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 東日本大震災から6年と聖路加は「せいるか」が本当!

2017-03-08 08:48:48 | エピソード・思い出・他
2011年3月11日から間もなく丸6年を迎えようとしています。

14時46分…我が家は地震には強い構造のマンションですが、どこで鳴っているのかわからない聞いたことのないような破裂音(?)とともに強い揺れはあったものの落下物もなく、仕事に出ていた夫も何とか23時すぎには帰宅できました。

友人の、宮城県石巻市出身の旦那さんのご両親や弟さん家族は無事でしたが、義叔父(母の妹の旦那さん)の長兄が岩手県大槌町で亡くなってしまいました。
ご覧になった方もいると思いますが、昨夜の報道ステーションでとりあげられていた町です。

地図9番、宮古市と釜石市の間の小さな町ですね!

地震発生後スグに奥さんと手をとり逃げたようですが、元消防団の気持ちがそうさせたのか、一人暮らしのお年寄りや助けを求めている人たちがいるだろうと危険な方に一人で戻ってしまい波にのまれ、見つかったのは数十日経ってからと聞きました。一瞬でしたが写真も出ました。
義叔父は奥さん(兄嫁)に「あの時手を離していなければ!」と迸ってしまったようですが、奥さんの気持ちを察するといたたまれない気持ちで胸がいたみました。

震災当日、私は重症の花粉症で体調悪く一人で自宅にいました。
母は、かかりつけ医から紹介を受けた中央区にある聖路加病院の心血管外来に一人で行っていました。
昨日、二度目の心臓カテーテルの治療を終え無事退院しましたが、思えばその頃から心臓の病気の兆候があったんですね!?3/7のブログ

前日の3月10日は看護師さんから言われた日時を疑うことなく私も同行して聖路加病院に行きましたが、紹介状を初診受付に提出したところ・・・予約は翌日の11日だったと判明
遠方(私は1時間半かけて)から朝早く来たのでとお願いしましたが、病院システムに割り込むことができず診察カードを作ることしかできませんでした!

翌11日も同行するつもりでしたが私の体調が悪く、心配ながら母一人で行ってもらいました。
初診でしたが、一通りの検査予約が入っていて午後までかかり、14時過ぎに「今帰宅、お腹がすいたからこれからご飯」とメールがきて安心していた矢先のことでした。

携帯電話は全然繋がらず、家の固定電話に何回となくかけてやっと無事を確認できましたが、実家は高層階なので想像を絶する揺れと食器棚が倒れガラスが割れ散乱、落下物で壁がへこんだり、備え付けのカップボードやガスシステムに自動ロックがかかってしまったのも初めてのことで、柱にしがみついたまま足がガクガクして暫く動けなかったようです。
今も少し大きな地震があると、そのスタイルで揺れのおさまりを待っていると安心のようです。

当初は、日付を間違えられたせいで2日続けて行く羽目に!と憤慨していましたが、最初から11日に一緒に行っていたら…
聖路加病院近くの銀座クレストンホテル(阪急阪神カードを所持しているので)で、必ずランチをしていました。
ホテルで地震に遭遇し、公共交通機関がマヒして帰宅できなかった方々と同様に大変な思いをしていたと思うと、看護師さんのケアレスミスに救われたようにも思えます。

ちなみに聖路加(St Ruke's)は「せいろか」と読んでも入力してもPC検索などで出てきますが、「せいるか」が正しいということも初めて知りました。
私ごとの小さな話ですが、思い出したことを綴りました。


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