奥入瀬渓谷の沢山の滝は、
65万年前、八甲田カルデラ(田代平)の火山活動で、
爆発的大火砕流が形成した溶結凝灰岩の岩壁に懸っている。
この岩は、板状節理をもち、十和田湖から流れ出る唯一の川で
ある奥入瀬が河谷を開いてきた。
遊覧船から、十和田湖の水の出口で奥入瀬渓流の始まりの子ノ口を
望む。左手「七曲り」方面には水力発電の取水口がある。
渓谷全体に見られる溶結凝灰岩。
板状節理。「屏風岩」
子ノ口付近の流れ。
子ノ口の本流に懸る「銚子大滝」。
「銚子大滝」
「雲井の滝」
雲井の滝。「クモイ」は蝦夷語で「膝」とのこと。
「阿修羅の流れ」
「阿修羅の流れ」 岩の上に植物。
石ケ戸の流れ。
水の色に樹林の鬱蒼さがわかる。
「石ケ戸」。溶結凝灰岩。中は広い部屋。
むかし、盗賊「鬼神のお松」が住んでいたと言われる。
奥入瀬渓流3里半は、傾斜の緩い沢筋の樹林がほとんど隙間なくつづき、
カツラ、トチ、ブナ・・・・などが空も見えないほどに繁っている。
この中を散策するのは、何時の季節でも、正にいのちの洗濯だ。
田園地帯をうるおす奥入瀬川(相坂川)中流。
南北八甲田連峰を望む。
世に十和田奥入瀬をpRした大町桂月の文を
ここに掲載する。
『 大町桂月遺稿 十和田湖 』
昭和11年8月1日発行 編著 生出一匡
十和田湖 大町桂月 より抜粋
「奥入瀬の渓」より |
・・・・・・・湖水の川となりて流れ出づる処を子の口と称す。その流れを奥入瀬川と称す。橋かかる。長さ十三四間。水は緩く流る。水中の魚を見るべし。右岸を下る。路も緩也。十三町にして、子の口の瀧に至る。奥入瀬川の断崖に一落する也。高さ三丈幅十丈、三里四方の十和田湖の湖水が集まりて落つることなれば、水量は多し。幅のひろきことだけなら、他にもその類少なからず。殊にナイヤガラの写真見たる目にはあきたらぬ心地す。されど、この渓流は、他には見難き風致を有す。湖口より蔦川を入るるまで凡そ三里、島多し。みな木を帯ぶ。これ奥入瀬渓流の特色也。渓流は普通勾配急に、水の増減甚だしく、水中に巌あるも、木を帯ぶるに由なき也。ひとり奥入瀬の然らざるは、ほとんど勾配なきまでに流れ緩にして、十和田の全山木しげるがために、絶えて洪水なく殊に老樹天をおおうによる也。さればとて、時に急湍(きゅうたん)もありて、単調にあらず。げにや、三面の間、山毛欅、桂、 、栃などの大木しげり合ひ、女蘿(つた)かかる。仰いで天を見ず、下には、こごみ茂る。紫陽花、蛇麻の花もさきたり。如何なる炎天とても、ここを上下する者は、絶えて夏あるを知らざるべし。左右は、断崖也。瀑布を帯ぶ。白布瀑を最も美とす。白糸瀑、姉妹瀑、雲井瀑、棚瀑などは、その名あるものなるが未だ名のつかざるもの多し。高さいづれも十丈にあまる。木繁れるがために落口の見えざるものあり。下部の見えざるものありて、ますます奥ゆかしく感ぜらる。十和田湖に遊びて、この渓流を見ざるものは、未だ十和田湖を見たるものと言うべからざる也。・・・・・・・・・ |
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