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今では相当変わってますけど

だめだこりゃ

2011年04月21日 | Weblog
この人だめだ。海上保安庁のビデオ流出の英雄だけど、結局ただの排外主義、外国人排斥の人なんだ。在日外国人がどのような生活をしているか全く知らない事を告白している。車のナンバーが他地域なら怪しいのか? 発音が不自然なら怪しいのか? 君たちは怪しくないのか?

気分は関東大震災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD#.E6.B0.91.E8.A1.86.E3.81.AE.E6.B7.B7.E4.B9.B1.E3.82.84.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.81.AA.E3.81.A9
警視総監・赤池濃は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して」内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局(局長・後藤文夫)が各地方長官に向けて以下の内容の警報を打電した。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし

更に警視庁からも戒厳司令部宛に

「鮮人中不逞の挙について放火その他凶暴なる行為に出(いず)る者ありて、現に淀橋・大塚等に於て検挙したる向きあり。この際これら鮮人に対する取締りを厳にして警戒上違算無きを期せられたし」

と“朝鮮人による火薬庫放火計画”なるものが伝えられた[9]。

実際、当時の混乱の中、大衆の多くが“暴徒と化した朝鮮人”を恐れ、自警団との衝突も発生した。そのため、朝鮮人や中国人なども含めた死者が出た。朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として暴行、殺害した[10]。当時早稲田大学在学中であった後の大阪市長中馬馨は、叔母の家に見舞いに行く途中群集に取り囲まれ、下富坂警察署に連行され「死を覚悟」する程の暴行を受けたという[11]。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人が殺害されたケースもある。聾唖者(聴覚障害者)も、多くが殺された[要出典]

http://news.livedoor.com/article/detail/5504286/
物資支援団には、一色氏のほか、元警視庁捜査官でノンフィクション作家の坂東忠信氏や元仙台市長の梅原克彦氏、チャンネル桜の水島聡社長など約10人が参加。避難所に食料品や日用品を届けるため、トラック2台とワゴン車、乗用車の4台に分乗して、4月2日朝に被災地に向かった。
 翌3日午前、津波で壊滅状態となった岩手県陸前高田市に到着。がれきの山の前で車を止めて、外に出たところ、支援団の1人が得体の知れない中年女性に会ったという。坂東氏は語る。

 「メンバーの1人が声をかけると、中年女性はたどたどしい日本語で『ココからココまで、ワタシの家だったのに、みんな壊れたよ!』と訴えたというのです。アジア人なのは間違いない。表情に悲壮感はなく、乗っていた車は多摩ナンバー。みんなで『怪しすぎる』と話しました」

 一行が連想したのは、戦後の混乱期、一部のアジア人が持ち主がよく分からない土地を不法占拠したこと。大惨事の影で、土地収奪などを狙っている者がいるとすれば大問題。陸前高田市の避難所に支援物資を届けた後、この話をボランティアの地元男性にすると、「多摩ナンバーのアジア人などあり得ない」と驚いていた。

 その後、支援団は岩手県大船渡市と石巻市にある避難所を回ったが、途中、銀座を闊歩するような高級な服を着て、被災地にたたずむ老夫婦と会った。メンバーが「どちらからお越しですか?」と声をかけると、無視して立ち去ろうとする。重ねて聞き返すと、「カナガワ!」とだけ答えた。発音は明らかに日本人ではなかったという。

 坂東氏は「ともに不自然なのは間違いない。国籍に関係なく、犯罪は許されない。被災者らが自警団が結成しているというが、新たな苦難を背負わせるのは忍びない。政府主導で対応してほしい」と話している。

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