脇野沢から大間にかけては
新第三紀の火成活動により形成された
大露頭が連なり
豪快な海岸風景をみせている
また 北限のニホンザルの棲息域である
むつ湾フェリー「かもしか」から脇野沢を望む
同上 鯛島
同上
脇野沢港
鯛島を望む
仏ヶ浦
仏ヶ浦
仏ヶ浦 グリーンタフ
福浦崎から仏ヶ浦を望む
縫道石山から福浦を望む
大間崎 弁天島 対岸は北海道恵山
同上
風間浦から大間崎を望む いくつかの海岸段丘
【参考資料】
石上玄一郎著「菅江真澄の旅」―流罪の地ーより
『・・・・寛政5年4月17日・・・・
・・・・深い谷の底で、木々がゆらゆらと揺れ動いている。何かと見れば野猿が二、三匹、梢から梢へと伝い歩いているのだった。
この山道の坂をおり尽した所が福浦の海である。この前休んだ家に入ったが、雨はまだ降り続き気分もすぐれぬので、きょうはここに宿をとることに決めた。
岸辺に人が大ぜい集まっているので、何事かと思って見に行くと、「大魚を釣った」と言って騒いでいる。これはイシナギという魚で、アイヌたちはソイマスケといっている。五尺ばかりもある大きな魚の鱗を、鍬でもってかき落し、料理して浦人たちが持ち運んでいた。
家の子供が紫水晶を持って遊んでいるので、「これは長後の沢から出土するというが、それか」と聞くと、「そうです。枝の垂れている松林の間をよじ登って行くと、水の流れている所にありました」などと言っていた。・・・・・・・・・』
探検心を起こさせる記述だ。。。。。。。。
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