1年ほど前に書いた子ども向けの中編小説を、書き直す必要が出てきた。期限は2週間。原稿用紙にして約90枚分。冒頭これを書いたのは、「実はちょっと忙しくなっちゃって……」「仕事寄こすの、調整してくれると嬉しいな……」という、言い訳含みのめめしいメッセージでもある。
さて、「掛川ライフスタイルデザインカレッジ」の本格スタートとなった内山節氏の講演会が無事終了した。とはいえ、事後の処理やまとめ作業も片づかないうちに、次への準備と調整を同時進行で進めて行かなくてはならない。なかなか、頭の中はこんがらがった状態だ。
それに加え、先週末、S木くんと私には宿題が出ていた。
商品パッケージのデザインを考えてくる宿題である。
「ぼく、昔から火の用心のポスターとか書くの、ものすごく苦手だったんです」
「私もだよ。図工なんて、ずっと3だったもん」
山岳ガイドと文学少女のなれの果て。ビジュアルに関して素人ともいえる二人が書いてきた宿題を、S藤さんはどう見たか。
八つの案のうち、半分は「はっきり言って、デザインじゃない」と言われた。
「かろうじて、二つはデザインらしき、苦労のあとが忍ばれるけど、それだって、今までのパンフレットの範疇を越えていない」
途方に暮れる、というのはまさにこういう状態である。
「質のいいパンフレットを見たり、雑誌を見たり、K住さんはもっとビジュアルを鍛えなきゃだめだよ。活字ばかり読んでいてもだめ」
まったくもってその通りである。テレビも見ず、映画もほとんど見ず、雑誌も読まない私は、日々、新聞と本と資料のみで生きているといってもいい。読みたい本が次から次へとあるというのに、大して読みたくもない雑誌を読む時間も、その必要もないと今までは思ってきた。
でも、今は違う。……わかっちゃいるれど、ビジュアル系に弱いという意識がどうしても先に立ってしまう。
「絵から入るのがだめなら、言葉から入ればいいじゃん」
「言葉から……?」
「この商品に対して、あなたは何人もの人に会って、その場所にも行って、あなたなりにこの商品に対する思いや、関わっている人たちから学んだことがあるでしょう。そういうものを一度自分なりに咀嚼して、文章なり言葉なりコピーにして、それをビジュアルとして表現することを考えればいいんだよ。今のままじゃあ、今あるものをただ組み合わせただけでしょう」
「一度、自分の中で咀嚼する……」
これは小説を書くときも、まったく同じことがいえる。今ある原稿をそのまま書き直してもいいものは生まれない。一度、すべてを白紙に戻し、その上で自分の中に何が残っているか、何を書きたいのか、何を表現したいと思っているのか、ゼロから書き出してこそ、はじめて純度の高い、いいものが生まれる。
絵を文章に置き換えると、少し、わかるような気がした。
さて、宿題は再提出となった。
一度すべてのものを白紙に戻すのは、苦しく、恐い作業だ。咀嚼して何が出てくるか、まったく見えないから。120のものが生まれる可能性もあるけれど、ゼロかもしれない。
「何もかも初めてで、覚えること、勉強することばかりで楽しいです」
S木くんの言う「楽しい」は、「苦しい」と同意語でもある。
まさに「難行道」を行く。
さて、「掛川ライフスタイルデザインカレッジ」の本格スタートとなった内山節氏の講演会が無事終了した。とはいえ、事後の処理やまとめ作業も片づかないうちに、次への準備と調整を同時進行で進めて行かなくてはならない。なかなか、頭の中はこんがらがった状態だ。
それに加え、先週末、S木くんと私には宿題が出ていた。
商品パッケージのデザインを考えてくる宿題である。
「ぼく、昔から火の用心のポスターとか書くの、ものすごく苦手だったんです」
「私もだよ。図工なんて、ずっと3だったもん」
山岳ガイドと文学少女のなれの果て。ビジュアルに関して素人ともいえる二人が書いてきた宿題を、S藤さんはどう見たか。
八つの案のうち、半分は「はっきり言って、デザインじゃない」と言われた。
「かろうじて、二つはデザインらしき、苦労のあとが忍ばれるけど、それだって、今までのパンフレットの範疇を越えていない」
途方に暮れる、というのはまさにこういう状態である。
「質のいいパンフレットを見たり、雑誌を見たり、K住さんはもっとビジュアルを鍛えなきゃだめだよ。活字ばかり読んでいてもだめ」
まったくもってその通りである。テレビも見ず、映画もほとんど見ず、雑誌も読まない私は、日々、新聞と本と資料のみで生きているといってもいい。読みたい本が次から次へとあるというのに、大して読みたくもない雑誌を読む時間も、その必要もないと今までは思ってきた。
でも、今は違う。……わかっちゃいるれど、ビジュアル系に弱いという意識がどうしても先に立ってしまう。
「絵から入るのがだめなら、言葉から入ればいいじゃん」
「言葉から……?」
「この商品に対して、あなたは何人もの人に会って、その場所にも行って、あなたなりにこの商品に対する思いや、関わっている人たちから学んだことがあるでしょう。そういうものを一度自分なりに咀嚼して、文章なり言葉なりコピーにして、それをビジュアルとして表現することを考えればいいんだよ。今のままじゃあ、今あるものをただ組み合わせただけでしょう」
「一度、自分の中で咀嚼する……」
これは小説を書くときも、まったく同じことがいえる。今ある原稿をそのまま書き直してもいいものは生まれない。一度、すべてを白紙に戻し、その上で自分の中に何が残っているか、何を書きたいのか、何を表現したいと思っているのか、ゼロから書き出してこそ、はじめて純度の高い、いいものが生まれる。
絵を文章に置き換えると、少し、わかるような気がした。
さて、宿題は再提出となった。
一度すべてのものを白紙に戻すのは、苦しく、恐い作業だ。咀嚼して何が出てくるか、まったく見えないから。120のものが生まれる可能性もあるけれど、ゼロかもしれない。
「何もかも初めてで、覚えること、勉強することばかりで楽しいです」
S木くんの言う「楽しい」は、「苦しい」と同意語でもある。
まさに「難行道」を行く。