なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

一日のうち、あまりにいろいろ考えた

2006-05-25 21:53:25 | ビジネスシーン
締め切り原稿があると、なぜか小説を読んでしまいたくなる習性に打ち勝てず、かなりキビシイ状態になってきた。なので、午前中、自宅で原稿書きをさせてもらうことにした。仕事を休ませてもらっての執筆なので、気持ち的には追いつめられ、書かなきゃいけない状態を作り出すことができる。いやあ、ありがたい会社です。

お昼近くに出社すると、S藤さんはカヤッキングの講師 上野裕晃氏ととにも、第2回講座の会場となる気田川の様子を見に行っていた。
2週間ほど前、S木くんと私には、パッケージデザインの宿題が出ていたのだが、その宿題がすんでいないにもかかわらず、S藤さんは「第2弾の宿題!」と言って、ホームページ案作成の宿題を出した。大まじめが二人組が、大まじめに悩み、大まじめに議論するさまを見て、S藤さんはなにやら面白がっているふしがあるようにも思えるのだが、大まじめな二人だけに、今日も大まじめに話し合った。

で、問題になったのは「ミスマッチ」と「奇をてらう」ことの違いである。
ちょうどそんなとき、建築家のT橋さんがあらわれたので、建築における「ミスマッチ」と「奇をてらう」についての意見を聞く。
でも、よくわからなかった。私の場合、実際の建築を見る実体験があまりに少なすぎると実感した。
いろいろな建物を、もののわかる人と一緒に行きたいと切実に思った。
「ほら、この角度からこう見てごらん。こういうことがわかるだろう」という解説付き。でももしかしたら、それはズルなのかもしれないとふと考える。
時間をかけて自分でわかるようになることと、わかる人から聞くことを、どう考えればいいのだろう。
昨日、建築家のO澤さんはこう言った。
「建築を見るとき、写真ばかり撮っていると魂を吸い取られる」
自分の目で見ろ、ということだ。とすると、人からその建築観を聞くことは、自分の目を持たないことにならないだろうか。新たな疑問が次々とわき起こるたび、自分でつくづく面倒くさいヤツだなあと思う。

さて、そんなところへ、上野さんとS藤さんが帰ってきた。真冬でもゴム草履でやって来て私を驚かせた上野さんは、やっぱりゴム草履をはいている。真冬でもゴム草履なのは彼の美学だとS藤さんが言っていたが、初夏にゴム草履を履くのは「美学」なのか「機能」からか。

それにしても、上野さんの話術はすごい。何気なく話を聞いている私を、あるときは怖がらせ、あるときは行きたくさせ、また怖がらせる。何が何だかよくわからないうちに、「まあ、とにかく行ってみよう」という気にさせる。熱意と誠実さと力の抜け具合と不誠実さとサービス精神が、絶妙に混ざり合った絶妙な話しぶり。
その合間に、文学の話やら、生き方についての話にも及び、私の頭は混乱する。
大きな身体とすっと伸びた背筋、そしてゴム草履からは、とてもシンプルなものを感じる。「人を混乱させる話術」に隠された、上野さんの一面なのかなとふと思った。

さて、そんなこんなで、今週末はカヤッキング初体験。
原稿の締め切りは迫り、宿題の山はちっとも減らず、さあ、どうなることやら。