弟(草太) 「姉ちゃんはお気楽やな。家の事はみーんな俺に任せて。」
姉(鈴愛) 「はぁ?何言っとる?草太の進学のために家のお金皆残した。」
弟 「勝手に“漫画家になる!”って東京出といて!」
姉 「………。あんたも…どっか行きたかった?」
弟 「(黙る)いや、別に俺は何もないけど、ここを出て遠く行って、夢を叶えるとか、ちょっとええな。遥かな感じがして。」
姉 「遥かかぁ…」
弟 「いやそりゃ姉ちゃんが大変なの分かっとるよ。分かっとるけど…
ちょっと羨ましいって思ったことはあるかな…。」
姉 「(黙る)………泣き虫なお母ちゃんや、面倒くさいお父ちゃんや、ナイーブなお祖父ちゃんや、つくし食堂や、蛙になった廉子お祖母ちゃん。みんな見とってくれてありがとな!」
弟 「(微笑んでうなずく)」
(連続テレビ小説“半分、青い”より抜粋)
私自身弟が二人いるお姉ちゃん。
すぐ下の弟との思い出はほぼ同じ。
何て言ったって物心ついた頃から一緒にいる。
同じものを見て
同じものを聞いて
同じものを食べて
同じように育った。
ところが末っ子とは少し離れた五つ違い。
その子が母のお腹に宿って、母がつわりで苦しんでいる背中をさすった頃から知っている。
妹が欲しかった私と、弟が欲しかったすぐ下の弟とで言い争ったりしたっけ。
生まれたのは小さな産院。
だから母も産まれた末っ子とも一緒の部屋で、駆けつけた父や弟とお見舞いに行ったっけ。
妹がいいと思っていた私だったけど、産まれてきた末っ子のあどけなさ、頼りなくすがってくる可愛さと言うものを、姉として初めて知った。
私にとって弟はあの子だけだ。
自分も子供なのによく面倒を見た。
泣いたらオルゴールのスイッチを入れに行って、頭の上でくるくる回るのを喜んでいたっけ。
お風呂にも入れた。
歩けるようになった頃。
風呂から出てきたあの子は服を着たがらなくて部屋中を駆け回った。
捕まえてオムツを履かせている途中にオシッコしちゃったり、だからディッシュを被せて履かせるようにしたり。
オムツも布だった。一枚を三角にもう一枚を長方形にして、器用に巻いてあげた。ベビーパウダーはたくと喜んだ。
成長するにつけ、私の邪魔をするようになった。
作っているものを壊し
ものを投げ
わざと泣いては私を困らせた。
友達が遊びに来ても必ずついて来るので
正直時には邪魔だった。
一度走ってまいたことがある。
角を曲がって、ついて来ないのを確認してホッとしたと同時に、急に心配になった。
結局引き返したら座って泣いていた。
「一緒に行こう」って手を出したら泣いていたくせにニヤッと笑った。
やられたー!と思ったけどすでに遅し
「ごめん、弟も一緒でいい?」
私の子供時代は子守りだった。
あの子の眉辺りに傷がある。幼い頃階段から落ちたものだ。
実は私も同じ場所から落ちて同じ場所に傷がある。(そこだけ眉毛が生えない)
弟が大の方をもらして私と上の弟がそれを「汚い」と言って二階の部屋に入れなかった、その直後落ちた…。
病院に連れていく母の自転車の後を、自分の自転車で追いかけ、手術している間ロビーでずっと泣いていた。
“私のせいだ”
そう思った。
看護師さんに「優しいお姉ちゃんだね」って言われたけどそれは違うと思った。
心から悪いと思った。
小学校に上がるとランドセルに明日の準備をさせるのも、必要な雑巾を縫うのも私だった。
宿題もさせて、勉強も教えた。
両親共働きだったので、早く終わった弟は私の教室を訪ねてくる。
当時は緩かったから私の隣で授業を一緒に受けていた。
夕飯用に机の上に置いてあったお金で、二人の弟と近くの食堂に食べに行ったこともしょっちゅう。
けれど、自分でも飽きてきて、夕飯を作るようになった。
朝新聞に入っている広告を見て、学校帰りに何を買うかチェックした。
背が低かった私は、トイレットペーパーを持ち帰るためには、腕を上げて歩かなくてはならずにキツかったことすごく覚えてる。
私が作った料理を弟たちは喜んで食べた。本当に可愛かった。
弟が父に殴られそうになるのを止めて私が殴られたこともある。
(書いていて涙が出てる)
どうやら末っ子はあまり覚えていないどころか「いつもいじめられた」という記憶に置き換わっているようだ。
そして、敵わない優等生からここまで堕落した私をなじる。
子育てなんて報われない。
幸運にも素敵な奥さんに恵まれて、可愛い子供が三人できて、好き嫌い激しくワガママに育ったくせに厳しい父親をやっている。
姉と弟という関係は他の兄弟関係とはどこか違って特殊だと思う。
弟たち。
二人とも、どうかいつまでも末長く健康に幸せで。
笑顔絶やさず私のぶんまで生きてください。