保科正之が「土津はにつ霊神」の称号を受けたことは知っていた
弘前藩「中興の祖」四代藩主津軽信政が
正之と同じ神道の師から「高照霊社」の称号を受けて
高照神社に祀られていることを知った
リンゴ園の花盛りを観ながら
国重要文化財の高照神社にお参りをした・・・・・・
一の鳥居 二、三の鳥居も見えている
避雷針のポールが所々に置かれている
随神門
随神門 奥は拝殿
髄神門の番人
髄神門から鳥居を振り返る 石畳の形が面白い
拝殿 左に手水場と大モミ 石畳の石
ウラジロモミ
拝殿 お札やお守りなどが並んでいる
神社の「守人」を募るチラシも・・・・・
本殿への廊下
本殿
本殿
廟所へ 200mの道
廟所門 奥に廟所拝殿
一の鳥居の左手 「高岡の森弘前藩歴史館」
甲冑、刀、絵画、古文書等々・・・・・・
帰路 高岡の森を仰ぐ
【参考資料】
津軽信政 のぶまさ
1646.7.18誕生 1710.10.18没 65才
正之の35才年下
保科正之 ほしな
1611.5.7誕生 1672.12.18没 62才
肖像画の服装等はよく似ている
師事したのは両氏共に神道の吉川惟足 これたり
その思想「四重奥秘」とは❔・・・・・・・・
★ 「守人」を募るパンフレットなどによると
建物の破損や老朽化や雪降ろしに対して氏子の高齢化等で対応が難しくなっている。
クラウドファンディングも準備中とのこと・・・・・・・