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小沢昭一

2011年04月26日 | 
ラジオで「小沢昭一的心」を時々聞いていた

http://nepalreview.wordpress.com/2011/04/24/a-100/
震災後日本と小沢昭一の貧主主義

小沢昭一さんのことは、テレビでちらっと見たりエッセイを目にしたことがあるくらいで,それ以上のことは何も知らないが,たいへんユニークな,本物の芸能人ではないか,といった印象を持っていた。地に足のついた,肝の据わった希有な教養人。

その小沢昭一さんが,朝日新聞の特集「ニッポンみんなで」(4月24日)に登場,記者のインタビューに応じている。これがいかにも小沢的。震災後の「絆」キャンペーンを「ちょっとだけ心配」と軽~く弄り,いたぶりながら,その「貧主主義」で当の朝日の大政翼賛会的特集の急所を刺し貫く。朝日本人ですら,一突きで絶命したことに気づいていないのではないかな? 

「小沢昭一的こころ」はかくも凄い。凄さが見えない凄さに圧倒される。インタビューの最後の「一突き」部分は,次の通り。

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 小沢昭一「シブトク立ち直って」(朝日新聞2011-4-24)

敗戦後は日本中が「茫然自失」の状態でした。昨日までの価値観が根底からひっくり返って、ただ「茫然」とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った「自失」だったわけです。昨日まで「鬼畜米英」なんて言っていたのが、ガラリと変わってアメリカ礼賛の「民主主義」「自由」なんです。世の中、信じられなくなっちゃった。

当時は「みんなで頑張ろう」なんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精いっぱい。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。

それまでの「一億一心」から、正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようと、急に切り替わった。でも、バラバラの価値観をどう深めていくか。それは大変でも、そのために戦争という大きな犠牲を払ったわけですからね。

戦後はみんなが何もかも失って貧しかった。でもその代わり「自由」なるものを味わって、これにすがりつこうと思い、みんなが希望を持った。

「今日一日の食うものもない貧乏暮らしだけれど、今度こそ貧乏をバネに俺の好きな生き方をしよう」「大変だろうけど、やってみようじゃないか」と、一人ひとりが独立心を持った。後に私の唱えた「貧主主義」が芽生えるのです。

だかち今回、「一致協力」とか「絆」なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまた、あの忌まわしい「一億一心」への逆戻りの道になりゃしないかと、そんな気がするんですね。だから私たちの世代には「絆」ってのはちょっと怖い言葉なんです。耳にタコで、こりごりしてる。でも若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。

東北の皆さんはみんな我慢強く、ねばり強い。それだけじゃなくて、実は底抜けに明るいユーモアの心もお持ちなんです。大変でしょうが、持ち前のたくましさでシブトク立ち直っていただきたいと祈っております。 (以上,朝日新聞より引用)
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東北文化への深い理解と尊敬,東北の人々の秘められた底力への限りない信頼に基づく,心からの温かい激励だ。

この「小沢昭一的こころ」の前では,キンキン声タカ派の日本ガンバレの空疎さや,猫なで声全体主義者の思いやり支援キャンペーンのいやらしさが,たちまち露見してしまう。

政府には,復興のため,定められた職責をきちんと果たすよう要求し監視する。そして,被災された人々には,小沢昭一さんとともに,「シブトク立ち直っていいただきたい」と祈りたい。


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