昔の望遠鏡で見ています

昔の望遠鏡による天体観望と、その鏡景写真についてご紹介します

望遠鏡は時を超える

2022-01-21 | 天体望遠鏡
 実家に昔、脚の付いた家具調のステレオがあった。床の間に置いてあったせいか低音が反響し、およそ原音再生とは程遠いものであったが、洋曲の ’ ルート66 ’ や五木ひろしの ’ 夜空 ’ を、兄達が聴いていたのを憶えている。自分が初めて買った ’ エーゲ海の真珠 ’ を、胸をときめかせて掛けたのもこのステレオだ。あの頃のステレオは真空管方式だったので、裏から見ると真空管が赤い炎のように見えていたのが懐かしい。もう一度あの音を聴きたいのだが、もし手元にあったとしても、補修部品が無いために鳴らすことは難しいだろう。

 星に興味を持つと、欲しくなるのが望遠鏡だ。親には直ぐに飽きると思われたようだが、ボロボロになるまで読んでる天文雑誌を見て、本気なのだと気付いたのか、念願だったT社の65S機を買ってもらうことが出来た。初めて組み立てた時に、黒い赤道儀に載った白い鏡筒を格好良いと思ったことは、今でも忘れない。三脚の組み立てが面倒になり木製のピラーを自作したりして、庭から星を眺めていた。友人と太陽投影をする際に、いかに高温になっているかを確かめるために、レンズの後方にセロハンをかざしたところ、すぐにメラメラと燃えあがり、その燃えかすが接眼鏡にくっつき慌てた事もあった。こするとポロポロと取れ、接眼レンズが無事だと判った時は、安心したものだ。この望遠鏡は、一時期手放した時もあったが、どうしても気になり、再び中古品を入手し現在も愛用している。

 共に約半世紀前の製品であるが、ステレオは鳴らすことは出来ないが、望遠鏡は支障なく覗くことが出来る。望遠鏡の主要な構成材料が、ガラスと金属ということは、保管とメンテナンスをしっかり行ってさえいれば、古くとも立派に機能するということだ。この事は、古スコ愛好家にとっては幸いな事であるが、別の視点から言えば、古スコがガラスと金属からできているからこそ、古スコ愛好家は古スコを好きになるのかもしれない。なぜなら、透きとおったガラスと光り輝く金属は、我々にある種の永遠を感じさせるからだ。

 昔の鏡筒に、オリジナルの接眼鏡を取り付けて見え方の追体験を行うのもよいし、最新鋭の接眼鏡を差し込んで対物レンズの性能を一層引き出して楽しむのもよいと思う。これからも、時を超えて存在する望遠鏡を、楽しんでいこう。

 65S機と同時代のT社の5cm鏡筒を、紹介する。


 口径50mm、焦点距離700mmである。鏡筒の塗装が剥がれているが、そのほかに損傷している個所は無いようだ。





 特徴の一つが、対物部の蓋がねじ込みになっている事である。しっかり蓋がされ、少々手荒に扱っても、ゴミが入らない構造になっている。実際に昔の友人の一人は、この鏡筒をリュックに入れて山に登ったと言っていた。



 対物レンズの飾り環に入っている会社のマークが、小さくて可愛い。



 接眼筒は、122mm程度伸縮する。滑らかな動きには、感心させられる。
 

昔の望遠鏡への興味

2022-01-14 | 天体望遠鏡
 昔の学友と、話す機会があった。一人はテストの答案が返される時に、「チラッと見えたぞ、赤点とっただろう!」などと言ったりする、愉快な友だ。海外への赴任もあり苦労も多かったようだが、今は退職し趣味三昧の生活を送っているという。その一日は、昼前はパチンコ、そして午後はスキーを再開するためにトレーニングを行っているというのだが、その内容が面白い。パチンコ屋では、初めに知り合いに挨拶をしながら出玉の調子を確認するのだが、十人以上いるのでそれだけで時間が掛かり、自分が球を打つのは少しだけなのだそうだ。そしてトレーニングは、神社の階段を、足にウエイトを巻きつけて登るのだという。それを聞いて、星飛雄馬みたいだと皆で笑った。水泳部だった別の友人は、沖縄にダイビングに行くのだと言っていた。それらを聞いて、みんな若いころの趣味を発展させ、楽しんでいるのだと思った。自分が話す番になると、「今でも星を見ているのか」と聞かれる。星好きなのを知られているのは、その頃に長時間を過ごした喫茶店で、よく宇宙の話をしていたからなのだろう。

 これまで、ずっと星を見てきた。いや、街中に住む身なので、ずっと星の事を考えてきた、というのが正しいのかもしれない。当然、道具である望遠鏡にも目が向くことになる。そしてある種の人間は、新しいものにではなく、昔の望遠鏡へ関心が増していく。

 昔の望遠鏡への興味は、三つの種類に分けることが出来るように思う。一つは、過去の銘機が持つ造りの良さや優美な姿への興味だ。特に長焦点屈折鏡は、格好が良いし、金属部品には職人の手業を感じさせるものが多いので、多くの天キチを魅了することになる。二つ目は、子供の頃に手にすることが出来なかった望遠鏡への憧れから来るものだ。望遠鏡は高価なので、この感情を持つ人も多いと思う。また広い意味では、御三家の望遠鏡もこの範疇に含まれるのかもしれない。三つめは、個人の感性をくすぐるもので、これは人それぞれの分野があるのだろう。

 島津の珍しい6cm屈折鏡筒である。先の分類では、三番目であろうか。島津と言えば、かつてサラリーマンであった田中氏が、ノーベル賞を受賞した時はとても嬉しかったのを憶えている。当該鏡筒は、おそらく学校に納入するための製品の一つで、OEMだと思われる。



 小型の木箱に収納されており、太陽投影板や正立プリズムも一緒に入れられている。



 今の基準から見ると、対物レンズの箔はやや大きい部類のようだ。




 接眼部は、梨地塗装である。無垢から削り出された微動ハンドルが美しい。 
 
 このような小型の鏡筒は扱い易く、しかも箱入りで保管もしっかりできるので、生徒向けには最適だと思う。