若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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まだ見ぬ永遠の 恋人ー桂離宮-6

2008-10-01 | Weblog
 先日、法事で関西に数日滞在していた折に、こんなに近くに居るのだから是非尋ねたいと切望していた“トコロ”がありました。
それは、桂離宮です。
40年来いつか訪れたいと思っていていまだ果たせぬ「場所」「世界」です。
(宮内庁に手続きが必要で、こちらの都合で観ることが出来ないからです。大体6ヶ月待ちが普通のようです)

今年の始めごろ、Aさんとのやり取りで、東西の文化の精神の在り様についてのことで、「源氏物語」の真髄「もののあはれ」が文化の違う欧米人の心、感覚の中にもあるか、また理解できるかということが話題になりました。その時これを機会にあらためて今度は、全巻通して一挙に読もうと思い立ち、今その途上にあります。(遅い)

そのなかの、松風の巻の「桂の院」と呼ばれるところで、「今日はもう一日桂の院で遊ぶことにしょう」と源氏がいうくだりがあります。

「各々が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、秋の季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに略」
「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので月の光をゆっくりと眺められることであろう略」
「殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった」

これを読んだときに、すぐさま、桂離宮の月見台を連想しました。
世にも類まれな美しさと気高さを併せ持った源氏と、月と、川風と、琴の音、歌詠みと、ご酒、秋の宵にこれ以上ふさわしいものがあるでしょうか。すべてが凝縮されています。
風雅で、優雅、典雅な平安王朝文化の粋、時空を代表してはばからないでしょう。
何という豊穣な世界。 思わずため息が出ます。
写真集を見ながら、遥か遠くの平安時空に思いを馳せました。

「源氏物語」の「桂の院」は、実際には平安時代中ごろの、藤原道長の山荘桂殿がモデルになっているそうです。

月見台
中秋の名月を観賞するのに最適の場所とされる

「桂離宮」新潮社

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