昔の望遠鏡で見ています

昔の望遠鏡による天体観望と、その鏡景写真についてご紹介します

90S赤道儀

2021-03-26 | 天体望遠鏡
 タカハシの90S赤道儀は、手頃な大きさの高精度な赤道儀だ。庭には90S用ピラーを据え付けていることもあり、設置も容易でよく使っている。90という番号が何を意味するのか、正確には判らないが、初めて世に出た際に口径90mmの鏡筒がセットになっていた記憶があるので、その口径を使ったネーミングなのかもしれない。最近の星まつりでは、同社の12cmのアポ鏡筒を載せているのも見たことがあるので、用途はかなり広いのではないかと思う。

 90S赤道儀を初めて見たのは、昭和の頃の友人の下宿だった。同じ市内でも不案内な町で、狭い路地を迷いながら行った覚えがある。部屋は中学校の校庭が見える8畳間で、引っ越してきたばかりで物も少なかったのだろう、とても広く感じるところだった。星好きの集まりだったので、しだいに望遠鏡の話になった。そして押入れの段ボール箱から出されたのが、黒色の90S赤道儀だった。ずしりと重くクランプされていない鉄の塊は、どこを持っていいのか判らなかったが、とにかく精悍な出で立ちというのが、第一印象だった。鏡筒も見せて貰ったのかもしれないが、憶えていない。きっとこの赤道儀の印象が、強かったのだと思う。

 それからだいぶ時間が経って、一軒家に住むようになり考えたのが、手間を掛けずに星を見るには、どうしたら良いかということだった。考えた末、三脚をその都度組み立てるのは大変なので、庭にピラーを設置し、室内に保管した赤道儀を出し入れすることにした。赤道儀はかっしりしたものにしたいので、タカハシは外せない。その頃の候補には、EM10とEM200、そしてNJPがあった。まずEM10は積載可能な重量が7kgと、少し物足りなかった。ただその上のEM200になると、ちょっと大きすぎるのだ。ましてNJPに至っては、移動には台車が必要と聞いていたので、そもそもピラーの上まで持ち上げられないと思った。その時に思い出したのが、90Sだった。当時は、バブルの時期だったので、地方都市にもタカハシの代理店があった。郊外の眼鏡屋さんで、屋上に天文台も設置してある店だった。そこに聞いてみると、なんと製造中止になって、在庫が無くなったばかりだという。ひどくがっかりしたが、中古品もよく出回っていたこともあり、ほどなくして、古いがきれいな個体を入手することができ、これが現在の愛機となった。ベアリングで支えられた各軸はスムーズに回転し、クランプもフィーリング良くしっかり締まる。加えて、ぎりぎりではあるが膝の上に載せることが出来る大きさなので、その動きを手に取って確認できることも良いところだと思う。




 HD4が付いた90S赤道儀。

 ちょい見の時など、手動で動かすことが出来るのも大きな利点だ。ただし、高倍率で見る場合には、現代人にとってモータードライブは必須と思う。これに関して、最近気になることが一つある。それは90Sにも使える汎用モータードライブの製造が、終了したということだ。販売店に聞いてみると、今のところ再販の予定はないという。一方、具合が悪ければ修理は受け付けるとのことだったが、古いものであるから直らない可能性もあるのではと心配になる。
 そこで、手元にあった一世代後のP2Z用のHD5を90S用に使えないか、試してみることにした。P2Zも90Sも、ともに歯数は144で軸径は9mmである。ただし、赤道儀からのサポート金具が異なり、またその取付方法も異なる。大きな違いはモータードライブのハウジングの鉄製のパネルの穴に、P2Z用はねじが切ってあるが、90S用は切っていない(下の画像の黄色の矢印参照)ということだ。それでは、この部品が交換できればということで、試してみた。その結果、取り換えは可能であった。このことから、モータードライブが不調になった際には、他機種のモータードライブを入手できれば、取付できる可能性があることが判った




 P2Z用HD5モータードライブ。



 先のHD5のギアを外し、ハウジングの一部(灰色のプレート)を交換したところ。
 
 タカハシの赤道儀は丈夫で長持ちであり、昔のものを愛用している人も多いと思うので、汎用のモータードライブの製造をお願いしたいものだ。

  *実際に90Sへは取付ていないので、行う際には慎重に実施願います。


抱影のお気に入りの一節

2021-03-19 | 野尻抱影
 野尻抱影は、近所に住む志賀直哉に、望遠鏡で星を見てもらったことがあった。この時の様子は、星三百六十五夜の9月26日「初対面」に紹介されている。これが縁で交友が始まり、その後志賀には、「星の美と神秘」の序文を書いてもらっている。そして、その序文の中には、志賀から見た当日の様子が描かれている。
 
 ” 秋、空の澄んだ夜、野尻君の望遠鏡で星を見せて貰った事がある。野尻君が望遠鏡で星を捕らえ、更って私がそれを覗くのだが、星も動くし、私もつい望遠鏡に触るので、直ぐ見失って了ふ。一度見失ふと私では却々それをレンズに入れる事が出来ない。さういう時、野尻君は直ぐ又捕へ、いろいろ説明してくれるのだが、聞いてゐる私よりも、話す野尻君の方が余程嬉しそうだ。”

 さすが優れた文豪は、我々にも通じる星を見てもらう側の心理も、一瞬でお見通しのようだ。

 ある時に抱影は、志賀に頼んで、「暗夜行路」の一節を原稿用紙に浄書してもらったという(野尻抱影-聞書 ” 星の文人 ” 伝(株)リブロポート1989 石田五郎著)。敬愛する作家に、お気に入りの文章を、自分のために書いてもらったのだから、最高の宝物になったに違いない。

 手元に、その表紙の見返しに、抱影自筆の ” ナイルの星 ” と題する文章が書かれている「星座めぐり」(研究社 昭和5年第三版 野尻抱影著)がある。この本には、抱影による石田五郎様というしおりが差し込まれていることと、入手した際の、石田五郎蔵書と思われるため、入手したそのままの状態で送る旨の書店のコメントから、野尻抱影が石田五郎のために浄書し、贈呈した書籍ではないかと考えている。この ” ナイルの星 ” の出典が、どこにあるのかと探して見ると、抱影の「星座風景」(研究社 昭和6年)の ”「ナイル河の星」シリウス ” の一節であることが判った。これらから考えると、この本は抱影がお気に入りの文章を万年筆で書き、よき理解者である石田五郎に贈ったものなのではないのかと思う。先の暗夜行路の件から想像すると、抱影はこの一節には深い愛着があったのであろう。事実、黙読してもその場面が眼前に広がるような名文であるし、音読しても流れるような名調子なのである。

 抱影の文字は独特の筆跡で、なかなか読めないものであるが、それでも何度も見ているとある程度は判読できるようになってくる。星座めぐりの表紙裏に書かれた文字をほぼ解読し、残り数文字を残すばかりになった時に、その出典が星座風景の一節であることが判った。その後、それぞれを比較することにより、読めなかった文字が何であるのかを知った時には、まるでロゼッタストーンを発見したかのような喜びを感じた。


 題名は、「ナイルの星」。最初の行は、「沙漠の夜はまだ明けてゐない」。次の行は、「月夜の下のデンデラアの古刹である」と思われる。(星座風景の中では、古刹ではなく殿堂と書かれている。)

星に助けられた

2021-03-11 | 日記
 あの日は、管理している山中の施設に向かった。最後の曲がり角、見るのが怖くて、先に進めなかった。大きな被害はなかったが、それでも配管からの漏水があり、徹夜で排水作業を行った。雪深い急傾斜の道を登る際に、空を仰ぎ見ることになるのだが、星が見えたかどうかは憶えていない。食料が無く困っていたら、地元の人が分けてくれた。管理事務所では自家発電があったので、テレビは見ることができた。食べ物を持ってきてくれた人たちと、沿岸部の影像を無言で見たことは忘れない。
 そのような状況が続いたのだが、それでも星のことを想うと、心は少しだが安らいだ。この時も、星に助けられたのだと思う。


趣味は望遠鏡です

2021-03-05 | 日記
 写真を趣味とする人が、「趣味はカメラです」と言うことがある。
 子供が小さかった頃、ディズニーランドに行った際の列車の中に、中学生くらいの二人の娘さんを連れた家族がいた。その窓際の棚に置いてあったお父さんのカメラは、黒塗りのニコマートFTN。軍艦部の角の部分の塗装がいい具合に擦れて、下地の金属が見えている。この頃は、動き回る子供を写すために、オートフォーカスのKISSを使っていたが、そんな立場から見ると実に絵になる風景だった。きっとこういう人が趣味を聞かれたら、「趣味はカメラです」と言うのだと思う。

 ドライブが好きな人が、「趣味は車です」ということもある。
 大昔だが、実家の近くに産婦人科があった。奥さんが入院していたのだと思うが、ヤンキーっぽい若いお兄さんが、路上で一生懸命に車を磨いていた。幼かった私がちょっと触ったのだろう、「汚い手で触るな」と怒鳴られた思い出がある。これから父親になる人が、些細なことで小さな子供を怒るというのも、どうかと思うが、あの当時、まだ車を持つのが一般的でなかったので、そうもさせたのかもしれない。このような人も趣味を聞かれたら、「趣味は車です」と言うのだろう。

 かつて近くの小学校で、星の教室を行っていたこともあり、「今も星見ているのですか」と町内の人によく聞かれる。職場でも、「星を見るのはいい趣味ですね」とか「上を見すぎて、穴に落ちないで下さいね」などと、言われたりしている。このような私の趣味は、何と言えば良いのだろう。普通は「星を見るのが趣味です」とか、学究的な響きがあるので少し気が引けるが「趣味は天文です」などと言う事が多い。しかし、真の心から言うと「趣味は望遠鏡です」なのである。しかしこれは、先の例に反して、一般的には理解されない。

 カメラや車は、普通の人も所有し、その素性を理解できるものであるから、先の表現も成り立つのだろう。望遠鏡は、そういう意味では特殊なのだ。望遠鏡は、星を見る道具に過ぎないけれども、その星を見るのを趣味とする人のなかに、その趣向に一部突然変異を起こしている人たちがいて、その人たちの趣味は望遠鏡なのである。
 これからは趣味を聞かれたら、相手を良く見定めて「星を見るのが趣味です」と「趣味は望遠鏡です」を使い分けていくことにしよう。



 ビクセンのドイツサイズ接眼鏡のショーケース。昔のカメラ店などに飾られていたのだろう。



 接眼鏡は、黒い台にねじ込めるようになっている。ここでは、ミザールの接眼鏡を使ったが、ぴったりだった。