若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

文字さえ書ければ、ポエット
感覚次第で、何でもアート
日日を豊かに遊び心

わたくしは、9.11のその時あの現場にいました。

2021-09-12 | 時事問題
午前8時30分過ぎに自宅のブルックリンハイツから、マンハッタンのチェルシーのスタジオへ地下鉄で通勤の途中でした。ワールドトレードセンター駅に停車した時のプラットホームの状況は、いつもと違ってただならぬ気配で、電車待ちの人達や駅員たちでごったがえし、怒号と泣き叫ぶ声が飛び交っていました。まさに騒乱状態でした。それは、何かとてつもないことが地上で勃発したことを物語っていました。
「ツインタワーに飛行機が突っ込んだ。信じられない」「どうしたことだ」「在り得ないことが起こった」「この世の終わりだ」と人々は口々に大声で叫び泣いていました。私を含む満員の乗客たちは、「本当か」「何が起こったんだ」と叫び、その人達の血相を変えた様子でコトの重大さを理解しました。そして車内に戦慄が走りました。
マンハッタン全域に戒厳令が敷かれ、ブッシュ大統領が現場のコップに凡ての権限を与えたのでコップたちはとても殺気立っていて、一触即発の状態でした。総ての交通は遮断され、救急車とパトカーと消防車と軍隊のカーキ色の装甲車・ジープや名前は知らないが軍隊の車両が続々とマンハッタンに結集され,配備されていました。
マンハッタン中、おびただしいパトカーと救急車と消防車のサイレンだけがけたたましく鳴り響いていました。
「次はエンパイアービルディングだ。」
「グランドセントラル駅だ」
「サブウエイだ」とか様々なデマゴーギーが飛び交い。
カーキ色の迷彩のヘルメットや軍服で見るからに恐ろしい頑丈で長い銃を持って重装備した兵隊たちが、何人かの隊列で街角ごと走り回っていました。
映画でしか見たことのない光景で、マンハッタンはさながら戦場と化していました。
『戒厳令』とはこういう事態のことを指すのだと、始めて知りました。
わたくしの人生で後にも先にもないそれはそれは恐ろしい体験でした。

ツインタワー周辺は封鎖されていて、厳重にコップが見張っていましたが、何が起こっているのかをつぶさに見なければと。チェルシーから中華街のキャナルストリートまで徒歩で行き、そこでブロックされました。
夕がたの五時頃、何故か最後の周辺ビルが突如崩壊して、バラバラと粉塵と共に崩れ落ちるのを目の当たりにしました。モウモウとした粉塵の煙ときな臭い臭いがして、辺りにいた大勢の人々が騒然となりました。
また、ウォーターフロント近くのバッテリーパークのアパートメントの住民の人達が、立ち退き命令が出た為、取り敢えず着の身着のまま逃げてきたが、何も持って来ず、今夜はどうすれば良いのか、帰れるのか、ペットのことが心配だと言っていました。
当日現場で、亡くなられた方や、重症を負われた方方のことを口づてにお聞きしましたが、あまりにも凄惨な情況で唇が歪み涙がほとばしり出ました。生々しくて書くことができません。
20年経った今現在でも思い出しながら記事を書いていますと、胸が詰まり息が苦しくなり、マウスをつかむ手が汗ばみます。
わたくしにもトラウマがあります。
もっと書かなければと思いますが、今日はこれ以上無理になりました。
昨日は、この記事を書くかどうかを迷っていました。
心は辛くなり手が震えるからです。













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