のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

もし人類が一人の人間として覚醒するとしたら

2018-07-12 | 地球の爆弾すべて花火となれ!

のしてんてん系宇宙・五次元宇宙モデル(ヒトであり原子であり宇宙であること)

 

 

 

今人類は70億いると言われています。

この70億が人類という一人の人間だと考えたらどうでしょうか。これ以上ない妄想と思われるかもしれませんが、しばらくお付き合いください。

 

「人生は苦なり」お釈迦様の言葉ですが、2500年以上も前に生まれた言葉が、今の私達の心にもそのまま受け入れられます。つまりそれは人間にとっての真理ということが出来るでしょう。

2500年を経ても変わらないし、これからも私たちは苦悩を避けて通れない気がいたします。まさに人生は苦なりですね。

以来、人はこの苦から解放されるために考え続けてきました。いかにして悟りを開き涅槃に入るのか。

そのための2500年の人間の歴史があり、わずかながら歴史に名を残す覚者も現れました。その最先端で今、私達一人ひとりもまた己の心の中でその歴史を繰り返えしているのです。

目指すのはヒトとしての悟り。迷いから救われ真実に触れようと願うのです。

そこで私は、「私」のこの思いを「人類」に置き換えて考えてみたら何が見えてくるのか、考えてみたいのです。「人類」を一人の「私」に置き換えてみたら??

もし「私」が「人類」だったとしたら、私達が日々感じているしあわせになりたいという思いとどう対応していくのでしょうか。

 

70億の人類が一人の人間だったら、「私」は何にあたるのか。

上の図でお示しした五次元宇宙モデルで言えば、大きなヒト型が「人類」とすれば「私」は一つの小さな黒い点なのです。

点が六つ集まって村が出来、村が六つ集まって都市が出来、都市が六つ集まって国が出来る。そして国が六つ集まって「人類」という一人の人間がいるのです。

逆に「人類」が私の身体と同じだとすると、「私」はたった一つの細胞ということなのですね。 

※五次元宇宙の考え方に興味がある方は、当ブログで紹介しています五次元関連の記事を参照してください。

 

 そうすると、この「人類」という一人の人間もまた苦悩を抱え、救済を求めている。そう考えることが出来ますね。なくならない戦争は苦悩の歴史ともいえるでしょうか。

今現在、「人類」に降りかかっている苦悩は妄想を究め、最終兵器を使ってリストカットのような自傷行為に走ろうとしている危険な状態です。己の腕をだし、生唾を飲み込んで最終兵器(カッターナイフ)を握りしめているのですね。

もしそれが私達個人のことでしたら、そんな迷い人を救うために、怖れていることは何もなく、この自分の腕も生きていることを知り、その腕をつくっている細胞の命の力を実感出来るるような機会を与えられることで救われるかもしれません。探せばそこから悟りに至った人の物語はいくつもあるのではないかと思われます。

 

「人類」の苦悩はどうでしょうか。「人類」を覚醒に導くのは細胞である70億もの「私」がその生命の尊さを自覚することでしか実現できないように思えますね。

一人の「私」などとるに足らないものですが、その「私」がなければ「人類」も存在しないということもまた真実です。

 

「人類」が己の身体の命の尊さに覚醒するためには「私」の命の願いを、無数にある「私」の願いに昇華させることでしかありませんし、その「私」の意識が集まるということが悟りの原点となるのではないかと思うのです。

 

今この狂乱する世界に対して、あまりに小さいばかげた考えかもしれませんが、しかしそれは空気の一粒のようなもので、それがなければ人類は生きる意味を失うのです。

 

もしリストカット直前の「人類」を根本から救うことが出来るとすれば、命の尊さを自覚してその喜びを知り、自然のままでこの命を全うさせたいという願いに対して、70億の「私」が意識をつないだときではないでしょうか。

 

様々な不安や恐れに身を固くして、一人ひとりの「私」が命の喜びや願いを封印してしまったら、「人類」は覚醒する力を失うしかないでしょう。

それに対して、

お祭りのように心を開放して喜びを発散させる。とても大切なことですよね。

 

お祭りは「人類」の宝物。

しあわせに進む方法を問うイデオロギーなんて関係ない。まさに命に直結する喜びです。

 

曲がりなりにもオリンピックは「私」の命を謳歌して喜び合う祭典ですね。

地球にはさまざまな祭りが自然発生的に生まれていますし、長い伝統をつないでいるものは各国にあるでしょう。

つまり、世界平和花火大会はもうすでに私たちの手の中にあるのです。

スポーツの祭典があるなら文化の祭典も可能。

技能の祭典、人間愛の祭典、ありとあらゆる、私達の健全な命を全うする喜びを重ねる祭典は決して夢物語ではないはずです。

 

地球にある爆弾を原料にして花火を競い合う祭典を100年続けたら、爆弾は半減し、「人類」は花火と共に覚醒していく。

命の大切さに気付き、その命の持っている至福に満たされていく

それが祭なのです。

 

 

「人類」の苦悩は、人間を不幸に陥れるためにあるのではありません。それは今進んでいる道は危険だというシグナルなのです。

進む道を変えなさいと言う警鐘なのですね。

そして進むべき「人類」の道は「私」の願いに他なりません。「この命を健全に全うしたい」この意識の先に「人類」の喜びの道があると言えるでしょう。

 

私達は簡単に出来ることをする。

この命が喜ぶことをする。

 ただ意識するだけでも力になる。

 

少なくとも私たちにはその手段があるのです。

小さな声や意識は、一粒の雨から生まれる大河のように、人類という心の中を流れるかもしれません。

「健全に命を全うしたい」

70億の願いが重なったとき、「人類」の覚醒が起きる。

私たちは、「人類」の覚醒を願うことで、己が深い涅槃の中にいることに気付く。そんな夢のシナリオを試して見る価値はありそうです。

 

「地球の爆弾すべて花火になれ!世界平和花火大会をしよう!」

これは、そんな思いを伝える素晴らしい言葉だと思います。

 

夢物語から始まっても、

間違いなくそこには真実が込められているのですからね。

 

 

健全に命を全うしたい

誰もが思う願い

それは人類の本願と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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7 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-09-27 13:00:35
①幸福が満たされない
②満たされない幸福が無い
③幸福が満たされる
④満たされる幸福が無い

①は苦である
②③④は苦では無い
以上、仏様の教えである。
返信する
☆感覚が全宇宙につながっている☆ (真鹿子(まかこ))
2017-09-27 15:07:18
のしてんてん様

こんにちは!

こちらこそ
いつも有難うございま^す^

感覚が全宇宙につながっている
全く仰有る通りだと思います。
「地球の爆弾すべて花火となれ!(願い龍)」の
コメントへのお返事ですが、
こちらの記事にも通じますので、
こちらからお返事させて頂きますけれど、


私たち宇宙の万物は、
宇宙と一体、全身全霊すべて
全宇宙とつながっています。


ことに動物、私たち人類は、
内蔵、五臓六腑の器官も、
眼耳鼻舌身意の感覚器官もすべて、

肉体、精神、想念、心持ち、心意気、
髪の毛一本に至るまで、
細胞の一粒に至るまで、
何から何まで丸ごと宇宙と一体、
全宇宙につながっています。

どんなに極微な想像でも、
一瞬無限大の心意気で、
全宇宙に貢献させて頂きましょうね♪

いつもいつも
のしてんてん天力をありがとうございます!

午後からもどうぞ
素敵な時をお過ごしくださいませ☆

感謝感激∞8∞

まかこ 拝


追伸


菩薩笑みは
すばらしいですよ☆♪

感覚が宇宙とつながっていますように、
感覚器官の細胞もすべて、
全宇宙とつながっていますので、

菩薩笑みになっていますと、
自然と菩薩の慈愛がもたらされ、
宇宙に貢献できる閃きや
助言、力が天与されます。

のしてんてんさんはもう、
菩薩笑みになっていらっしゃいますね♪

お釈迦さまに説法ですニャン=^ェ^= ;;
返信する
Unknown (Unknown)
2017-09-28 05:52:01
人類にとって、幸福の象徴が核兵器なのです。すなわち、問題となるのは核兵器ではなく、幸福です。幸福であることを問わねばならないと思うのです。
中動態がそれを考える際の参考になるのです。
返信する
Unknouwn様 (のしてんてん)
2017-09-28 08:50:59
「幸福の象徴が核兵器」

とてもよくわかります。Unknownさんのお考えが、人々の幸福に至る道筋ですね。

人間が作るすべてのものは、幸福を追求する産物ですよね。

追求する幸福を見る角度が違うだけで核兵器が生まれ、宗教が生まれ、ありとあらゆるものが生まれる。

その生み出しているエネルギーこそ本物であり、思考で言えばそこに中動態があるのですね。

すべての問題は、能動態・受動態の思考から生まれたまさに象徴。

だとすれば中動態という思考形態に人類が気付けば、その考え方そのものが幸福であることに気付く。

青い鳥ですね。

そして気付けば、象徴は自然になくなると直感しています。

またご教示お願いします^ね^
返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2017-09-28 09:11:37
昨日こんなことがありました。
龍の絵に行き詰ると心が乱れるのです。
それを眺めていましたら、心の中に箱のような塊が現れて、その箱の中に苦悩の種が詰まっていると直感出来ました。

そしてその箱の中身が一瞬見えた気がしたのです。

うまく行かない絵を、悲観してどうにかしようと思う心です。

その箱の中身は、宇宙の力を信じられず、自分で何とかしなければという思い上がりの心があったのですね。

その箱の中を命の喜びで満たしてやろうと思いました。

絵のことを気遣う必要はない。
そういう思いが自然にやってきましたので、身をまかせますと絵の峠を乗り越えられるような気がしました。

私はただ、菩薩笑みになって生まれてくるものを見ていればいいという、ちょっとした体験でした。

龍になるというのは、案外そういう意味なのかも知れません^ね^

言葉と現実が一致しているかどうか知りませ^ん^け^ど^

今日もよき日でありますように。

今朝散歩中に、この記事のことが浮かび、オリンピックとつながりましたので追記しました。

よかったら再読下さい^ね^
返信する
Unknown (人生の素人:折師)
2017-10-03 21:39:17
 お久しぶりです。…少し暗闇に迷い込んでいました…汗。 
「人類」の苦悩は、人間を不幸に陥れるためにあるのではありません。それは今進んでいる道は危険だというシグナルなのです。進む道を変えなさいと言う警鐘なのですね。(中略)私達は簡単に出来ることをする。この命が喜ぶことをする。 ただ意識するだけでも力になる」
…ようやくこういった言葉を直視できるようになりました。「恩師」の記事といった深い記事も含め…良い記事との出会いに感謝を!
(恩師の記事は…コメントが浮かばないほどの記事でした…されど、みんなが幸せでなければ実現できない空間…本当に憧れました。)

 悩みとの付き合いはまだまだ長くなりそうですが、コンパスとして付き合っていきたいです…。
 菩薩のような広い心で悩みと付き合えるように…

 改めて記事に感謝を…!
返信する
折師様 (のしてんてん)
2017-10-04 07:33:25
暗闇に迷い込む

私も経験しました。何度も。

その時はいつも、これが苦悩の真ん中で、抜け出せるのかという不安が、地下牢に封じ込められているような恐怖さえ感じましたが。

自然に浮かび上がってくるものですね。

その開放感の素晴らしさが本物だということが実感できるようになってくるのです。

正直に自分を見つめる目さえあればいいのですから、折師さんの暗闇はまったく成長の階段を上がっている証しだと私は信じることが出来ます。

「悩みとの付き合いはまだまだ長くなりそうですが、コンパスとして付き合っていきたいです…。
 菩薩のような広い心で悩みと付き合えるように…」

この記事を素晴らしいと思います。

のしてんてんソワカ
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