オーソレ、何それ?

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越前と「鬼作左」

2007-01-09 23:26:15 | 戦国時代
金沢の兼六園に行った後に泊まった芦原温泉の土産物屋で、地酒を見ていたところ、「一筆啓上」と「鬼作左」という銘柄が並んでしました。これは徳川家康の家臣、本多重次にちなんだものです。

「鬼作左」こと本多作左衛門重次(1529-1596)は、徳川家康の古くからの家臣で山岡荘八さんの小説「徳川家康」でもかなり出てきたという記憶があります。勇猛果敢で、数々の戦功があったと同時に行政官としても優れており、家康が三河を平定した際、三河奉行に任じられました。三河奉行は、本多重次、天野康景、高力清長の三人がおり三河三奉行と呼ばれています。この三人は「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」と評される通り三様のキャラクターでした。

重次は「鬼作左」と評される通り厳格でならしたものの、公平で単純明快であったため、領民からの評判もよかったそうです。有名なエピソードとして治安を回復させるため高札で以下のように告知したそうです。

・人を殺すと命がないぞ
・火をつけると火あぶりになるぞ
・狼藉すると作左しかるぞ

「狼藉すると作左しかるぞ」辺りに単に厳しいだけでなく、ある種のユーモアが感じられます。当時多くの領民は余り字が理解できなかったでしょうから単純明快であることは効果的だったらしく、治安がよくなったと言われています。

本多重次の名前は知らなくても、重次が長篠の合戦の際、陣中から妻に宛てた手紙の文章をご存知の方は多いと思います。これも簡潔で意味明瞭でテンポのある名文だと思います。また日本一短い手紙としても知られています。

「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」

「お仙」とは嫡男の仙千代(後の成重)のことだそうです。こういった単純明快ですっきりした文章を書けるという事は行政官として何よりの資質ではないかと思います。逆説的に言えば昔から「お上」から発せられる文章がいかに理解しにくいかということであります。私も作左を見習いたいと思います。

このように様々面で徳川家に多大な貢献をした本多重次ですが、晩年は少し可哀想でした。家康の元に人質として送られてきた豊臣秀吉の母大政所に対して無礼があったとして、秀吉から咎められました。家康も功臣である重次でしたが天下人秀吉の意向はいかんともし難く、やむなく蟄居を命じ、そのまま重次は生涯を終えました。

従って本多重次と福井県は直接のつながりはありませんが、一筆啓上の手紙で登場したお仙こと本多成重が越前丸岡藩4万3千石の初代藩主となったため、福井県が重次ゆかりの地となり、おかげで私が福井で「鬼作左」と出会うことになったのです。

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2 コメント

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Unknown (らすから)
2007-01-10 01:06:50
恥ずかしながら、本多重次も「一筆啓上…」も知りませんでしたが、単純明快、それでいて本質を貫き、なんと言ってもわかりやすいですね。
これですと、当時であれば、なおさら理解を得やすかったことでしょう。

短い言葉や文章で相手方に伝えることは、ビジネスの世界では必須ですね。
しかし、これを実践できる人は、意外にも少ないのも事実…
短文では、伝える文字数は限られますから、
伝える内容の“本質”を見抜いておかないと、
自分の意図が伝わらないですね。

>昔から「お上」から発せられる文章がいかに…

相手方に理解させないために、わざと長文、かつ難解な文章にすることもありますね。

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難しい表現 (o_sole_mio)
2007-01-10 23:36:39
らすからさん、コメントありがとうございます。

簡潔明瞭に書くにはずばり言い切る必要がありますが、言い切るだけの自身と度胸(時々蛮勇)が必要です。「官僚的」組織から発せられる文章が分かりにくいのはできるだけ責任が回避できるよう前提や留保を付け加えるたけだと思います。契約書なども同様のことが言えます。お互いに利を取り合い、損を押し付けあうため、難しい表現になりがちです。

確かに「正しく理解されるのは損」とばかり回りくどい表現だったり、隅っこに小さな文字で書かれること(特に保険などの免責条件)がありますね。誠実さに欠けるやり方だと思います。
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