梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

かわべふるさと祭りを終えて!

2007-08-15 08:21:21 | Weblog
8月14日は、恒例のかわべふるさと祭り、今年も帰省客や町外のお客様多数をお迎えして盛大に行われました。
私も実行委員として、朝8時から準備に参加しましたが、例年になく順調に準備が完了しました。各種団体のご協力を得ての夜店も賑わいを見せ、大変好評でした。
関係者の皆様ご苦労様でした。
今日は小川様から頂いた奇跡に画家のお話を投稿し、自分の反省にしたいと思います。もし呼んでいただける方がありましたら、自分の立場とかさね合わせてみてください。
■奇跡の画家
おはようございます!小川です。
今、お盆で田舎の栃木に帰って超タイクツな毎日をおくっている。
親戚が集まって高校野球を見てあーだこーだ言って、ご飯を食べて・・・
あーメチャメチャ退屈だ。
早く仕事に戻りたい。
こうやって実家でゴロゴロしていると居間で親戚とTVを見てる時間が増える。
そしたら、面白い話がやっていたのでシェアしよう。
それは“奇跡の画家”と呼ばれた人の話。
熊本県で農家をやっていた大野勝彦さんと言う人は、ある日、農作業中に
機械に手を突っ込んで大けがをした。
そして大野さんが病院で目覚めると、自分の両手がなくなっていた。
さっきまで普通にあった両手がない。
大野さんは絶望のどん底に落ちて生きる希望を見失った。
こんな状況になったら誰だってそうなるだろう。
しかし、大野さんの妹が彼を元気づけるために腕に筆を縛りつけて、「字を書いてみなよ」と言ってそれを実際にやってみせた。
それに勇気づけられた大野さんは毎日、お見舞いに来てくれた人に30枚
はがきで礼状を書くことにした。
そして、退院してからも義手で絵を描き続けた。
雨が降っても傘も一人でさせない・・・」
とか弱気になる時もあったが、絵を描き続けた。そのうち、地元の学校とかから
事故から復帰したのを講演してほしいと頼まれるようになった。
両腕の無い画家
彼は奇跡の画家と呼ばれるようになった。
そして奇跡の画家は「夢」を持つようになった。それは自分の美術家を持つこと。
「そんなものはスグつぶれてしまう」
「経営が成り立つはずがない」
今まで大野さんの周りで彼をサポートしてくれてきた一番近い人たちから猛反発をくらった。
それでも彼はその夢をあきらめなかった。
彼は自分の意思の強さをまわりの人たちに分らせるため生前葬を行った。
生前葬で奥さんは「彼の夢は美術館を持つことでした・・・」と語った。
・・・
そして今日、彼は北海道に3店舗目の美術館を建てている。
猛反対にもめげず、両腕がないことにもめげず、彼は自分の夢を実現して、それを大きくしている。
彼は言う。
「今、両腕があるのに、**ができない、**がない
などと言う人達がいる。僕はその人たちに言いたい。
一度、両腕を切ってみれば?そうすれば、どれだけ恵まれているかが分かるよ」
と。
大野さんは常に笑顔だ。
両腕がない画家の言う言葉の説得力は
僕らが使う言葉の説得力とは比べ物にならない。
このストーリーから僕らが学べることはたくさんある。
僕らが、いかに恵まれた条件下にいるかということ。
たいていの人がその恵まれた条件を忘れてしまって、
自分にとって条件が悪いところに視点をフォーカスしてしまう。
そして、自分の夢を阻むのは、一番身近で、あなたの事を心配してくれる人たち
の場合もあるということ。

僕が思うに。大野さんは両腕を失ったとしても
もし、インターネットビジネスをすれば大成功しているだろう。
画家の成功よりもネットビジネスの成功のほうがはるかに簡単だ。
そして、断言できる事がある。
もし、両腕を失ってネットビジネスをするとなっても
大野さんはこんな言い訳は絶対にしないだろう。

いかがでしたでしょうか、私も出来ないことの言い訳を考えるほうのようです。
今日から気持ちを切り替えたいと思います。