。夫婦でやっている商売とはいえ、子供もいるし・・・それでやっていけるというのは凄い。彼らの人生のどこかの時点でこれ一本でやって行こうという決断があったはずだが、果たしてそういうことがどのようにすればできるのか、想像もつかない。

もし自分がパンケーキ粉屋をやるぞと今言ったとして、キャサリンさんは何と言うだろう?・・・と、考えるだけ無駄だ。預金から1万円引き出してそれ用の何かに投資することさえ難しいに決まっている。

今度、機会があれば粉屋さんに始めたいきさつなどをぜひ聞いてみたい。これを読んでいる中にも自分でご商売を始めた方がいるかもしれない。ぜひそのあたり教えていただきたい。



追加
タイトル写真はうちの猫じゃなくて似た猫

今日は書かずに寝る

2024-10-05 21:33:16 | 日本でニャー2024
おやすみ

レプリコンワクチンの真実はいったいどこにあるのだ? (追加)

2024-10-04 20:23:55 | 日本でニャー2024
夜になってきなこの歩き方がちょっとおかしい。触っても痛がる様子がないのでまた後で触ってみてダメそうなら明日は医者に連れて行こう。



今更コロナとワクチンの話題を出すのもどうかと思うが・・・

レプリコンワクチンが出てきたことでいろいろあって、自分は接種推奨年齢に達してはいないがちょっと知りたいと思って概要だけ調べていた。と、ところが、こんな大々的に反対する人たちがいたので驚いている。しかも、大学の先生たちというのでさらに驚く。


それでまず、この方たちの書いたコロナ・ワクチンに関する論文を読んでみたいと思って探していたが探せない。根拠が知りたいだけなのだけど。
どこかにある?

結果、無い。どうして?

まあ、そういうこともあるかと思い直し、このポスターを見ているとあることに気付く。素人の乏しい知識を総動員して考えてみるが、下の方にある赤のところの図が間違っている気がする。

何がおかしく見えるかというと・・・

1) 複製をするたんぱく質レプリカーゼは自分の横に繋がっているスパイクタンパクの一部と自分自身を複製できるが、細胞の外に出るために自分自身を(ワクチン状態と同様のカプセルである)脂質に閉じ込めることはできない。どんなことをしても細胞から出るための細胞膜のような物も作ることができないので細胞から出られても秒で死んでしまう。つまり細胞内で何か間違いが起きてもウィルスに変化するのは至難。

(後日追加)
以下、根拠になる文献がわからないので信頼性がわからないが、こういう人もいた。



(追加はここまで)

2) シェディングが起きた(上記理由で可能性はとても低い)として、膜に囲まれたmRNAのような高分子の物が皮膚から出て空気中を漂ったりして他人に感染するようなことがあるのかどうか、かなり疑わしい。

3) レプリコンワクチンは複製とスパイクタンパクの一部を製造するという単純な機能しか持たない物体なので、仮にエラーで何か別の機能を持つ物に変化してしまったとして、どれだけ有害な物になれるのか、さらに外部への伝染性を持てるか疑問大。


さらに調べてみると・・・

レプリコン危険の元になった論文(ほとんど参照されていないらしいが)に出てくる「シェディング」という言葉の概念が誤解されているらしい。
シェディングは細胞膜表面で起きる効果を示すそうだが、今言われているのは体外に排出されるという意味になっている。このあたりでどうも誤解が生じているのではないかと思われる。

けれど、ワクチン反対を唱えている方々も学者なわけで、論文読めばわかるのではないかと思う。ここがよくわからない。新型コロナが出た時も読めばわかるはずのことを反論していた学者さんがいたのでよくあることなのか?(英語読めないとか機械翻訳使えないだけだったり・・・まっさか)


最後に必要な能力は自分のコントロールだけれど・・・

2024-10-03 20:06:22 | 日本でニャー2024
こんなような本が幾つか出ている。
↓(メルカリ安いけれど、今ここで特に勧めているわけじゃない)


たぶん、自分と同じような疑問を持っている人がいるのじゃないだろうか?

「なぜ大学で自己啓発的な講義があるのだろう?」

しかし、最近ちょっとわかる気がしてきた。というのは、結局のところビジネスで成果をあげるのも人生を快適に過ごすのも対人関係を良く保つのも幸せを感じて生きるのも全ては自分を適切にコントロールできるかというたった1点にかかっているからだ。

プロのスポーツ選手が言っていたが、雨の日でもトレーニング用の器具やグラウンドが使えなくても家で手足を自分の想像通りの動きに調整できるようにと練習しているそうだ。目を閉じて左右の腕を同じ高さまで上げてみて目視確認すると少しズレているので何度もやってズレがでないように練習を重ねる。それと似たことかもしれない。



人間は自分自身をちゃんとコントロールしていると考えているが、そんなことは全くないと言えるだろう。アメリカでも一流の大学の講義でこんなことをわざわざやるのだから。ただ普通に生きていたら、残念だけれど我々は心のコントロールなど無縁というしかない。

その我々が誰かというのももう一つ問題だけれど、それはいつも書いているのでここでは止めておこう。

少なくとも「正しい」を「間違い」と同義語だと思えないようなら自分にコントロールが無いと思うべきじゃないだろうか?

日本で癌が多い理由って何なの?

2024-10-02 20:55:14 | 日本でニャー2024
義父母の墓参りに行ってきた。

時期をちょっとズラした。お盆にまともにいくとキャサリンさんが姉のアグリッピナ夫婦に会ってしまう可能性が高いからだ。でも待てよ、実の親の墓石を建てるのを拒否してさっさと合葬墓所に入れる者が墓参りするのだろうか?

この疑問にはもしかしたら永遠に答えが出ないかもしれない。まあ、いいか。





大したことのない話だが・・・
今日車を運転している横で話の流れで「日本は食品添加物が多く使われているから癌になる人が多い」とキャサリンさんが言った。

あれ、そんなことあったっけ?と思った。

そもそも他国と癌発生率を比較できるのだろうか?とまず考えた。一般に癌は体内にできてから自覚症状が出るまで長い期間がある。日本で癌が見つかるのはたぶん健康診断をほぼ無料でやっているし、他の病気や怪我で医者にかかるのも金銭的負担が少ないからその診察や治療の最中に見つかる確率は高いかもしれない。

他国は日本のような医療環境にないとすればそもそも死にそうになっても医者に行かない、つまり癌と診断されない人もいるかもしれない。それは極端な例としても国民皆保険であるかないかによって癌の発見率は違うだろうと想像できる。

それに日本は平均寿命が長い。高齢になるほど癌になりやすいと言われるので寿命が長ければ癌診断も増えるだろう。

と、ちょっと調べてみると確かにそんな感じだ。でも、癌の部位比較では日本より発生率の高い国もある。

もう一つは食品添加物が癌に関係あるかという問題だが、ずっと以前のサッカリンなどが使用されていた時代はそうだったかもしれないけれど今は(今使われている)食品添加物と癌の関係は否定されているそうだ。

しかし、もう一つ考えるのは、食品添加物と食品に含まれるその他の素材と何が違うかということ。例えば肉をたくさん食べる人は大腸や直腸の癌になりやすいらしい。添加物と区分されていない肉が癌の素ってことになるなら肉は食べられない。もしかすると他の自然に採れた野菜などの作物だって癌の素かもしれない。となれば添加物に分類されたかされないかはあまり関係無いだろう。

つまらなくなってきたからこの話は止める。

解雇規制緩和後の社会では市町村の生涯学習はお稽古事を超えるべき

2024-10-01 15:34:16 | 日本でニャー2024
活断層ハウスのある町が生涯学習センターのあり方についてのアンケートを募っている。アンケートの存在は知っていたが、書き込むつもりはなかった。けれど、小中学校時代からの友人が議員をやっている関係で(全員に送ったと思うが)アンケートの紹介をしてきた。見れば域外の者が回答しても構わないらしいので書いてみることにした。↓


生涯学習と銘打った講座はどの市町村でも行なっていて、そのほとんどがある意味趣味レベルのものだと思われる。しかし、終身雇用制度が崩れてきていたり近い将来には解雇規制が緩和されると予想される中では趣味の域を超えてその上のレベルの学習が求められている。従来に比して高速に変遷する社会、経済を考えれば一生のうちの二度三度高度再高度教育を受けたりアップデートされた知識を得るのは必須と考える。

現時点でこれに対応できるものの中で現実的な選択肢は多くの大学が用意している通信講座である。しかも通学制より格安な学費となっている。ただ、社会人が通信制を利用する上での障害は、家が学習に対応した環境でないことやたまにあるスクーリングが遠方であること、さらには学習に使用する図書資料を収集するのが困難なことと同じコースを学習する仲間との議論が各自バラバラな地域に居住する故にできないことだ。

もし可能であれば生涯学習センターを学位を取得するレベルの学習サポートセンターとして利用できないかと考える。全てのコースは無理でも需要の多いコース、学位に絞って提供する大学と連携し、またコースのアドバイスに従って必要な図書を揃えておくことができたらありがたい。

通常地方都市や市町村は子供を育てるが大人になると仕事に便利な場所に出てしまって「元がとれない」ことになっているが、生涯学習によって大人になっても町にいる理由ができる可能性も高くなるのではないかと考える。

人間は身体や脳のような物からの制限に反抗しながら生きるもの

2024-09-30 20:30:40 | 日本でニャー2024
人間の心は身体の中にある。宗教的な見方はここではちょっと置いておくとして、身体という物理的に定義できる物の中に心がある。でも、人間は心はとても自由でどこかに限界があるかもしれないが、身体がどうあれ何でも考えたり思ったりすることができる・・・と考えている。

それは本当か?

最近は高齢者が増えていたり医学的な知見が一般化しているので認知症のようなことがわかってきた。あれは結局、脳に余計なタンパク質が溜まるとかどこかが萎縮するとかそうした物理的な現象を伴うらしい。するとこれまで普通にできていたことができなくなるし、考えたりすることにも支障が出る。

するってえと何かい? やっぱ心てえのは身体の状態に依存するってことかい? なあ、熊さん。

認知症はちょっと極端な例だけれども、もっとカジュアルに脳の何かがどうにかなっているとしたら、生活は普通にできている人でも考えたりすることに何らかの癖(病的じゃない程度の偏り)が出るってこともあるのかな?と想像する。

我が妻のキャサリンさん、最近実姉のアグリッピナに似てきた。非常に似てきた。どういうことかというと、自分が考える正しい状態しか正しくないと考えるのだ。他人というのはなぜ「他」人なのかというと、自分とは少しかそれ以上違うからなわけで、全く同じ考えをするはずはない。宗教が違うとかそういう大きなことでなくて、風呂に入ってからお茶を飲もうか、お茶を飲んでから風呂にしようかみたいなどっちでもよいようなところに違いは出る。どっちが正しいということもないし明日になれば忘れてしまう程度の違いだ。

まあ、そういう感じなのだが、正しさの範囲が非常に狭いということ。

いつも言うけれど、人間はそうした自然に(ここでは身体)制限された思考から自分自身を自由にする為に、そしてその不愉快に逆らうように生きるものだ。道具としては教育であったり思考そのものであったりするけれど、何しろ動物のようにただ身体、つまり脳の構造とかに従って生きているものではないはず。不快を愉快に変える、不満を満足に変える、敵に見える者を味方に変える、問題を受け入れないようなことをすべく生きるのが人間の生き方だ。

ちょっとした修行は必要かもね。

社会が多様化したと言いながら苦しむ人がいる理由は何?

2024-09-29 20:50:30 | 日本でニャー2024
これについてはちょっとまともに皆さんの意見を聞きたい。


今の社会は「多様化」している?


とりあえず、テキトーでも上の問いに心中の答えてみてからにしてください。
ただし、答えに「正解がある」わけじゃないです。いろいろな考えがあると思います。






たぶん、多様化していると考える人は世の中がいろいろな面で変わっていっていて、その変化した先と今までの自分の考えが分化していると感じているのではないでしょうか?違う?


自分の考えは「多様化しているとは言い難い」の方です。変化というのは生まれる前からずっと今もあって、子供の頃など日本列島を改造しちゃえというオヤジがいて実際にそうなっていたし、バカバカコンクリートの箱作って農村から人を呼んで入れて社会構造まで変えていた。突然時速200キロ越える電車が走ったりもしてコンピュータはビル大から突然机の上にポンと乗るようになり今は手持ち。すると今まであまり表に出てこなかった少数派がいるのも判明して彼らに名前が付いた。


でも、不寛容は全然変わらない昭和のままのように感じるし、どちらかというと原理主義的になってきている気がします。皆、正しい答えは一つだけと固く信じている感じ。個々の答えに多少バラつきはあるけれど、不寛容で自分を変えられないならそれは多様化とは言えないと考える。そんな感じ。

皆さんはどう考えますか?

納得の解決策が示されても絶対に幸せになれない悲しいシステム

2024-09-28 20:29:06 | 日本でニャー2024
早速中華真空管プリアンプのACアダプタをNintendoに換えてみた。が、あまり違いを感じられなかった。元のACアダプタもアンプの付属品ではなくてテキトーな物だった。



でもまあ、これでOKということにしておく。不都合は無さそうなので。



これをちょっと読んでみて欲しい。どう感じるだろう?


なるほど、と思われた方、たくさんいるはず。日常、あまり無い視点かと思われるし、コントロールできるのは悪意ある相手ではなくて自分の方だ。うーん、素晴らしい。

まあ、そう、それで良いと思う。

けど、2ページ目に入った時に気持ちのどこか片隅にシコリのようなものを感じはしないだろうか?普通はしないかもしれない。でも、自分はした。

理由?理由は、こういうこと。


最初のページで「釈迦」という登場人物が出てきた。皆がよく知るあのお釈迦様、ブッダともいうあの人だ。もしこれが釈迦じゃなくてキリストだったらどうだろうか?もしくは聖徳太子では?西郷隆盛でも孫正義でも誰でも良いけれど他の誰かだったとしたら・・・、それでもこの話は完結できる。別に誰でも良いのだ。架空の話でも構わない。

なぜ?

それは、この記事が提供しているのはインスタントな解決策だから。悪意ある人に遭って何か言われた。普通は言い返したり悩んだりいろいろあるが、つまりはそれが自分の中で大きな問題になって頭の中の広い場所を占めるまでになってしまう。記事はそれを避ける簡単な方法を示している。

もちろん言っている内容は間違いではない。とても有用かもしれない。

ふーっとここでため息をつく。

世の中、こんな記事ばかりじゃないか。他人が悩みそうな事を探して一つひとつに簡単な解決策が提供されている。人間の悩みなんて皆似たようなもので、個人個人に話を聞く必要なんてない。こうして皆に共通する悩みに皆に共通する解決策をポンっと出せば読まれる。

原理は簡単だ。昔から「傾向と対策」主義は変わっていないというだけなのだ。何かある度にインスタントな答えを提供する安易なビジネスが出てくるエコシステム。受験と同じ、学校で出される課題と同じ。参考書を売ってお金にするのと同じで記事をクリックさせて広告を表示する。自分が読んで納得したとしても記事を書いている人は別に自分の幸せを真面目に考えてくれているわけじゃない。

まあ、永久に幸せになれないシステムなのだ。残念だけどね。

人は死ぬ前に何を考える?そしてそれを誰かに伝えておきたいものか?

2024-09-27 21:23:02 | 日本でニャー2024
2台ある中華真空管プリアンプには不満を感じてはいないが、LXA-OT3にNintendoのACアダプタを与えてまあまあだったのでプリアンプにも1つ買ってみた。ジャンクで100円の12V仕様だ。もう一つ買いたかったが1個しかなかった。

とりあえず近いうちにプラグを交換する。

しかし、普通はパワーアンプよりプリアンプの方が音質に影響するとされているが、中華真空管プリアンプに不満を感じないのはなぜだろう?真空管アンプと言っても昔のそれと違って途中にトランスが入っているわけでもないだろうに。というか、実態はオペアンプが主役かもしれないが。なのでACアダプタを換えてもわからない可能性もある。それならそれで構わない。100円だし。




活断層ハウスで作業をしながら、時々亡き両親のことを考える。あの人たちは何を思って死んでいったのだろうか?と。考えてもほとんど何もヒントが無い。家と家財道具その他が残されているだけだ。

ある種の人たちは死んだ後に名を残す。名を残さなくてもその意思が継がれることもあるだろう。けれど、自分は我が両親のようなただ生きて死ぬだけの人間は死んで終わりだ。街を歩いていてふっと見ると空き地があって、ここには以前何かが建っていたはずだと思い返してみても思い出せない。それと同じ程度だ。

けれどきっと何かを思ったり考えたりしただろう。それを誰かに伝えたかったかもしれない。それとも伝える必要性を感じなかっただろうか?思い残すことがあった?無かった?死ぬのは怖かった?そうでもなかった?


考えてみれば、人は必ず死ぬものだし、歴史の中で死んだ人は数え切れないほどいるのに我々は死に直面した人がどうであるかについてほとんど何も知らない。それほど興味が無いからか、死を見ている側が恐れを感じてしまっているからか?

ところで、皆さんは何か言い残すつもり?

解雇規制緩和に賛成するが、それだけじゃ派遣規制緩和の二の舞だよ小泉くん

2024-09-26 21:15:30 | 日本でニャー2024
ビスコッティが食べたくて朝一番、葉山のこの店に行って買った。


家に帰って早速コーヒーを淹れて食べてみた。


ふーん・・・けっこう和風。イタリアとかって感じでなくて和風。

なんとかボウロのよう。いえいえ、批判しているんじゃないんだよ。これはこれで美味しい。ちょっと違うなって思っただけのこと。悪くない。食べているともう一つ似ている味があるのを思い出した。インドのケーキ・ラスクだ。ラスクはパンで作るのが一般的だけれどスポンジケーキで作るのがある。あれに似ている。懐かしい。ケーキ・ラスクどこかで売られているだろうか? 今度探してみよう。



自民党総裁選でこんな話題が出ている。
自民党も面白い政党で、こんなことこれまで十分に時間があったのだから内部のミーティングか何かで話し合っておけば良さそうなのにこんなところ賛成反対言い合ってるなんて。周回遅れもあれだな・・
自分は解雇規制緩和に賛成だ。時々どこかで書いていたと思うが、ずっと前からそうなるべきだと考えている。

でもね・・・

解雇規制緩和を今実行して何が起きるかはわかる。だから反対するのもわかる。(この記事に関してはそんなことが起きているのか程度で読めば十分)

さて、何が起きるかだけれど、極めて簡単。専門性が無くて高給の人が解雇される。反対にこれまで通り終身雇用の階段に残り続ける人も出て、つまりは被雇用者は二分される。解雇された人は氷河期に追加されて苦難を強いられて終わり。終わりと言うと良くないが、人材不足の現場に流れてホワイトカラーには戻らないということ。

これで良くなるのは企業の財務状況だけ。←自民党はいつもこれを重視する。

つまり、今のままでの解雇規制緩和で就業環境が良くなることはない。辞めて次の自分に合った職場で力を発揮などほぼあり得ない。なぜなら終身雇用階段は既に埋め尽くされていて横からポンと入っても居場所はない。現在と変わらない。

で、辞めさせられないで残っている人がとても有能かというと、そんなわけはない。そっちもこれまで通り、マネジメントの専門スキルがあるとかそういうわけではないのは誰もが知っている。そもそも日本にマネジメントというものは存在しない。せいぜい部下のやる気引き出す的な根性論を声高らかに唱える程度。

別に良いことなど一つもない。なら、なぜ解雇規制緩和なのか?

解雇規制緩和するなら、解雇とか言う前に全員期限付き雇用契約にして時間とともに終わりにし、その時点で再契約するかしないか条件で決めるようにするならかなりマシだ。派遣規制が緩和された時のように放ったらかしにして、ある者たちだけがずっと痛くてある者たちは全く痛くないという状況を残すべきではない。

ところで解雇規制緩和が実現した時、公務員はどうするんだい?ねえ、どうするつもりだい?