人類はエネルギー源としてもはや原子力発電所を抜きにしては暮していくことができないのだろうか。この問いを中国の学生から聞かれ、私は原子力発電を抜きにして世界はやっていけないだろう、人類は強大な核エネルギーとそれがはらむ危険や廃棄物など負の要素と共存していくしかないのではないか、と答えた。これはちょうど最近感じていたところであった。
3月から授業のほかに、学生たちと日本語でディスカッションをする活動を担当することになった。3月末に「エネルギー問題、特に原子力発電について」というテーマを取り上げた。その話し合いの中で、一人の学生が「原子力発電所をやめる(离开)ことはできないのでしょうか」と聞いてきた。日本の福島第一原子力発電所が地震で破壊され、世界が懸念を抱いている現在、この学生を含めて幾人かが原子力発電所に不安を抱いて反対の気持ちを持っていることが感じられた。
日本で電力の三分の一が原子力発電に依存していて、先進国の多くがやはり相当の比率で依存している以上、私たちは現状に直面するしかないように思われる。私の比喩はこうである。核エネルギーと共存している姿は、ちょうど高齢者が心身にいろいろな病いをかかえて生きている姿に喩えられる。足腰、目に(飛蚊症など)、歯に、頭脳に生じている問題と共存している姿である。核エネルギーについては、過去の原発の事故と核に手を染めた兵器(劣化ウラン弾など)のことを忘れてはならない。考えてみれば日本に投下された原子爆弾の時期に遡って共存が始まっていたのである。(中国ハルピン)
核エネルギーは再びパンドラの箱にもどすことはできない
関連記事:本ブログ 2005/1/14 劣化ウラン弾の危険性
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色々と理屈はつきますが、最終的にはコストの問題です。
日本でも電力会社が、原発を勧めるのは、コストが安かったからです。火力や水力に比べて、単位電力あたりの発電コストが今までは安かったので、原発が推進されてきたのです。
ところが、今回の事故で、実は本気で安全対策をすると、膨大なコストがかかる事になってしまったのです。又、事故時のリスクをコストに含めると、かなり高い電気代を徴収しないと割に合わなくなってしまいます。
今回の場合を見ても、東電は、通常の企業であれば、倒産です。半公的事業ですので、税金が投入されるでしょうが、いずれにしても、国民の負担になります。
その様な負担を負ってでも原子力発電が必要なのか?と言う議論が今後の中心になって来るでしょう。
新たに日本で原発を作るにも、これから50年ぐらいは、何処の地域も引き受ける事はないでしょう。
そもそも、原発が消費地の東京ではなく、福島にあるのも、それだけ危険だからですね。
日本は、原発に変わる、電力源を模索しなくてはいけなくなりますね。
それが見つかるまでは、節電、あるいは、東西の周波数変換機能の拡大、交流から直流への移行等、試行錯誤が続く事でしょうね。
でも、関東エリアで、25%節電が可能なら、日本人の生活そのものを変えても良いのかも知れません。
教会も、節電すべきですね。誰も居ないホールのエアコンが着けっぱなし・・って毎週の風景ですからね。
シナリオが変わる可能性もあると思います。ただ目下原発に代わる電力源が見つかっていないため、時間がかかるのではないかと思います。
コストについて、起こりうる可能性を万全にカバーする施設を造るのは防波堤、高層建築などの場合を含めて、経済的に非現実的に思われます。人のライフスパン(数代まで?)の間に数世紀に一度という災難が及ぶことは考えにくいからです。
私は時々人の存在と営みを、地面に忙しく動き回る蟻のような存在ではないかと思うことがあります。
東京ではあらゆる所で節電が行われ、照明を落とし、エレベータ、エスカレーターを止め、電車の運行本数を減らしと、地域によっては計画停電があり、水道水が汚染され、いまも原発事故による放射能汚染の不安を感じながらの生活が続いています。
誰もが口をそろえて言うのですが「多少街が暗かろうが、不便だろうが、安全がいちばんだ、第一ぜんぜん問題に感じない」ことです。
東京を中心として原発抜きでの電力確保、確保できなければ節電が、選択肢なしで行われるでしょうし、それが日本のスタンダードになっていくと予想しています。
米軍の基地もその一つ、多くの日本人がその必要性認めていますが、さて、自分の街に作るとなるとこぞって反対します。
ゴミの焼却場、刑務所や、ある種の病院、老人施設・・・それ以外にもありますね。
自分達が毎日使う道路だって、そうですよ。
原発は、その最たる物ですね。
沖縄以外で、米軍基地の引き受ける場所が無いように、現在稼動中の原発以外に原発を引き受けようと言う所は今回の事故でなくなってしまったんじゃないでしょうか?
つまり、現実問題として、日本では、今後新たな原発は出来ないと言うことです。
原発の寿命は約50年ぐらいでしょう、今回事故があった原発でも古いのは確か?40年ぐらいだったと思います。
増えないで、現存のものが老朽化して廃炉になる、と言う事は、いずれ無くなると言うことだと思います。
電力会社が言っていた、「安全でクリーンな原発」って言うのが大嘘だったとばれてしまったわけですからね。
電気といえども、市場原理で売り買いされてるわけですから、例えば、東電が、電気代を値上げすれば、何処の家でも節電する様になるでしょう。
コンビにでも、電気代が安いから、真夜中でも照明をつけて営業していますが、電気代が高くて、営業しても儲からなくなれば、自然に24時間営業なんてしなくなると思いますけどね。
1832年12月27日暮れの忙しい時に、カートランドで神様は、こう言ったらしいですよ。
「早く臥床に入りて疲れを休めよ。朝は早く起きて汝の肉体と精神とを活気づけよ。」
神様の言葉を無視して、夜遅くまで役員会をやってる人も居ますけど・・・。
太陽光発電、風力発電、以外にも、地熱発電、海水の温度差による発電、潮力を利用した発電、振動エネルギーを利用した発電、等、発電に利用可能なエネルギーはたくさん有ります。
技術的なことより、コストの問題で、利用していないだけですので、原子力が高コストになれば、他の方法が検討され実用化される事になると思います。
現に、今回の震災以後、太陽光発電の引き合いが急増しているようです。自前で発電すれば、電力会社が供給できなくても大丈夫だからですね。
蓄電池の容量とコストの問題がまだネックでしょうが。
それとも今回の事故ですっかり閉口、教訓を学んで世界が方向転換するのでしょうか。新しいエネルギー源も開発されて。
このハルピンの学生コミュニティで一番夜更しの私は反省しなければなりません。(学生は10時就寝、他の外国人教師も早く電気が消えて静かになります。)
世界にも影響は当然出てくると思いますが
たぶん中国や大阪にいると分かりづらいと思いますが
東京が変わってしまったと思います。
山田洋次監督:「もしかして3月11日以前と以後の東京の、あるいは日本の人々の心のありかたは違ってしまうのではないか」
なんだか教訓を学ぶとか、ではなくて日本のありようが変わってしまったような感覚があります。そして、それが一過性ではないような感じがします。
当然住む所、置かれた環境によって受けとめ方が違ってきますね。弟や息子が関東に住んでいますので聞いてみたいと思います。(息子は東京で仕事をしています。)
何にしてもインパクトの大きさが尋常でないことを痛感しています。
「2010年の世界の発電容量は、風力や太陽光などの再生可能エネルギーが原発を初めて逆転したとする世界の原子力産業に関する報告書を米シンクタンク「ワールドウオッチ研究所」が15日までにまとめた。
原発は、安全規制が厳しくなったことや建設費用の増加で1980年代後半から伸び悩み、2010年の発電容量は3億7500万キロワット。一方、再生可能エネルギーは地球温暖化対策で注目されて急激に増加し、風力と太陽、バイオマス、小規模水力の合計は3億8100万キロワットになり、初めて原発を上回った。
報告書は、福島第1原発事故の影響で廃炉になる原発が多くなり、新設も大幅には増えず、再生可能エネルギーとの差はさらに開くとみている。(共同)」
中国の史書には、「蛍雪の功」と言う話が有ります。
夜更かししたい時は、蛍雪エネルギーで頑張って下さい。
但し、ネットには無理ですけど・・・・。
「逆さ蛍」って言うのも・・・・・。