
先週の日曜日3月14日、ハルピンのカトリック教会に出席する機会があった。大学の同僚が数カ月ぶりにミサに出席することになるので是非連れて行ってほしいというので、朝8時のミサに一緒に参加した。
南崗区にある天主教堂で、もともとポーランドのカトリック教会であったもので現在「哈尓濱耶蘇聖心主教座堂」という名前である。大きな礼拝堂で3階が礼拝の部屋になっていた。この日、350-400人が出席していた。出席者は女性がやはり多かったが、男性も少なくなかった。若い人の姿もかなり見え、階層は服装などからごく普通の人々が来ていると見受けられた。
聖職者は皆中国人で、一人の神父がミサを行なった。少年たちが5,6人儀式の進行を手伝っていた。また、スピーカーを通して司会しているような女性の声がミサ進行を告げていた。起立してください、讃美歌何ページを開けてください、など。帰りに言葉を交わした男性は、外国人の聖職者を見たことがない、と語っていた。
一緒に出席した南アフリカの女性(カトリック教徒)は、カトリックのミサとして予期したとおりで、言葉は分からないけれども他の国と変わらないと言っていた。
この日のテーマは放蕩息子の譬え話で「改変」(変わること)を会衆に呼び掛けていた。また、一連の祈りの呼びかけの中に「資本家と労働者の(協働の)ために」という言葉が聞かれた。
この日カトリック教会に出席して、一回にすぎないが、プロテスタントの熱烈さ、ひたむきさと違った別の魅力を感じた。一種成熟した落ち着いた感じのようなものである。そしてやはりここも伸びている、と感じられた。
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