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ヴィクトル・アン、ロシアのショートトラックを未曾有の高みに引き上げる

2014年02月23日 | 国際

特集: ソチ2014(222 記事)

22.02.2014, 13:57
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Виктор Ан шорт-трек

 
Photo: RIA Novosti

   ソチ五輪、ロシアはショートトラックで5つのメダルを獲得した。金3枚、銀1枚、銅1枚。有終の美を飾ったのは男子5000mリレーの金メダルだ。バン クーバー五輪時点では、ロシアチームに金メダルの期待をかけることなど酷というものであった。当時ロシアチームは20位に終わった。ファイナル進出はおろ か、メダルなど誰も期待するところではなかった。それが今や、ロシアは世界最強のチームに成長したのだ。その勝利に貢献したのは、五輪で通算6枚の金メダ ルを獲得した「勝利者」、28歳のヴィクトル・アン選手だ。

   ヴィクトル・アン選手は2006年のトリノ五輪で3冠を達成した。当時の名前はアン・ヒョンス。韓国代表だった。しかしその後、大怪我を負い、バンクー バー五輪の出場はかなわず、事実上、選手のリストから名前を除かれてしまった。そこで一念発起、2011年にロシア国籍を取得し、「勝利者」を意味する ヴィクトルという名前をとった。その名前が勝利をもたらしてくれることを信じて。

   迎えたソチ五輪、アン選手はトリノの勝利を再現した。1000m、500m、そして5000mリレーで金メダルを獲得。さらに、1500mで銅メダルを獲得した。一方の韓国代表は、メダル無しに終わった。

   アン選手は、五輪における自らの夢を叶えることを助けてくれたロシアに、感謝の意を述べている。韓国に何か当てつけるようなことははなから頭にない、とアン選手は語る。

   「選手なら誰でも、よい結果を出したいと考えるものだ。でもそれは、誰かに何かを誇示することとは違う。単純に、よい結果を出したい、それが選手の目標な のだ。五輪に参加すること自体が、私には非常に重要なのだ。私はチームメイトたちに感謝している。私たちが最後まで戦うことが出来て、私はうれしい」

   ヴィクトル・アンを選手としてチームに受け入れることは、ロシアスピードスケート連盟にとっても、リスクであった。アン選手の怪我はそれほど深刻なもので あった。それに、アン選手が良い成績を出すまでに、しばらく時を待たねばならなかった。多くの関係者が、アン選手に懐疑的であった。ロシアスピードスケー ト連盟のアレクセイ・クラフツォフ総裁は次のように述懐している。

   「ヴィクトルがロシアに来たとき、我々は医学的な診断を行った。医師たちは驚いていた。『この選手に一体何を期待しているんです?』と私に聞いたものだ。 彼を五輪に出場させようと思っているんです、と答えると、医師たちは怪訝そうな顔をした。私たちにも分かっていた。彼は傑出した才能をもつ選手である。し かし、確かに、彼が負った怪我は深刻であり、彼が受けた手術も深刻なものであり、結果がどうなるかは予想が困難であった。結果の保証はどこにもなかった」

   しかしヴィクトル・アン選手は、彼を信じた者たちを裏切ることはなかった。彼の存在は、また、チームメイトたちに良い影響をもたらした。彼はチームの真の リーダーとなったのだ。彼の応援を得て、ウラジーミル・グリゴリエフ選手も、1000mで銀メダルを獲得した。そして五輪におけるショートトラックの最終 種目、5000mリレーでは、全選手が真のチーム魂を発揮し、見事な滑走を見せた。

   ヴィクトル・アン選手のもうひとつの偉大な貢献は、ロシアにおけるショートトラックの人気を高めたことだ。ソチ五輪のスピードスケートのファイナルは、い ずれも超満員であった。ロシア代表のトレーニング観覧のためのチケットさえ売り切れ御免であった。男子リレーの決勝では、収容人数1万2000人の「アイ スベルグ」は、あたかもアイスホッケーの決勝戦のような大歓声に包まれた。サポーターたちは声を限りに叫んだ。「進め、ロシア!」「ヴィーチャ、最 高!」。



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