昨日の雨で一挙に開花しました。
無粋なガードレールや電線がなければ、映えるのですが仕方ありません。
ガードレールは安心と安全に欠かせないものですし、電線や電話線がなければ暗闇生活、情報も得られない生活は考えられません。
ここに植えたほうが、考えもないことだったかもしれませんね。
近いうち、電線に都合が悪いので切らせてくださいとなるかもしれません。
アクアサービス盛社長から頂きました。
さて、森信三氏の著書『修身教授録』(致知出版社)には、
「二種の苦労人」という講義が収録されています。
人間は苦労することによって、お目出たさがなくなり、甘さが消えていきますが、そこには二種の違ったタイプの苦労人が出来上がるようです。
1つのタイプは、苦労したために、人の苦しみに対してもよく察しができて、同情心を持つようになります。
2つ目のタイプは、苦労したために、かえって人間がえぐくなり、他人に対する思いやりが、さっぱりなくなるようになります。
第1の苦労人タイプは、自分が色々と小言を言われたり、悲しい思いをさせられたり、非常に辛い経験をしたならば、他人に対しては絶対しないようにしようと考えます。
このようなタイプは、苦労することによって、何とも言えない柔かな思いやりのある人柄になります。
反対に第2の苦労人タイプは、自分が受けた辛い経験を「なんだ。これくらいの苦労は自分はやらされてきた」と、他人にも同じような経験をさせようと考えます。
同じように苦労した人でも、このような違いが生ずるのはなぜでしょうか?
森信三氏は、「その人が自己を反省するか否かによる」、そして、反省するには「まず道を知るということ」と、述べています。
人間は道、即ち何が正しいのかという教えに出合わないと、容易に自分を反省するようにはならないものです。
「道(教え)」を学びながら苦労するタイプの人は、苦労すればするほど人間が磨かれ、思いやりのある人間に成長していきます。
「道(教え)」を知らずに苦労するタイプの人は、苦労すればするほど苦労が顔に表れ、性格がえぐくなり、思いやりのない人間になっていきます。
常に「人間にとって何が正しいのか?」という教えを学び、多くの苦労を吸収できるようになりたいものです。
まさに「生涯学習」こそ、苦労を栄養源にできる近道になることでしょう。
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