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デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)

私が撮影した競馬のレース写真を紹介しながら、過去のレースを振り返ります。たまに予想も。

毎日王冠メモリアル(アヌスミラビリス)

2005年10月09日 01時33分33秒 | 東京競馬場
また「ドバイの刺客」アヌスミラビリスが番手抜け出し。
短期免許で来日中のD.ホランド騎手、待望の来日初勝利は価値ある1勝。

1996年10月 6日 東京競馬場
第47回 毎日王冠(G2)芝1800m 良 12頭
1着△4[外]アヌスミラビリス 牡4(57ホランド)1:45.8 6人気
2着▲2トーヨーリファール 牡6(58松永昌)1馬身1/2 8人気
3着○8バブルガムフェロー 牡3(56岡部)クビ 2人気
単1,020 馬16,870惜しい!

第1回NHKマイルカップを好時計勝ちした…タイキフォーチュンが1人気。スプリングS以降骨折で春シーズンを棒に振った…バブルガムフェローが2人気と現表記での3歳馬が人気を分け合っていました。他では東京巧者◎ユウセンショウ、函館記念を1着降着(4着)以来の…マイヨジョンヌ、春の天皇賞以来の…ベストタイアップなどが人気になっていました。

トーヨーリファールが開幕週のグリーンベルトを活かして逃げ脚を伸ばすなか、2番手グループにいたドバイの刺客、アヌスミラビリスが抜け出して快勝。安田記念を勝ったハートレイクなど、青一色の勝負複が不気味に写った瞬間でした。

短期免許で来日していたホランド騎手も2か月目にして、これが待望の来日初勝利。目立たない存在でしたが、同騎手にとっては価値ある1勝となりました。

復調度合いが注目されたバブルガムフェローでしたが、差のない3着。初の古馬と対戦、骨折明けでもそれなりに実力を示した格好。ここを叩いて天皇賞では遠征中の岡部騎手に替わり、蛯名騎手を背に3歳(当時4歳)馬の天皇賞制覇、という偉業も達成されました。

ダンツフレーム死亡(追悼号外)

2005年08月31日 00時40分05秒 | 東京競馬場
ダンツフレーム(7歳)が28日に肺炎のため死亡の記事が・・・。
1着時の写真がなかったので、安田記念2着時の写真を急遽掲載します。

2002年 6月 2日 東京競馬場
第52回 安田記念(G1)芝1600m 良 18頭
1着△18アドマイヤコジーン(58後藤)1:33.3 7人気
2着▲17ダンツフレーム(58池添)クビ 2人気
3着…2ミレニアムバイオ(58柴田善)1馬身1/2 4人気
単1,580 馬5,800

7歳(現表記6歳)の△アドマイヤコジーンが3年半ぶりのG1勝利。朝日杯3歳S後に骨折で長期休養して以降、長く勝ち星から遠ざかっていましたが、休養明けの東京新聞杯で3年ぶりの鮮やかな復活劇。

その後は別馬のような走りで阪急杯を圧勝し、G1高松宮記念2着の勢いそのままにG1安田記念へと駒を進め、思いのほか人気になりませんでしたが、重賞2勝と得意の東京コースで完全復活。G1初勝利だった後藤騎手の涙のウイニングランが印象的でした。

京王杯4着を叩いて今季2戦目の▲ダンツフレームが型通り良化して2着。この後の宝塚記念では人気に応え、惜敗続きにピリオド。待望のG1馬の仲間入りを果たしました。

ダンツフレームは翌年の新潟大賞典でも59キロを背負って、強烈な末脚を発揮し見事な復活劇。その後安田記念で期待しましたが、アグネスデジタルの僅差5着。宝塚記念7着を最後に中央の登録抹消。荒尾→浦和と所属が変更され、その後が注目されましたが、さすがに往年の勢いはなく南関で3戦未勝利、1月の川崎記念11着が最後のレースでした。

アドマイヤコジーン 牡 1996年 4月 8日生 芦毛 橋田満厩舎
 父:コジーン 23戦6勝
 母:アドマイヤマカディ(母父:ノーザンテースト)
 主な勝ち鞍:安田記念(G1)、朝日杯3歳S(G1)、阪急杯(G3)、東京新聞杯(G3)、東京スポーツ杯3歳S(G3)

ダンツフレーム 牡 1998年 4月19日生 鹿毛 山内研二厩舎
 父:ブライアンズタイム 25戦6勝
 母:インターピレネー(母父:サンキリコ)
 主な勝ち鞍:宝塚記念(G1)、新潟大賞典(G3)、アーリントンC(G3)

七夕賞メモリアル(ロングカイウン)

2005年07月07日 01時15分19秒 | 東京競馬場
素質馬ロングカイウン、7歳にして初の重賞勝ち。

2000年 7月 9日 東京競馬場
第36回 七夕賞(G3)芝2000m 良 13頭
1着◎2ロングカイウン(52菊沢徳)2:01.1 7人気
2着…10ケイエムチェイサー(49吉永)1/2馬身 8人気
3着…9サクラナミキオー(55岡部)2馬身1/2 3人気
単1,230 馬5,970

 この年は新潟競馬場改修中のため、春から3開催続いた東京の最終日。エプソムCで2着のダイワテキサスが58キロでも1人気。目黒記念3着、エプソムC4着と東京の重賞を好走している57キロのスエヒロコマンダーが2人気。他では春にオープン特別を勝ったサクラナミキオー、4歳馬のオースミブライトあたりが人気でした。軽量ケイエムチェイサーの逃げ脚が衰えず、ただ1頭伸びてきたロングカイウンが差し切り。絶好のポジションにいたダイワテキサスは伸びきれず4着。49キロで逃げた格下馬ケイエムチェイサーにとっては、仮柵のCコースで内ラチ沿いの馬場が良かったことや、平均的なラップで上がりのかかる決着が味方したか?

 ロングカイウンは元々3歳秋に京都新聞杯や菊花賞でも穴人気になるなど素質を買われていました。3年近い休養を挟んだ後は伸び悩んでいましたが、目黒記念で4着と好走したあと、東京の1600万をステップに待望の重賞勝利。目黒記念4着のわりにハンデも52キロと軽く、面白い存在と思い本命視でしたが、相手は人気サイドで決まるだろうと思いきや、49キロのケイエムチェイサーが逃げ残り。3開催続いた東京の最終日に逃げ残りとは・・・。
競馬場が変わっても荒れる重賞らしく7、8人気で決着。そのわりに馬連配当も低く「(他のファンが)買い方上手だなぁ・・・」と思ったりもしました。ロングカイウンはこの直後また1年ほど休養、8歳になった小倉のKBC賞が最後のレースでした。

ロングカイウン 牡 1993年 3月12日生 栗毛 長浜博之厩舎
父:トニービン 23戦6勝
母:ロングドーター(母父:ハードリドン)
主な勝ち鞍:七夕賞(G3)

<撮影メモ>ニコンF90
 外ラチ沿いから400mmで撮影。角度的には、ナナメ前のこのあたりがベストか?AFならこれだけ近くなってもピント合わせはバッチリ。そこそこデキの良い1枚となりました。春の東京最終日、というと楽しみにしていた競馬場内ミニFMも秋まで聞き納め。この日は長年DJを務めて人気だった鶴田真理子さんが卒業で、最終レース終了後は引退セレモニー(大げさか?)でオークススクエアにはたくさんのTSSリスナーが集まっていました。

エプソムカップメモリアル(マーベラスサンデー)

2005年06月09日 22時53分18秒 | 東京競馬場
遅れてきた大物、こちらもサンデーの初年度産駒。
マーベラスサンデーが記念すべき重賞初勝利。

1996年 6月 1日 東京競馬場
第13回 エプソムカップ(G3)芝1800m 良 14頭
1着◎10マーベラスサンデー(57武豊)1:45.7 1人気
2着…11ユウセンショウ(57ロバーツ)1/2馬身 8人気
3着…5サイレントハピネス(55橋本広)3馬身1/2 2人気
単220 馬2,140

 こちらも忘れてはならないサンデーサイレンスの初年度産駒のマーベラスサンデー。2度の?骨折から出世が遅れたが、条件戦を5戦4勝。重賞初挑戦ながらココもあっさり通過か?という下馬評に断然の1人気。レガシーオブゼルダの妹、サイレントハピネスが2人気。珍しい?ベーリング産駒でオープン入りした評判馬ヒシワールドが休養明けでも3人気。

ミラクルドラゴンズがいつもの好スタート、東騎手のサクラエイコウオーが引っ張る流れで直線は決め手勝負。武豊騎手のマーベラスサンデーが中団から直線抜け出し3連勝で記念すべき重賞初勝利。この後札幌記念、朝日チャレンジC、京都大賞典と怒涛の連勝街道が続きます。

距離短縮で嫌われたロバーツ騎手のユウセンショウがいい脚で突っ込み2着。ダイヤモンドS、目黒記念など長距離で活躍した馬でしたが「この距離でもユウセンショウ!」という矢野吉彦アナ(テレ東)の実況が印象的で、得意な東京コースで実力を発揮しました。サイレントハピネスも後方一気で3着でしたが、前2頭には及ばず。こちらも上がり馬で期待していた○エスプレッソトニーは10人気で5着でしたが、次走中山の七夕賞でサクラエイコウオーの2着、万馬券的中に貢献してくれました。

マーベラスサンデー 牡 1992年 5月31日生 栗毛 大沢真厩舎
父:サンデーサイレンス 15戦10勝 
母:モミジダンサー(母父:ヴァイスリーガル)
主な勝ち鞍:宝塚記念(G1)、大阪杯(G2)、京都大賞典(G2)、
朝日CC(G3)、札幌記念(G3)、エプソムC(G3)

<撮影メモ>ニコンFE2
 この頃は日本ダービーの前日の土曜開催でした。雨が降り出しそうな空模様。かなり暗くなった影響でシャッタースピードも落ち「64~128分の1/秒」という流し撮りにはギリギリの遅さ。手ブレも覚悟でしたが、かえってスピード感が感じられる仕上がりになって味のある1枚となりました。この頃は「ISO=800~1600」という高感度のフィルムを使用していましたが、この時はISO=400を使用。シャッタースピードは遅かったですが、プリントを見ると800に比べて色が鮮やかに再現されていました。

中山記念以来続けてきました「重賞メモリアル」は来週からローカル開催になるので、秋までお休みします。
夏場は新馬戦や交流重賞などのレース写真を掲載していきます。

安田記念メモリアル(ブラックホーク)

2005年06月05日 02時14分52秒 | 東京競馬場
「オレを忘れるな~!」人気ガタ落ちのブラックホーク。
脚質転換で後方一気、怒りの差し切り勝ち。

2001年 6月 3日 東京競馬場
第51回 安田記念(G1)芝1600m 良 18頭
1着…17ブラックホーク(58横山典)1:33.0 9人気
2着…10ブレイクタイム(58吉田豊)1馬身 15人気
3着…18メイショウオウドウ(58飯田)3/4馬身 7人気
単2,010 馬120,600

前年の覇者フェアリーキングプローンが今年も参戦し1人気。京王杯連覇のスティンガーが2人気、マイラーズC勝ちで安藤勝騎手を確保したジョウテンブレーヴが3人気。デビュー以来、常に人気してきたブラックホークも7歳を迎え、前哨戦の京王杯もスティンガーの強襲に遭い3着。過去の安田記念も人気で敗れているだけに、「もう終わった」という下馬評で当日はなんと9人気。新聞のシルシも極端に少なくなっていました。

大胆な騎乗がウリの横山典騎手が作戦変更。これまでは先行粘り込みの脚質でしたが、巻き返しをはかるべく後方待機策。前走ダートだった15人気ブレイクタイムが先に抜け出したところを大外からブラックホークが豪快な末脚。内外離れていましたが、結果的には1馬身の差し切り勝ち。最後方待機のメイショウオウドウが3着で人気馬総崩れで馬連12万円台の大波乱でした。

ブラックホーク 牡 1994年 5月14日生 鹿毛 国枝栄厩舎
父:ヌレイエフ 28戦9勝
母:シルバーレーン(母父:シルヴァーホーク)
主な勝ち鞍:安田記念(G1)、スプリンターズS(G1)、スワンS(G2)、阪急杯(G3)、ダービー卿C.T.(G3)

<撮影メモ>ニコンF90
 「オレを忘れるな~!」とばかりに古豪ブラックホークが後方一気の差し切り勝ち。後方にためた分、末脚が斬れたか?思わぬ脚質転換に驚き。前走京王杯が1人気=3着敗戦で、今回なんと9人気で人気ガタ落ち。人気の重圧から開放された分、横山典騎手が気楽な立場で思い切った騎乗ができたのが勝因か?馬場の大外を通ったブラックホークの横山典騎手。ゴール後、カメラの目の前でのガッツポーズとともに、大歓声にも負けない「ダ~~!!」という横山騎手の大きな雄叫びが聞こえて、まさに迫力満点でした。

安田記念メモリアル(タイキシャトル)はこちら(3月11日アップ済み)

http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/e43d65b81cecc9f80b962c1ab3e5f72d

安田記念メモリアル(エアジハード)

2005年06月05日 01時48分35秒 | 東京競馬場
1999年 6月13日 東京競馬場
第49回 安田記念(G1)芝1600m 良 14頭
1着△12エアジハード(58蛯名)1:33.3 4人気
2着◎7グラスワンダー(58的場)ハナ 1人気
3着○11シーキングザパール(56武豊)2馬身1/2 3人気
単1,770 馬650的中

 グラスワンダーは前哨戦の京王杯の圧勝を受け、大目標の安田記念に単勝1.3倍の断然人気。しかし、京王杯では2着でも完敗だったエアジハードは「同じ失敗は繰り返したくない!」とばかりに、今度は追込み戦法。先に抜け出したグラスワンダーを後ろから1完歩ずつ差を詰め、並んてのゴール。

 さすがは東京コースが得意なサクラユタカオー産駒、内外離れていましたが勢いはエアジハード優勢で、蛯名騎手はガッツポーズも。当時、実況のフジテレビの「Aアナ」も「これは微妙!」という言い回しが一部の間で話題になったりもしました。写真の結果エアジハードがハナ差先着。グランプリホースを破り、春のマイル王に輝きました。

エアジハード 1995年 4月 9日生 牡 栗毛 伊藤正徳厩舎
父:サクラユタカオー 12戦7勝
母:アイシーゴーグル(母父:ロイヤルスキー)
主な勝ち鞍:マイルCS(G1)、安田記念(G1)、富士S(G3)

<撮影メモ>ニコンF90
 春の東京最終日。競馬場へ行った時、少し前から聴くようになった競馬場内ミニFM「ターフサウンドステーション(TSS)」にリスナーとしてコメントを投稿して、初めて放送で読まれたのがこの日でした。TSSはレース実況、パドックはもちろん、リクエスト曲やリスナー参加コーナーもあって、競馬場での「癒し」をテーマにした番組で、タレントの見栄晴さんや山川牧さん、鶴田真理子さんや落語家の三遊亭五九楽師匠などがパーソナリティを務めていました。

 自分の書いたコメントが番組内で読まれる、というのが嬉しいやら、恥ずかしいやらで、それ以来、競馬場内FMを聴くことも楽しみの1つとなり、競馬場へ足を運ぶ機会が増えました。残念ながら2000年にTSSは廃止となってしまいましたが、番組を通じて色んな方と知り合うことができたので、今でも忘れられない番組の1つです。

廃止が決まった頃に、ファンや関係者などからも「JRAも安易にファンサービスを削減しないでほしい。」そんなJRAへの企業体質に怒りの抗議が殺到した、という記事がスポーツ紙に紹介されていました。

 この日は撮影場所を決めずに歩きまわったので、安田記念はゴール板を過ぎた1コーナー寄りから撮影。西門付近は多少の傾斜があったので、最前列でなくても、前の人が邪魔にならずにいい写真が撮れました。

日本ダービーメモリアル(タニノギムレット)

2005年05月29日 09時47分38秒 | 東京競馬場
強行ローテーションのタニノギムレットがついに頂点に。
しかし、レース後に骨折が判明。このレースを最後に引退してしまいました。

2002年 5月26日 東京競馬場
第69回 日本ダービー(G1)芝2400 良 18頭
1着▲3タニノギムレット(57武豊)2:26.2 1人気
2着…11シンボリクリスエス(57岡部)1馬身 3人気
3着◎8マチカネアカツキ(57デザーモ)アタマ 6人気
単260 馬870

皐月賞、NHKカップでともに差し届かず3着だったタニノギムレットが強行ローテーションで戴冠。今度は不利を受けないように大外から。内ではゴールドアリュール、メガスターダム、マチカネアカツキ、シンボリクリスエスがビッシリ競り合うなかでの大接戦を制し、武豊騎手はダービー3勝目。
 皐月賞直行組が圧倒的有利でしたが、この年は
 1着タニノギムレット=NHKマイルC3着
 2着シンボリクリスエス=青葉賞1着
 3着マチカネアカツキ=プリンシパル2着
 4着メガスターダム=プリンシパル1着
 5着ゴールドアリュール=端午S1着
と別路線組が掲示板独占。6着以降にアドマイヤドン、バランスオブゲーム、ノーリーズンと皐月賞直行組が続きました。
 昨年もキングカメハメハ(NHKマイルC)、ハーツクライ(京都新聞杯)、ハイアーゲーム(青葉賞)と別路線1着組が上位を占めましたが、今年の別路線組はどうなるのか?

タニノギムレット 牡 1999年 5月 4日生 鹿毛 8戦5勝
父:ブライアンズタイム 松田国英厩舎
母:タニノクリスタル(母父:クリスタルパレス)
主な勝ち鞍:日本ダービー(G1)、スプリングS(G2)、シンザン記念(G3)、アーリントンC(G3)

<撮影メモ>(ニコンF90)
 朝8時東京競馬場着、という気合の入り方でしたが、すでに場内には大勢のファンが詰めかけ、撮影場所の確保も難しいくらいの状態。特別混み合う日本ダービー、有馬記念だけは、本当に写真泣かせのレースで、ダービーはこの日以来、競馬場へは行っていません。
 レースが近くなると雲行きが怪しくなり、かなり薄暗いなかでの大一番。遠くでは雷が鳴り出し、ラジオにはバチバチ!という強烈なノイズも。レース中雨はギリギリ大丈夫でしたが、ゴール板を駆け抜け、シャッターを切った途端、バケツをひっくり返したような豪雨。数分後に馬が引き上げてくる頃には、あっという間にドシャ降り。すぐさま屋根のあるところに引き上げました。
 日本ダービーは競馬界では1年の区切りになるお正月みたいなもので、雨もあがった最終レース後、4コーナーには虹も。日本ダービーが終わり、歴史に新しい1ページが刻まれました。

 6人気のマチカネアカツキは相手なりに走ること、デザーモ騎手をピンポイントで呼び寄せるなど勝負がかりに見えたので、思い切って本命。同じ藤沢和雄厩舎のシンボリクリスエスに競り負けクビ差3着で惜しい馬券を逃す。
 初めて買った95年も8人気オートマチックを本命にしてタヤスツヨシ、ジェニュインの僅差3着。当時は若くて(笑)今では考えられない金額で勝負していたので、タヤスツヨシに不利を受けた分の負けは、今でも悔しさが残っています。

日本ダービーメモリアル(アドマイヤベガ)

2005年05月29日 01時34分45秒 | 東京競馬場
1999年 6月 6日 東京競馬場
第66回 日本ダービー(G1)芝2400 良 18頭
1着△2アドマイヤベガ(57武豊)2:25.3 2人気
2着◎11ナリタトップロード(57渡辺)クビ 1人気
3着▲14テイエムオペラオー(57和田)1馬身1/4 3人気
単390 馬820的中

ダビスタでも実現できない?ベガにサンデーサイレンスという夢のような配合の初仔。新馬戦こそ1位降着になりましたが、その後は順調にクラシック路線を進み、弥生賞を勝ったナリタトップロード、皐月賞をゴボウ抜きしたテイエムオペラオーとともに「3強」と呼ばれていました。

アドマイヤベガは皐月賞では1人気に推されますが、雨や体重12キロ減などが影響し6着敗戦。しかしダービーではプラス10キロで減った馬体も回復。早めに抜け出す戦法のテイエムオペラオーをナリタトップロードが交わして一旦は先頭。その2頭にアドマイヤベガが襲いかかり、ゴール前キッチリ差し切る。

武豊騎手はダービー2連覇。あれだけ鬼門と言われていたダービーも1つ勝てばあっさり連勝か?ガッツポーズも余裕が感じられました。前年に続きキムタクがプレゼンター。キムタクに一番似合
う男、とか言われていたような気が・・・。

ナリタトップロードの渡辺騎手がレース直後、悔し泣きで調教師に謝ったのは有名な話。そのリベンジは秋に達成されました。

アドマイヤベガは種牡馬になってストーミーカフェ(朝日杯2着)など活躍馬を出して今後が期待されましたが、昨年10月に疝痛で急死(8歳)。ついこの間競馬場で見た気がしましたが、もうこの世にいない、とは思えませんね。種牡馬としても注目度が高かっただけに早すぎる死でした。

アドマイヤベガ 牡 1996年 3月12日生 鹿毛 8戦4勝
父:サンデーサイレンス 橋田満厩舎
母:ベガ(母父:トニービン)
主な勝ち鞍:日本ダービー(G1)、京都新聞杯(G2)、ラジオたんぱ杯3歳S(G3)

<撮影メモ>(ニコンF90)
ダービーの思い出的には98年のスペシャルウィークも捨てがたいですが、良い写真が取れなかったので、次からは学習?してスタンド2階(通路)から撮影。ラチ沿いに比べても場所が確保しやすく、失敗も少ないポジションです。

「第66回」ダービーにかけて枠の6-6(テイエム、チョウカイリョウガ)が売れたみたいですが、6-6は前日のエプソムCで(アメリカンボス-シグナスヒーロー)で出てしまいました。馬連37,760円に対し、枠は23,500円でした。気付いている方はしっかり押さえているんですね。

日本ダービーメモリアル(サニーブライアン)

2005年05月29日 01時23分38秒 | 東京競馬場
前のカメラマン、どいてくれ~!
こんなタイミングの悪い写真も初めのうちはつきものでした。

1997年 6月 1日 東京競馬場
第64回 日本ダービー(G1)芝2400m 良 17頭
1着▲18サニーブライアン(57大西)2:25.9 6人気
2着…5シルクジャスティス(57藤田)1馬身 3人気
3着◎15メジロブライト(57松永幹)1/2馬身 1人気
単1,360 馬4,860

サニーブライアンは皐月賞を勝った余韻でプリンシパルSを挟むプランもあったそうですが、調教中他馬に蹴られ、回避しダービー1本に備える。そういえば弥生賞後に若葉Sも使って皐月賞制覇。使わないと太る体質だったんでしたっけ?

ダービーの最終追い切り後も「絶好調」宣言、大西騎手も「逃げます!」とインタビューを受けていたのを思い出しました。新聞での絶好調記事の割には確定版のシルシが少ない。

本命にすることも考えたほどですが、直線伸びてメジロブライトの上積みに期待したので、3番手評価に。対抗は皐月賞2着のシルクライトニング。こちらは発走直前に無念の除外で買戻しでした。出走できれば上位争いできたと思ったんですが・・・。

折り合いを欠くサイレンススズカを尻目にサニーブライアンが先手を取り、そのまま直線もセーフティリード。最後は大外からシルクジャスティスの強襲にあいますが、1馬身振り切って2冠達成。大西騎手の落ちそうになりながらの派手なガッツポーズが印象に残っています。「1番人気はいらない!1着が欲しい!」というのもこの時大西騎手から出た名言ですね。

2冠馬サニーブライアンはダービーの数日後?に骨折が判明し、このレースを最後に引退。骨折のニュースは「ニュースステーション」で知ったような気が・・・。3冠目の舞台に立つことはかないませんでした。

サニーブライアン 牡 1994年 4月23日生 10戦4勝
父:ブライアンズタイム 中尾銑治厩舎
母:サニースイフト(母父:スイフトスワロー)
主な勝ち鞍:日本ダービー(G1)、皐月賞(G1)

<撮影メモ>(ニコンFE2)
初めてのダービー観戦。座席という座席はもちろん、スタンド通路もゴール前も敷物&座り込み客でビッシリ!明らかに客の入りが違うのを初めて実感しました。レースは仕方なく1階座席の階段上から撮影。ココが競馬場に通い始めた頃の私の最初の指定席でした。

馬券1枚買いにいくのも大混雑をかき分けるほどの大変さ。あまりの混雑に途中で撮影済みフィルム数本を落としてしまいました。カメラに残った1本にダービーが写っていたのでよかったですが・・・。

サニーブライアンは予想的にも満足ですが、シルクジャスティスが無印でハズレ。8人気のエリモダンディーも押さえましたが、内から馬群を縫うように伸び4着まで。シルクは前走京都へ行った時に見た馬でしたが・・・。これを機に遠征先で見た(勝った)馬はひいき目で応援するようになりました。

オークスメモリアル(ウメノファイバー)

2005年05月22日 10時52分48秒 | 東京競馬場
ウメノファイバー直線一気。「勝った!」と思ったトゥザヴィクトリーの武豊騎手が外を向いたら・・・。

1999年 5月30日 東京競馬場
第60回 オークス(G1)芝2400m 良 18頭
1着△16ウメノファイバー(55蛯名)2:26.9 7人気
2着◎6トゥザヴィクトリー(55武豊)ハナ 1人気
3着…4プリモディーネ(55藤田)クビ 3人気
単1,690 馬2,840的中

<撮影メモ>(ニコンF90)
 ウメノファイバーはクイーンカップ勝ち→桜花賞敗戦からの巻き返し。サクラユタカオー産駒、得意の東京で末脚を発揮しました。桜花賞3着のトゥザヴィクトリーは抜け出して勝ったか?と思ったところウメノファイバーにゴール寸前強襲。予想は会心でしたが、馬連28倍?と当てても悔しかった思い出があります。皐月賞もそうですが、G1、特にクラシックは「ローテーション重視」の予想スタンスが成功したレースです。

ウメノファイバー 牝 1996年 5月 5日生 鹿毛 16戦4勝
父:サクラユタカオー 相沢郁厩舎
母:ウメノローザ(母父:ノーザンディクテイター)
主な勝ち鞍:オークス(G1)、京王杯3歳S(G2)、クイーンC(G3)