やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の小さな麦酒屋さんの奮闘記と、訪れた仲間たちのブログです

自殺大国の許されない救済方法

2013-12-01 13:26:27 | 日記
“人身事故でさぁ…”

遅れてきた方が顔色ひとつ変えずに言う。
あまりにも毎日、あちこちで起きるために、私たちはそれを日常の“些細な”こと、単なる迷惑話にしている。

“人身事故ってさあ、やっぱ飛び込みとかなのかなぁ?”

“そうなんじゃない”

都心部に住んでいると(町田が都心かは置いといて)日々起きる人身事故。


そう、日本は自殺大国。

ここまで来ると、国も改革が必要なんじゃないかって思うよ。


私も深く考えちゃう方なんで、悩みは尽きない。

だから呼んでしまうのか?自分の悩みも多いのに、人に相談されて仕方ない。

そう言う人は、閉店間際、閉店後、定休日に顔を出すことが多い。

仕事、就職、恋愛、生き方…
聞き流せたら良いのだけど、一緒に悩んでしまう。
やけ酒も明け方まで付き合ったことも多々ある。
精神科、占いでさえお金取ってるのに、水商売は割に合わない。

気持ちも分かるし嫌なんじゃない。

そうして心から親身になって何とか助けようとしてしまう。
しかも口が固いので自分の中にたまっていくばかり。

ところが、そうして私を悩ませた方に限ってプイと居なくなる。

私の中に蟠りだけが残る。

もうどうしていいのか分からないよ


昨日、行きつけの珈琲店でそんな話したっけ…

ここのオーナーは全然話を聞いてない。
しかも、必ずバラす( ̄▽ ̄;)。

“マスターに相談するのは拡散希望を意味するよねぇ”

彼の奥さんもそれを笑って聞いている。

彼女も愉しい人で、某ビアバーの店主の物真似をしてくれたことがある。

“うんうん”
“なるほど”

聞いてるようで聞いてないって皆で笑う。

聞き流し講座開いてくれよぉ…(´;ω;`)


いかんいかん。前置きが長いね( ̄∇ ̄*)ゞ。


死にたいほど悩むこと、消えてしまいたいと思うこと、誰だってある。

でも、私には救いたい命がたくさんある。

話すと完全にアウトな壮大な妄想。

“自殺したい人たちを集めて安楽死させてくれる施設”を作りたい。

場所は富士山が目の前に見える空気の良い所。隔離施設ではあるけれど、とても広い敷地。


入所には資格は要らない。

まず、面接があって、重度によってランク分けされる。

重症患者は個部屋で、執行日まで一月くらいの猶予を与えられる。

執行もベッドで寝たまま。
眠っているうちに逝かせてあげたい。


そうでない患者はランク別に共同生活をさせる。

断っておくが、刑務所ではないし受刑者でもないから、色彩のない世界にはしたくない。

壁は濃いめのアイボリー。
なるべく木材を使いたいなぁ。

食器も陶器でスペイン辺りの模様が入っているのがいい。

庭には芝生、大きな樹がいくつもあって、その下にはベンチがある。

ブランコも欲しいなぁ。

一日三食、栄養のある食事が与えられる。
低アルコール…ビールもいいねぇ。

夜明けから消灯まで自由にしていて構わない。

毎日美しい富士山を見てゆっくりする。

それだけで、生きる希望をもらえるかもしれないって思うんだ。

そうでなくとも、同じ苦しみを持った仲間がいるってことは、スゴく心強いんじゃないかって思うんだ。

また、社会復帰して頑張ってみようって思えないかなぁ…


悩んでいる時、誰もかれもスゴく眩しくみえる。

自分だけ取り残された気がする。

自分なんか居なくてもいいんじゃないかって思う。

自分なんか死んだ方がいいんじゃないかって思う。

“生きていれば必ずいいことあるよ”

って言われてもスゴく嘘っぽく聞こえる。

実際、いいことあるかもしれないが、悪いことだってまたやって来る。

誤魔化す、耐える、気にしない

それしかないのだよ。




それしかない。






人の見た目、声、表情筋に私たちは左右される。

話した、書いたワードに騙される。

逆に、自分もそうしているはずなのだ。


明日はないかもしれない。
今そこにいる人は二度と会えないかもしれない。
やっておけば良かったと思うかもしれない。

だから、言えるうちに言う。
嫌われたって誤解されたって仕方ない。

やれるうちにやる。
失敗したってやりなおせばいい。


私はそうやって生きている。

生きたかった人の分まで…





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