デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)

私が撮影した競馬のレース写真を紹介しながら、過去のレースを振り返ります。たまに予想も。

東京大賞典メモリアル(ファストフレンド)

2005年12月29日 16時24分47秒 | その他競馬場
ファストフレンドが1人気で快勝し、帝王賞に続きG1、2勝目。
牝馬で重賞9勝の実績は「砂の女王」ホクトベガに勝るとも劣りません。

2000年12月29日 大井競馬場
第46回 東京大賞典(統一G1)ダ2000m 16頭
1着13ファストフレンド 牝7(54蛯名)2:04.9 1人気
2着8レギュラーメンバー 牡4(55松永幹)1馬身1/2 2人気
3着3アローセプテンバー 牡6(57張田京)1/2馬身 6人気
単220 馬1,190

第1回ジャパンカップダートを1人気に推されながら5着に敗れたファストフレンドが人気に応える快勝。盛岡のダービーグランプリ圧勝後、JCダートでは逃げて失速したレギュラーメンバーが今日は2人気2着で順当な結果。交流重賞で実績のある船橋のアローセプテンバーが大井のオープン特別を叩いて3着と健闘。

条件戦から7連勝が話題になったタマモストロングは3人気に推されましたが、G1の壁に跳ね返され11着。昨年の覇者ワールドクリークはその後ドバイにも遠征しましたが、いいところなく14着敗戦でした。

ファストフレンドはオープン入りまで16戦を要しましたが、重賞初挑戦の船橋マリーンカップ優勝後は2度の重賞3連勝を含む重賞9勝はお見事。ダートの中距離戦では部類の安定感を誇りました。

交流重賞での勢いを引っさげて挑戦した中央G1フェブラリーSでは牡馬の強豪相手で7人気と人気を下げましたが◎と期待しレースを迎えました。最内枠の出遅れながらもゴール前接戦にもつれ込み、ウイングアロー、ゴールドティアラの1/2、ハナ差の大接戦の3着。馬券は外しましたが、ゴール前シビれる大接戦の思い出深いレースでした。

ファストフレンド 牝 1994年 5月12日生 栗毛 高市圭二厩舎 38戦15勝
父:アイネスフウジン
母:ザラストワールド(母父:ノーザンテースト)
主な勝ち鞍:東京大賞典(統一G1)、帝王賞(統一G1)、東海S(G2)、東海菊花賞(統一G2)、エンプレス杯(1999年、2000年=統一G2)、クイーン賞(統一G3)、スパーキングレディーC(統一G3)、マリーンC(統一G3)

夏競馬メモリアル(水沢競馬場)

2005年08月25日 23時55分08秒 | その他競馬場
メイセイオペラが記念すべき重賞初勝利。
これをステップに統一G1、3勝の快挙。地方馬の中でも歴史に残る1頭です。

1998年 7月20日 水沢競馬場
マーキュリーカップ(統一G3)ダ2000m 良 9頭
1着◎3メイセイオペラ(56菅原勲)2:09.0 1人気
2着○8パリスナポレオン(57武豊)7馬身 2人気
3着…5ゲイリーミナレット(56三野宮通)2馬身1/2 9人気
単110 馬400取りガミ

当時はまだ知名度が低かったメイセイオペラが、帝王賞3着と全国レベルで力のあるところを見せ、地元岩手に凱旋、これが記念すべき交流重賞初勝利。JRA勢も軒並み小粒で、走り慣れた水沢では役者が違ったか?4角では独走で7馬身差の圧勝でした。

この勢いは止まらず、盛岡のステップを快勝後、秋には統一G1、南部杯をレコード勝ちする快挙で完全本格化。デビューした盛岡の地で、故郷に錦を飾った記念すべきG1制覇でした。年が明けて中央に果敢に挑戦、東京のフェブラリーSでは、エムアイブラン、タイキシャーロック等ダートでは部類の強力メンバーをも寄せつけない完勝で「地方所属馬の中央G1初勝利」という歴史的な快挙を達成しました。

3歳時は頭部の骨折という重症を負って、競走馬としての再起が危ぶまれた時期もあったとか。岩手競馬の地味な血統の馬が、中央の重賞に殴りこみ、超良血馬や輸入の外国産馬を次々となぎ倒す、という図式は、全国の地方競馬ファンや関係者を勇気付けた、といわれています。この後も地元壮行レースを楽勝し、春の大一番、帝王賞も1人気で圧勝、ダート現役最強馬の座を手にしました。

翌年のフェブラリーSも出走し、前代未聞の地方馬の同一G1連覇を狙いましたが、惜しくもゴール寸前でウイングアローに差され0秒1差4着。体調不安もささやかれた中での激走に「負けて強し」を印象付けるレースで、今でも思い出に残っています。

メイセイオペラ 牡 1994年 6月 6日生 栗毛 岩手:佐々木修一厩舎
 父:グランドオペラ 33戦21勝
 母:テラミス(母父:タクラマカン)
 主な勝ち鞍:フェブラリーS(G1)、帝王賞(統一G1)、南部杯(統一G1)、マーキュリーC(統一G3)

<撮影メモ>ニコンF90
 函館スプリントSを観た夜に、青森行きのフェリーで津軽海峡を渡る。周囲が明るくなってきた頃、フェリー埠頭から青森駅まで約1時間歩いて朝5時に青森駅。朝一番の特急はつかり、東北新幹線を乗り継ぎ、水沢江刺駅で途中下車。駅前には南部鉄瓶の大きなモニュメント。

駅から競馬場への足もタクシーのみなので、旅の荷物を駅のロッカーに預け、極力軽量化して、40分くらい歩いて競馬場へ。真夏の日差しがきつく、広い通りには車も少なく、お米の自販機があるだけで辛い道程。しかし北上川に架かる橋からの眺めは最高で、疲れも一時半減、といった感じだったか。

この日は交流重賞マーキュリーカップ。今は盛岡ですが、当時は水沢で武豊騎手(パリスナポレオン)、的場騎手(ギガトン)、田中勝騎手(ウメノライジン)が函館から参戦。函館→水沢と移動したのは私と同じでしたが、騎手はおそらく飛行機で東京経由。他にも藤田騎手(マジックゲーム)が阪神から参戦していました。

レースはメイセイオペラが評判どおりの圧勝。表彰式に集まった岩手のファンから、たくさん声援が飛んでいました。この後も南部杯でレコードの圧勝でその後の活躍はご承知のとおり。今思えば、マーキュリーカップの圧勝も納得、旅先で貴重な重賞初勝利を見られてよかったです。帰りも水沢江刺駅まで歩いて東京行きの新幹線で帰京。

上りの新幹線では爆睡したい一方、指定席が車両の最前列通路側だったため、通路を通る度開く扉&車両の揺れが多くて、ほとんど眠れなかった記憶が。電車は各車両の中央部分の揺れが少ないことを意外なところで知ったのでした~。