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2009/02/15 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵」

2013-04-02 23:10:17 | 中東関連
私が以前から驚嘆し注目していた言葉がある。それは2009年2月15日、村上春樹がこともあろうにエルサレムで語った言葉である。その勇気ある声明に共感してやまないので、4年前のことであるが、ここに掲載しておきたい。

--- --- --- (以下引用)

1つのとても個人的なメッセージをお伝えすることをお許しください。それは、私がフィクションを書いているときに、常に心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼り付けるようなことはしたことがありません。むしろ、それは、私の精神の壁に刻印されているのです。よろしいですか。

 「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」 

しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。他の人は、何が正しくて何が間違っているか決めなければいけないでしょう。ひょっとすれば、時間や歴史が、決めることもあるでしょう。理由が何であれ、仮に、壁の側に立って作品を書く小説家がいるとすれば、そのような作品に如何なる価値があるでしょうか。

このメタファーの意味するところは何でしょうか。ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です。これは、メタファーの意味の1つです。(中野拓のブログ2012/09/17記事より)

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

 "Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

 Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

 What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

--- --- --- --- (end of quote)

参照 文芸春秋 2009年4月号
本ブログのカテゴリー(左下の方)「中東関連」の各記事


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3 コメント

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私は豚の側に立つ ()
2013-04-03 19:44:32
人にはそれぞれ、得て不得手が有り、それぞれの状況によって割り当てられた役割が有る事は承知している。

小説家には小説家の役割があり、学者には学者の役目がある。

村上春樹氏が、その意味で、小説家として卵の側に立つ事は何の問題も無いと思う。

しかしながら、「卵の側に立つ」と言うのは「私は卵ではない」と言うことですね。
つまり、村上氏が卵になって壁にぶち当たって砕ける事は無いと言うことです。それどころか、村上氏もある種の壁によって守られた存在である、とも言えます。

壁の中に居て、壁の側から卵の応援をしているのが、村上氏の姿ではないでしょうか?

それが悪いとは思いませんが、ただそれだけの事でしか無いと思いますね。

豚は豚小屋の中に居て、卵を見ている。豚は決して卵を産まない。

学者は、研究室に居て、卵を研究はするが、学者もまた卵にはならない。研究室の壁の側から卵を見ているのではないでしょうか?
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人間性の問題では? (沼野治郎)
2013-04-03 21:29:07
このスピーチを掲載した中野氏が書いていますように、これは一つのメタファーです。意味は豚さんが書いている例からも分かるように、その人の立場によって受けとめようは千差万別です。イスラエルのユダヤ人、西欧のイスラエル寄りの見方をする人は徹底してこのスピーチに反論し、非難するでしょう。

私は建国以来パレスチナ人に理不尽な処遇を強いてきたイスラエルに呆れ、嫌悪・憤りを覚えています。明らかに壁と卵は両者の対比を表しています。

虐げられている者、被害者に感情移入し、応援したい気持ちになるのは、立場や職業に関わりなく共通する心情ではないでしょうか。私は自分自身に矛盾をかかえていようとも、少なくとも理解や心の面からは弱者や被害者の側に立ちたいと思う人間です。

今、中国政府から酷い扱いを受けているチベットの現状を書物から読んで心を痛めています。ツェリン・オーセル「チベットの秘密」。
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訂正 (nj)
2013-04-03 21:31:53
もとい、メタファーと言ったのは村上氏自身でした。
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