大倉草紙

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【東京】 冷泉家 王朝の和歌守展 (東京都美術館)

2009年12月20日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月19日(土)


最終日直前の昨日、「冷泉家王朝の和歌守展」へ行く。
和歌や書に特別な興味があるわけではないのだが、以前、テレビで冷泉家に関する番組を見てからというもの、京都に唯一残った公家である冷泉家に関心を抱くようになったのだ。
以来、京都御所を散策しながら「冷泉さんもここを散歩しているんだよなあ」と思ったり、そのそばの冷泉さんのお宅の前を通っては何とも譬えようの不思議な気持ちになったりしたものだ。
冷泉家の前の今出川通りは、舗装された道路を当たり前のように車が行き交う。
近くはゴミの収集所になっていて、カラス除けの青いネットが置いてある。
同志社大学の洋風の校舎が偉そうに建っている。
でも、塀の向こうには貴重な和歌集の眠る蔵があり、主家では古くからのしきたりに則った歌会が催されているのだ。
塀を越えた向こうの空間だけ、歴史の密度が違うような気がする。

そんなわけで、会場を入ってすぐに展示されている京都御所周辺のパネルからしてとても面白く感じられた。
展示品の数は夥しく、しかも、国宝や重要文化財に指定されているものが多い。


国宝『明月記』藤原定家自筆


重要文化財『仲文集』藤原定家監督書写


『光格天皇宸翰』

よくこれだけのものが、これだけ良い状態で残ったものだ。
冷泉家の蔵は、火災の際に屋根を落とすことのできる置屋根という構造を持っているそうだ。
それで、天明の大火(1788)でも、蔵は類焼を免れることができたのだという。

1980年年4月4日付の「朝日新聞」朝刊1面がパネルになっている。
「冷泉家古文書を公開 定家の『明月記』確認」という見出しが躍る。
勅禁により公開を許されていなかった冷泉家の和歌の典籍類を、24代目当主である冷泉為任氏が公開にふみきったというのだ。
「今日よりは重き戸開き世に出(いだ)す遠つ御祖(みおや)の水茎のあと」
これは、蔵の公開にあたって、冷泉為任氏の妻・布美子さんが詠んだ歌。
冷泉家が公開を決心するまでの心の内が伝わってくるようだ。