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デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)

私が撮影した競馬のレース写真を紹介しながら、過去のレースを振り返ります。たまに予想も。

安達太良ステークスメモリアル(ダイワテキサス)

2006年06月22日 00時10分45秒 | 福島・新潟競馬場

6歳で本格化したダイワテキサスが900万に続き、準オープンも楽々突破!
この後も連勝が続き、5連勝で天皇賞・秋の有力候補にまで浮上しました。

1998年 6月20日 福島競馬場
第11R 安達太良S(4歳上1600万)芝2000m 良 8頭
1着◎6ダイワテキサス 牡6(57蛯名)1:59.8 1人気
2着△4ダイワオーシャン 牡7(56橋本広)2馬身1/2 7人気
3着…5マチカネハテンコウ 牡5(57吉田豊)1/2馬身 6人気
単180 枠1,320 的中

4歳、5歳時は900万条件で足踏みしていたダイワテキサスが6歳を迎えて本格化。東京の900万を勝ってこの安達太良Sでも単勝1.8倍の断然人気。福島の開幕初日なのに8頭立てと少頭数、抜けたメンバーもいなければ初の準オープンでも楽々と突破。

馬が引き揚げてくる検量室前では、増沢厩舎所属の牧原由貴子騎手(現増沢騎手)が嬉しそうにダイワテキサスを出迎えていたのが印象的でした。当時から調教助手(増沢真樹調教助手)とお付き合いがあったと思うと、今思えば当時の喜びようも納得ですね。

ダイワテキサスはこの後、新潟の日本海Sも好タイムで勝ち準オープンを連勝。そしてG3の関屋記念で初重賞制覇。続く秋のG2オールカマーも連勝し、5連勝で天皇賞・秋の有力候補として急浮上しました。

しかし、残念ながら脚部不安を発症し、天皇賞は回避。それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いだっただけに、順調に出ていたらチャンスはあったのかもしれません。休養を挟んで7歳、8歳になっても中山記念、新潟記念を勝つなど、ダイワテキサスは老いてますます盛んでした。

<撮影メモ>ニコンF90
東北新幹線の早朝割引「朝トクきっぷ」を使って、上野駅を朝7時台の新幹線に乗って2時間弱で福島駅に到着。楽々1Rから楽しめました。東京から270kmと離れていますが、新幹線を使えば案外近いものです。

福島競馬場はスタンドと馬場が近いのが印象的、走る蹄(ひづめ)の足音も間近に感じられ、他の競馬場にはない迫力あるレースが楽しめます!写真も200mmの望遠レンズで、外ラチ沿いからいい写真が撮れました。

福島競馬場のラチ沿いは、重賞の日でもさほど混雑しないので、場所取りに気を使うことがないのがいいです。今週の京都競馬場(宝塚記念)はどうなることやら・・・では行ってきます!

<当ブログ内関連リンク>
オールカマーメモリアル(ダイワテキサス)2005年 9月24日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/15c0d0e196778256ec7eb3d7e62dad00

新潟記念メモリアル(ダイワテキサス)2005年 8月26日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/f09cef4b4a8695aab411b14e8ebfd090 


夏競馬メモリアル(リワードニンファ)

2006年06月17日 08時58分43秒 | 福島・新潟競馬場
この未勝利戦から一気に3連勝し、秋華賞にも挑戦したリワードニンファ。
夏のローカル戦をステップに成長する「夏の上がり馬」も見逃せません。

1998年 6月20日 福島競馬場
第3R 4歳未勝利 芝1800m 良 16頭
1着14リワードニンファ 牝4(53後藤)1:47.7 5人気
2着5ハイフレンドナイト 牡4(牡4坂井)1馬身1/4 8人気
3着12グレートサン 牡4(55岡部)3馬身1/2 1人気
単1,000 馬8,550

3連勝で臨んだ秋華賞では6人気と穴人気に推されながら13着大敗。しかし、暮れのターコイズSで初のオープン勝ち。休養した後は男馬相手の重賞に挑戦、休み明け初戦のエプソムCで14人気ながら3着と健闘、七夕賞は6着でしたが、新潟(改修前)の関屋記念では速いペースも味方して差し切り勝ちで初重賞勝利。

当時マークした「1分31秒6」が未だに日本レコードとして残っています。初めて1分32秒の壁を破った、としてインパクトがある勝利でした。高速決着が多い今の新潟でも破られていないこの記録は素晴らしい。その関屋記念2着のブラックホークも1年ぶりの出走でしたが、超高速決着にも対応、馬券は切ったものの、能力の片鱗を見せていた、と印象に残っているレースです。

リワードニンファ 牝 1995年 3月10日生 鹿毛 後藤由之厩舎
父:ラシアンルーブル
母:アップラウス(母父:トウショウボーイ)
17戦5勝
主な勝ち鞍:関屋記念(G3)、ターコイズS(オープン)

関屋記念メモリアル(エイシンガイモン)

2005年07月26日 22時21分31秒 | 福島・新潟競馬場
エイシンガイモンが重賞初勝利。
武豊騎手人気で大混雑の新潟競馬場でした。

1996年 8月 4日 新潟競馬場
第31回 関屋記念(G3)芝1600m 良 12頭
1着◎10エイシンガイモン(53武豊)1:34.0 1人気
2着…3シャインフォード(56橋本広)1馬身1/4 5人気
3着△5ビコーアルファー(56大塚)クビ 4人気
単180 馬950

朝日杯2着のエイシンガイモンが古馬と初対戦で単勝1.8倍の断然人気。前走中山の準OP(安達太良S)を勝ってオープン入りしたクラウンシチーが2人気。前哨戦の朱鷺Sを勝ったタイブルースが3人気。他にはオープン常連のビコーアルファー、菊花賞以来のサンデーウェルなどが出走。

レースはブランドノーブル、トウホーケリー、コペルティーナなど牝馬が引っ張る展開をエイシンガイモンが満を持して抜け出す危なげない勝利。武豊騎手は新潟競馬場の重賞は初めての勝利でした。2着は橋本広喜騎手のシャインフォード。この日は通算200勝を達成したメモリアルデーなのを忘れて無印でした。

マル外エイシンガイモンは、翌年の関屋記念も蛯名騎手で連覇達成。その後は2000mを中心に主にローカル重賞で活躍、59キロを背負って勝ったセントウルS(当時は阪神芝1400m)での芹沢騎手のガッツポーズは印象的でした。

エイシンガイモン 牡 1993年 3月22日生 鹿毛 加用正厩舎
 父:シアトルダンサーII 42戦7勝(障害3戦1勝含む)
 母:Meadow Mist(母父:アイリッシュリヴァー)
 主な勝ち鞍:関屋記念(G3=1996、1997年)、セントウルS(G3)

<撮影メモ>ニコンFE2
競馬歴2年目で初の新潟競馬場。最初は最寄り駅のJR豊栄駅で降り、バスを利用しようと思い時刻表を見たら時間が合わないので、タクシー利用で2,000円。車内ラジオではアトランタ五輪の野球中継をやっていました。土曜は真夏の陽気でアタマも痛くなるほどで、1日晴天に恵まれました。

日曜は新潟駅前からバイパス経由のバスを利用。この日は重賞、しかも武豊騎手が参戦とあって、バイパス出口の数キロ前から大渋滞。いらだちを隠せない乗客が、次々とバスを降り歩いていく珍しい光景も。私も他の乗客と一緒に降ろしてもらいましたが、その運転手さん曰く「いつもこんな感じ」ということ。今はどうかわかりませんが、毎週お疲れさまです。

3歳新馬戦は新潟3歳Sに出走してオープンまで登りつめたキビダンゴが折り返しの新馬勝ち。これが出世頭か?他にも後の弥生賞4着馬インターパンチが2戦目の土曜の新馬戦を勝ち上がりました。

メインレースまでは天気はもってくれましたが、関屋記念のレース直後はバケツをひっくり返したようなにわか雨。福島競馬場が改修中のため変則開催、これで夏の新潟開催も終了。新潟リーディングは蛯名騎手で、雨の中の表彰式では、米俵をもらっていました。最終レース後には雨もあがりましたが、またもや目の前に混雑系のトラブルが。

すし詰め状態の新潟駅行きバスに乗る乗客が長蛇の列。しかもバスの回転が全然追いつかず「あと数台でバスが終了!」との知らせに長時間並んでいだ乗客の怒りも爆発、行列の横を通ったJRA職員が乗ったバスに詰め寄り「客を先に乗せろ!」だの「往復乗車券を買わせといて、バスが無いとは何事だ!」とバスを取り囲むアクシデントまで。

後ろの乗客はすべて乗車できたのだろうか?という心配をしつつ、こちらも1時間(以上?)待ちでなんとかバスに乗車。新潟競馬&武豊騎手人気を「違った意味で」肌で実感した日曜日でした。

NSTオープンメモリアル(サイレントセイバー)

2005年07月15日 01時04分43秒 | 福島・新潟競馬場
2001年 7月29日 新潟競馬場
第11R NSTオープン(OP)芝1800m 良 12頭
1着…1サイレントセイバー(56田中勝)1:44.6 6人気
2着○8メイショウラムセス(51後藤)クビ 1人気
3着…12地タマルファイター(56丸山侯)1/2馬身 10人気
単1,070 馬2,380

古馬と初対決で51キロの3歳牡馬、ラムタラ産駒のメイショウラムセスが1人気。オープン初挑戦の4歳馬ミヤビライデンが2人気、重賞では一息でしたが、オープン特別では大威張り?のヒコーキグモが3人気。他にもNHKマイルC5着の3歳馬メジロキルデア、菊花賞など重賞で2着が多かったダイワオーシュウ、当時4歳だったユキノサンロイヤルなども出走していました。

ヒコーキグモがよどみのない流れで逃げますが、改修直後の新潟では後半もラップが落ちずに最後は決め手勝負。中団に位置したメイショウラムセスが満を持して抜け出すところ、サイレントセイバーが外から襲い掛かり、ゴール前差し切り勝ち。

サイレントセイバーはサンデーサイレンス産駒でデビュー当初は注目されていましたが、口向きが悪かったりと、気性の難しさから出世が遅れましたが、これでオープン初勝利。その後も少頭数のオールカマー3着、13人気の福島記念で2着と大波乱を演出するなど、重賞戦線で長く活躍しました。

<撮影メモ>ニコンF90
新スタンド、左周り&直線コース完成の新潟競馬場、記念すべき最初の開催。話題の直線競馬見たさ?に新潟市内のホテルも連日満室で、観戦を断念していたところ、会社の先輩が貴重な1部屋を確保してくれたので、2週前に急遽参戦が決定。

始発の上越新幹線の自由席を確保するために、なんと土曜朝5:00に東京駅。6:00の発車時刻にはすでに満席でした。上野駅でなくて正解。バイパス経由のバスに乗り、開門時刻9:00には余裕で到着。前夜クルマで現地に出発した会社の先輩グループとは、現地で合流、夜は新潟市内でお酒もご一緒しました。

当時のNSTオープンは開催3週目の芝1800mで関屋記念の1週前、どちらかと言うと新潟記念の前哨戦的な位置付けでした(当時の関屋記念のステップは朱鷺ステークス)。菩提樹Sを勝った3歳馬、メイショウラムセスが51キロで参戦し、注目を集めましたが、結果は気難しいサイレントセイバーが差し切り、番狂わせの結果に。3週経っても高速決着は相変わらず。このレースで記録した芝1800mの走破タイム「1:44.6」は今でも基準タイムとして残っています。

しかも3着には「この馬場でも」高崎のタマルファイターが3着で、ますます波乱の決着でワイド5,100円の高配当。左回りに変わっても得意な新潟で大健闘でした。

ラチ沿いの撮影スポットは、福島同様近すぎるので難易度高し。外ラチ沿いを走る直線競馬もあるので、撮影初心者はスタンドからの撮影をオススメします。

七夕賞メモリアル(マイネルブリッジ)

2005年07月07日 00時37分51秒 | 福島・新潟競馬場
1997年 7月 5日 福島競馬場
第33回 七夕賞(G3)芝2000m 良 9頭
1着○2マイネルブリッジ(58武豊)2:00.3 2人気
2着…5クラウンシチー(54柴田善)1/2馬身 7人気
3着▲3インタークレバー(53蛯沢)1馬身 4人気
単400 馬6,850

1人気がたしか過去10年以上勝ってない鬼門のレース。この年も鳴尾記念2着のトウカイタローが1人気で4着でした。香港帰りの2人気マイネルブリッジが接戦を制して1年半ぶりの優勝、武豊騎手は福島の重賞初勝利。前年の有馬記念3着と実力を示したものの、中央場所では足りなかったが、ローカル重賞では力は1枚上か。この後も2年ほど現役を続行しましたが、5歳でのこのレースが最後の勝利でした。

マイネルブリッジ 牡 1992年 4月28日生 鹿毛 伊藤正徳厩舎
父:ルション 41戦6勝
母:ハシコ(母父:ロイヤルスキー)
主な勝ち鞍:NHK杯(G2)、福島記念(G3)、七夕賞(G3)

<撮影メモ>ニコンFE2
この七夕賞は土曜日のメインレース。いつもは多彩な顔ぶれで盛り上がりましたが、福島競馬場改修後の最初の開催なのにこの年は9頭立てと寂しい限り。他では休み明けの鳴尾記念を大敗したサクラケイザンオーが3人気になっていました(この後も休養)。2着に7人気クラウンシチーが入り中波乱。荒れる七夕賞は健在でした。写真は、見た目よりピントが合っていなくて、これでも失敗の部類です。馬を追いかけながらピントを合わせ、シャッターを切ったらフィルムを手で巻く、というアナログ式の撮影は競馬には向いていませんでした。

吾妻小富士オープンメモリアル(タマルファイター)

2005年06月22日 01時46分41秒 | 福島・新潟競馬場
現在の福島テレビオープンの前身、吾妻小富士オープンのレース写真を2つ紹介します。

1999年 6月20日 福島競馬場
第11R 吾妻小富士オープン 芝1800m 不良 16頭
1着…1(地)タマルファイター(55丸山侯)1:50.3 12人気
2着▲10ナリタプロテクター(57岡部)1馬身1/2 3人気
3着◎5エアガッツ(56柴田善)1/2馬身 1人気
単12,000 馬26,210

 せっかくの開幕週も前日からの雨で不良馬場。前年レコード勝ちしたアンブラスモアが連覇を狙い参戦しましたが、馬場が響いて8着敗戦。変わって浮上したのは高崎のタマルファイター。元々新潟など中央でも実績のある地方馬、最内を利してアンブラスモアを叩く逃げ切りで大波乱。開幕週は逃げ有利、は不良馬場でも変わりませんでした。

<撮影メモ>ニコンF90
 JR東日本の期間限定「朝トクきっぷ」で早朝の新幹線が約半額で手に入り、福島競馬場はグッと身近に。6:30上野駅発の東北新幹線に乗れば1Rから見られる感じ。福島競馬場はスタンドと馬場が近いので、馬が走り抜ける音、ムチの音がよく聞こえて、馬との距離も近く迫力あるレースを堪能できます。望遠レンズも中山、東京競馬場の時の半分、200ミリのレンズで十分でした。

吾妻小富士オープンメモリアル(アンブラスモア)

2005年06月22日 01時28分51秒 | 福島・新潟競馬場
馬主の「欽ちゃん走り」は見られなかったが・・・。
松永幹夫騎手のアンブラスモア、絶好の開幕週の馬場を逃げ切りレコード勝ち。

1998年 6月21日 福島競馬場
第11R 吾妻小富士オープン 芝1800m 良 14頭
1着△10アンブラスモア(56松永幹)R1:45.3 3人気
2着◎11クロカミ(56柴田善)クビ 1人気
3着…4ジェラスガイ(57江田照)クビ 2人気
単480 馬710的中

現在の福島テレビオープンの前身、吾妻小富士オープンは当時、七夕賞へのステップとして、開幕週の日曜メインレースとして行なわれていました。開幕週につき、速い時計が続出。メインもレコード決着となり、現在も芝1800mにはアンブラスモアのレコードが残っています。松永幹夫騎手が珍しい福島参戦でキッチリ?メインレース勝利。これで全10場での勝利を飾ったのを記憶しています。

さくらんぼステークスメモリアル(マチカネフクキタル)

2005年06月18日 00時38分26秒 | 福島・新潟競馬場
ダービー7着からの折り返し、自己条件では力が違った!
武豊騎手を背に3馬身差の圧勝。菊花賞への連勝街道へ。

1997年 7月 5日 福島競馬場
第9R さくらんぼS(3歳900万ハンデ)芝1700m 良 11頭
1着6マチカネフクキタル(57武豊)1:41.8 1人気
2着11シャコーテスコ(55蛯沢)3馬身 3人気
3着5ホーセズネック(55後藤)アタマ 4人気
単140 馬480取りガミ

プリンシパルSでサイレンススズカの2着に食い込み、ダービーでも0秒5差7着に善戦したマチカネフクキタル。自己条件に戻って単勝1.4倍の断然人気。小回りコース、この時期の57キロなどの不安要素も関係なし。武豊騎手を背に危なげなく3馬身差の完勝。この後は南井騎手に手が替わり「夏の上がり馬」の勢いそのままに秋の神戸新聞杯、京都新聞杯とトライアルを連勝、そして菊花賞制覇へと続く連勝街道のスタートはここからでした。

マチカネフクキタル 牡 1994年 5月22日生 栗毛 二分久男厩舎
父:クリスタルグリッターズ 22戦6勝
母:アテナトウショウ(母父:トウショウボーイ)
主な勝ち鞍:菊花賞(G1)、京都新聞杯(G2)、神戸新聞杯(G2)

<撮影メモ>ニコンFE2
※重賞メモリアルはお休みですが、当該週に行なわれるレース名に合わせて、夏競馬のストックもできるだけ紹介していきます。

 改修後オープンした最初の開催。直線が少し伸び、坂もできてスタンド、コースともにリニューアルされました。旧スタンド取り壊しの1週前に来て以来、2度目の福島競馬場。この日は土曜日でしたが、メインレースはG3の重賞、七夕賞でした。

 武豊騎手が珍しく?(たしか初めて?)福島競馬に参戦して、マイネルブリッジでキッチリ重賞勝利。JRA全場重賞制覇に向け、この時点で残るは函館だけでしたが、アグネスワールドであっさり達成でした。武豊騎手は翌日は阪神競馬場で宝塚記念に騎乗。マーベラスサンデーにも初のG1タイトルをもたらし、土日重賞勝利と大暴れでした。

マチカネフクキタルは阪神の500万(君子蘭賞)、このさくらんぼS、秋の菊花賞と偶然?3度も遠征先で勝ったレースを見ているのも何かの縁。菊花賞で買った「福来る」単勝馬券は今でもお守りとして大事に持っています。

この写真はピント合わせも手動だったニコンFE2で撮影。この近さでAF無しでは、若干のピンボケも仕方ないところでしたが、ピンボケによる失敗が悔しいものでした。逆に成功する喜びも今より大きかったですが・・・。この頃から「同時プリント」はやめ、ネガフィルムをルーペで確認してから焼き増し注文する習慣が定着していました。