アジリティーの「タッチ」がこんなところに役立つとは思いもよらず。。。
後ろ足の意識を強化すべく、写真の人工芝に後ろ足を乗せるっていうのをやってみた。
最初は、後ろ足を持って乗せてみたり、いろいろやったけど、できるようにならず。。。
指示がわからないと興奮してしまう蒼太くん。
ジタバタするだけで、何も学習せず。。。沈。。。
ある日、偶然から閃いた!!
そっか~、アジリティーの「タッチ」障害と一緒だって思ったらできる??
やってみたらあ~ら不思議、できちゃった。
そうよ、私、教えたんだったわ。
走ってたってピタッと止まれるくらいできるんだったわ。
ところが、ちょっと褒めてボールなんか投げたりすると、途端にいい加減になる。
私が喜んでるときは、いい加減でいいと思ってる、らしい。。。
それは、いい加減にやってると私が仕切り直して、ヘルプしてくれるから。
こうなると、後脚の意識が薄いとか濃いとか、そんな問題じゃなくなる^^;
先日、デレビでみた子供の「自転車教室」
親と何ヶ月練習しても乗れなかった子がたった2時間程度で自転車に乗れるようになる教室があるらしい。
子供にとってはおじいちゃんよりちょっと上くらいの年代の方々が講師なんだけど、かなり強引。
とにかく子供を自転車に慣れさせたら、「押す」
走って「押す」
子供が自分でバランスを見つけるまで、走って「押す」
「できない。。。」って母親に泣きすがる子どもの手を引いて「持っててやるから大丈夫だ!」って言って、乗せる。
いつの間にか子どもは真剣な表情で、自転車に向き合ってた。
「がんばろう」とか「やるって言ったのは自分でしょ」なんて説得してもラチの開かなかった子どもが、だ。
「今の親は自転車も教えられないのか」って思って見始めたけど。。。
見終わった時、その親たちと自分が重なって、なんとも切ない気持ちになった。
私は、訓練の方法や理論的な解釈ばかりで、蒼太に自転車に乗るバランスを見つけるまでつきあうような訓練をしてきただろうか。
できないとすぐにヒントや手助けをしてやってなかったか。
「もう一度最初からやってみよう」「がんばろう」って言いながら、実はがんばる機会を与えてなかったのではないか。
「できないの?じゃあ、こうしてみる?」っていう工夫がかえって成長の邪魔をしてたのではないか。
「タッチ」をして、そのまま「スワレ」
たったこれだけの事なのに、蒼太の心の未熟さと、私の過保護加減が露呈。。。
私が「良い」と思ったらそれが蒼太の正解なのだ。
でもそれは蒼太が見つけた正解なのに蒼太が納得して得た正解じゃないっておかしなことになってる。
言ってみれば今どきの「指示待ちくん」
私、そんな風に導いてしまってるなんて思ってもいなかった。
蒼太に教えられたことがまた増えたね。
私が成長し変わるべきなんだと気付いた。