若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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ソ連抑留者・詩人石原吉郎についてのやり取り I

2010-08-03 | 時事問題
アカショウビン
学生時代に札幌出身の友人が石原吉郎の熱心な読者でした。私も初めて名前を知り作品に幾つか眼を通しました。シベリア抑留の体験が生涯にわたり詩人に根源的な経験として痛切な意味を発し続けたのだと思います。
 何年か前に仕事でロシアのウラジオストクとハバロフスクの日本人墓地を訪れたことがあります。白い墓標の日本人名を辿って感無量でした。その時は人なつっこい親切なロシア人の墓守りの方がいらっしゃいましたが最近は墓地が荒らされているという話も聞きます。
 先日観直した「人間の條件」の日本兵の姿が思い起こされます。

nosubject
井上ひさし『一週間』を読み終えたところなのです。
日記の内容は、読んだ小説の内容とぴったりです。

『一週間』は問題作だと思います。
正直言って、私もその評価は両義的だという意味で・・・まだ、なにか作品について何も言えませんが・・・

ワコウ
アカショウビンさん

私は、石原吉郎の存在と「ラーゲリ」という言葉を知ったのは、70年代初めの頃でした。それ以降記憶は薄れ、すっかり忘れていた詩人でしたが。
くしくも、日本にとって特別な意味のある「8月」を前にして、阿彌の舞台「青いクレンザーの函」との出会い・体験は、怠惰な自己と、出口なしに陥って久しい世界をを見つめる、今年一番の厳しい契機となりました。
阿彌主宰岡村洋次郎さんも昨年の11月マイナス20度を越す厳寒のなかシベリア取材旅行をされ、アカショウビンさんと同じような感慨に浸ったということでした。

ワコウ
nosubjectさん

2~3冊手に入れて、一気読みましたが、私が始めに抱いていた感想は、読み進んでいくうちに、少しずつ変わって行きました。

同じソ連に11年間抑留された、内村剛介や、吉本隆明が石原を批判するように、戦争やシベリア抑留などを、人間の内なる問題としてだけでは処理できない大きな問題が残る、と思えてきました。
<もし最終的に告発すべきものがあるとすれば、それは人間全体ですよ。人間の作られ方、それが告発されなければいけませんね>
と石原が言うが、、、。

後に収容所列島といわれるようにラーゲリーをソ連全土に敷いたスターリン体制、傀儡政権の満州国を作った日本の侵略政策、米ソ冷戦構造などは、個人の問題に帰するには、無理があり、国家や社会などの共同的な体制に対する問い、考えが、個人を問う=人間存在を問うのと同時になければならないと思いました。

アカショウビン
>もし最終的に告発すべきものがあるとすれば、それは人間全体ですよ。人間の作られ方、それが告発されなければいけませんね

 ★私は石原のこの発言に同意します。それは

 >ラーゲリーをソ連全土に敷いたスターリン体制、傀儡政権の満州国を作った日本の侵略政策、米ソ冷戦構造などは、個人の問題に帰するには、無理があり、国家や社会などの共同的な体制に対する問い、考えが、個人を問う=人間存在を問うのと同時になければならないと思いました。

 ★とおっしゃる若生さんのお考えを了解したうえで「個人の問題」に立脚する石原の視角に私は固執したいと思うからです。内村や吉本さんの批判を私は未読ですが要点や出典をご教示頂ければ幸いです。

ワコウ
アカショウビンさん

先日、新たな「倫理」の確立が求められるということでした。

<「個人の問題」に立脚する石原の視角に私は固執したいと思う>

そのお考えや固執、実に理解できます。

が、私は、時々ブレブレになってしまうことがあります。

例えば:
昨年観た映画 「愛を読む人」 の主人公 「文盲」のハンナを思い出します。個人の問題に帰するには、やはり辛いです。

世の古今東西どんな戦争でも例外なく起こる、一般市民の家や農家を襲い、夫や老人や子供を殺し、婦女子を集団レイプした挙句殺し、証拠隠滅の為に焼き払うというようなことは、戦争だからでも、軍の命令でもなく、これは個人の資質の問題、倫理の問題だと思います。


吉本隆明・鮎川信夫との対談(雑誌『磁場』1978年春季号)
掻い摘んで、吉本氏は、
「石原さんは国家とか社会とか、共同のものに対する防備が何もない」といい、それは「怠惰ではないか」と手厳しく。
また「必ずしもアンチ・スターリニズムでなくともいいと思うんです。日本の国家でもなんでもいい。要するに行ってみれば個人的なものに対して共同的なものっていいましょうか」
「そこはかんがえていいはずじゃないかと」

これは、全集の対談に入っていましたので、コピーしてお送り致しましょうか。

内村剛介 『失語と残念 石原吉郎論』(思潮社、1979年)
これは、『現代詩手帖』1978年2月号から連載を始めた「石原吉郎論」で12回に及んだものを前述の題で出版されました。

(“政治嫌い”は「純粋」で「人間的」だとする石原の予断自体が不正直だ。「純粋」とか「人間」とかいう虚妄の名辞にいかれている石原がここにある。そんなものが跡を絶たなったからこそ20世紀は収容所の世紀となったのだというのに)
これまたもっと手厳しいです。

アカショウビン
>昨年観た映画 「愛を読む人」 

 ★この原作の「朗読者」は映画になる数年前に読みました。佳作だと思います。内容からして原作を読めば映画を観る必要は感じなくDVDになっても見ておりません。

 >「石原さんは国家とか社会とか、共同のものに対する防備が何もない」といい、それは「怠惰ではないか」 

 ★これは石原の反論が知りたいところです。私も資料を漁ってみようと思います。

 >「純粋」とか「人間」とかいう虚妄の名辞にいかれている石原がここにある。

 ★これは一見痛烈な批判ですが、石原が「いかれている」かどうかは検証しなければなりません。内村の言う「虚妄の名辞」を用いなければならない状況が存在すると思うからです。それを切って捨てるにはそれなりの根拠が必要です。それが内村にあるとすればそれもまた知りたいところです。

 >個人的なものに対して共同的なものっていいましょうか」
「そこはかんがえていいはずじゃないかと」

 ★私は詩人でなくとも石原のような苛烈な経験と体験をされた人が「共同的なもの」を考えないとはいささかも思えません。内村が「ためにする論」をする人とは思えないだけに、そこは追求してみたいと思います。

夕日夕陽
初めてコメントさせていただきます。

その後、スターリン批判へと繋がり、ある流れを作ってしまうほどの「悲惨」をもった収容所での生活。

それを持ち続け、というかそこから逃げることができないまま「詩」を作り続ける苦悩。

石原吉郎という詩人のことを考えると、色んな方向にベクトルが動き、色んな場所で「私」とぶつかっていきますね。

コメント欄もなんか凄い!
勉強になります。

プロレタリア文学と自然主義文学というカテゴリーがあったとして、2項対立が生む悲しいすれ違い・・・?

人間存在そのものを捉えようとしたとき、2項は、2項でなくなる気がします。私は劇団「阿彌」さんの舞台に、そんなものを感じていました。

ワコウ
夕日夕陽さん

コメントありがとうございます。

劇団「阿彌」の舞台は、殆ど、晩年の石原と関係した、女性たちのモノローグで演出していましたね。

涙をそそりました。

岡村さんは、シベリア抑留体験を舞台にするのは非常に難しかったとおっしゃっていました。

舞台装置の簡素な青い棺おけのような函、とても効いていました。



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