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厳寒の夜 JR北海道・函館駅舎で生活保護受けずホームレス15年の「主」を追う

2014年01月27日 | 労働・雇用

厳寒の夜 JR北海道・函館駅舎で生活保護受けずホームレス15年の「主」を追う

(01/26 10:55、01/26 15:24 更新)

厳しい寒さの中、開いた駅舎に戻る主(手前)たち=18日午前4時30分ごろ、JR函館駅

厳しい寒さの中、開いた駅舎に戻る主(手前)たち=18日午前4時30分ごろ、JR函館駅

 真冬日が9日続いた今月中旬の函館。厳寒の中で、それぞれの事情で仕事や家を失い、路上で生活する人たちがいる。JR函館駅で、「主(ぬし)」と呼ばれているホームレスの親分的存在の男性に迫った。

   ■元畳職人、足元サンダル

 冬の星座がくっきりと見える17日午後11時。屋外の気温はマイナス7度。函館駅内の木製ベンチに男性4人、女性1人のホームレスが、横になっていた。主は柱の横にあるベンチに陣取り、どっしりと座っていた。

 大きめのダウンジャケットに厚い生地のスラックス。大きなほつれや破れはないが、真冬なのに足元はサンダルだ。「この前、足首をひねってさ」。くるぶしから下が腫れ上がり、靴を履けない。「風邪をぶり返した」と激しくせき込むが、病院には行っていない。

 主は71歳。函館で生まれ育った。中学卒業後、畳職人になるため親方の家に下宿して働いた。両親は主が若いころ、亡くなった。

 50代の時に腰を痛め、畳職人を続けられなくなった。「何度かほかの仕事を探したが、体が動かねえ」。それから15年以上、駅で暮らす。収入や貯金はなく、生活保護も受けていない。

 「なぜ、生活保護を受けないのか」。記者の質問に、「家族関係を聞かれるし、親戚に迷惑がかかる」と、ぶっきらぼうに答えた。

   ■暗黙のルールで生活

 午前1時、バッグからコンビニのおにぎりや総菜を出し、食べ始めた。「駅近くの食堂に行くと、昔からの知り合いの客が『皆に何か食わしてやって』と、たまに2、3千円置いていってくれる」。

 月に2、3回もらうこの金で、主はおにぎりなどを買って、ほかのホームレスに与えている。

 函館駅には常時、7、8人のホームレスがいて、大半の人は主をリーダーとして見ている。主とそりが合わない人は駅を離れたり、駅舎の隅の方にいたりして、顔ぶれは頻繁に変わるという。

 3年前、主が親しくしている40代の女性ホームレスがいた。女性は男性を誘うため駅前で声をかけていた。「そんなことをするなら出ていけ」。主は女性を 駅から追い出した。「ホームレスにも、人に迷惑をかけちゃいけないという、暗黙のルールがある」。別の男性が主の行動を解説した。

 市内の医療、労組関係者で組織する函館地方社会保障推進協議会(社保協)によると、ホームレスになる理由としては「仕事を失う」「家庭内の人間関係」が多いという。

 社保協の支援で生活保護を受けるようになった別の50代の男性は、期間労働で新幹線工事をしていたが、契約満了後は再就職できず路上生活を始めた。

 主はこの夜、新顔の三、四十歳代の女性を見て「誰かがいなくなれば、別の人が来るんだ」とつぶやいた。

   ■未明には閉鎖

 函館駅は列車の発着がない午前3時半から1時間、閉鎖される。時間になると、ホームレスは別々に駅舎を出た。肌を突き刺すような寒さだ。主ら3人は、駅近くのホテルに向かった。

 玄関に入ると体を震わせ、大きく息を吐いた。従業員の視界に入る建物奥へは行かず、自動ドア付近で1時間、立ち続けた。駅前にある「どんぶり横丁市場」にも、駅にいた2人が“避難”していた。駅が開くまで歩き続ける人もいる。

 午前4時半、駅舎へ戻った。この夜初めて姿を見るホームレスもいた。しばらくすると主は2階に向かい、トイレに設置されているヒーターに近づき、重い口を開いた。

 「中学を出てから一生懸命働いてきたつもりだけど、生活が苦しくて年金も納められなかった。若いころは、年を取れば(生活が)楽になると言われてきたけど、ウソだね」

 夜が明け、列車を待つ客が増えると、ホームレスはそれぞれ、日中過ごす図書館やパチンコ店などに向かった。「(ホームレスに)なりたくて、なってるやつはいねえ。でも、おれはこのままでいい」。主はそう言い残し、雪の積もった街をサンダルで歩きだした。(和賀豊)



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