この記事も、暮れに書きかけていたものです。年は改まってしまいましたが、、、書いておきます。
若い頃って、生まれた意味、生きること、考えるものですよね。
自分は何なのだとか?何のために生まれ、生きてるのだろうか?なんて、、
生きることに執着が無く、死に進んでいきやすい危うさを持っていたように思いますが、
確信のない死後の世界飛び込む前に、まだ見ていないものがある。
目に見える現世を生きる方を選択してきました。
歳とともに、生や死について思い悩む時間が無く、守らなければならない者たちが出来、、
舅たちを看送り、いま母を見守り今日まで来ました。
私は今も生きることに執着が無いのではと思ってるんですけどね、かと言って、自殺願望は無いです。(きっぱり)
今の私、
子育ては終わって、私が居なくなっても大丈夫。今度は息子たちが私の財産。
あと、、、看取らなければならないかな?と、思ってる母と夫。
子供たちに丸投げできないよねぇ~~な、思い。私もどれだけ自分で生活していけるか?
でも必要とされて、それに応えることも私の生甲斐なのかも
でも人生の余生と呼ばれる時、唯々、、楽しく暮らしたいと思うのです。
楽しくって、好きなことをして少しは誰かの役に立ち、軽やかに暮らしたい。
軽やかに暮らすためには、健康に気を付け 体力作りも必要ですよね。
な、ことを考えていたら、母の入院。ホント体力勝負です。
完全看護とは言え、様子が気になります。せめて県内、だったら、再々通うことも可能ですが、
かと言って、ずっと付いていてもすることは無く、私の生活が成り立ちません。
月に一度のお楽しみのカルチャースクールへ行くついでに
足を延ばして、母を見舞ってこようと思います。