<平田被告公判>「仮谷さん拉致を認識」井上死刑囚が証言
毎日新聞 2月3日(月)11時33分配信
平田被告と3死刑囚の関係
元オウム真理教幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判が3日、東京地裁=斉藤啓昭(ひろあき)裁判長=であり、元教団幹部の井上嘉浩死刑囚 (44)が証人として出廷した。井上死刑囚は「全てのオウム事件の被害者、遺族の方々に心より深くおわび申し上げます」と謝罪し、教団による一連の事件の 背景には松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(58)の武力革命による国家転覆計画があったと述べた。
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井上死刑囚は仮谷清志さん監禁致死事件(1995年2~3月)について、事件前夜に中村昇受刑者(47)=無期懲役確定=と2人で平田被告を教団施設の台 所に呼び出し、中村受刑者が「仮谷さんを拉致する。ボディーガードをレーザー光線で目くらまししてほしい」と指示したと証言。平田被告が拉致計画を事前に 理解していたと指摘した。
また事件の背景を「当時は武力革命を推進しており、資金集めが不可欠だった。(仮谷さんの妹からの)お布施が必要だった」と説明。武力革命については 「麻原が『ハルマゲドン(人類最終戦争)からの救済は平和的にはできず、国家を武力で転覆してオウム政権を樹立し、日本の流れを変える』と言い出した」と 述べた。
松本死刑囚の側近だった井上死刑囚は、教団「諜報(ちょうほう)省」トップとして、多くの非合法活動に関与。確定判決によると、松本死刑囚から仮谷さん 事件を直接命じられ、実行役を率いたほか、宗教学者宅爆破、火炎瓶投てきの両事件(同3月)でも指揮役を務めた。平田被告はこの3事件で起訴され、井上死 刑囚の指示を受けたとされる。
死刑囚の尋問は先月21日の中川智正死刑囚以来。井上死刑囚の尋問は4日も続く。【山本将克】
◇井上嘉浩死刑囚の確定判決
1995年3月の地下鉄サリン事件など10事件で殺人罪などに問われた。1審は地下鉄事件での役割を「後方支援役」と認定して無期懲役としたが、2審は 「総合調整役」として死刑とした。仮谷さん事件でも1審は死亡の責任は認めなかったが、2審は逮捕監禁致死罪の成立を認めた。2009年の最高裁判決で死 刑が確定した。
最終更新:2月3日(月)12時12分
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