遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

父との思い出

2010-01-15 18:21:38 | 思い出

以前、バジルさんがお父様との思い出を綴っていらっしゃいました。

羨ましいとコメントを入れました。
私には、父との記憶は、、、、、ほとんどないのです。

ほとんどない、、、、って事は、まったく無いわけではありません。幾つか、あります。

父と暮らしたのは、幼稚園に上がる前まで、
しかも、あまり家にいない人でした。

何か悪戯をしたのか、とても怖い顔の父。
             (実際には表情など覚えて無くって、私か怖いって感じた感覚)
離婚後(離婚協議中だったかも)、母の実家に来た父は、鴨居に頭が使えるほど大きな人だったこと。
大人達が何を話していたのかは解りませんが、
父とはこんな人だったんだ、、、と、人事のように観察していました。
突然、そばに来るように言われて、寸法を測られ、
後日、入学祝のランドセルや画板とともに、ピンクのオーバーコートが送られてきました。
ランドセルは、軟らかい皮の上等なものでしたし、他の子たちが板の画板だったのに、
私のは、絵の具や筆が入る鞄の裏に画板がセットされてるものでした。

他のみんなと違う、それらがとても嫌でした。

そして、入院してる父を見舞いに行ったとき、ベットの横に弟を寝かせて
ずーっと、眺めていた父、、間も無く他界しました。

納棺され花に囲まれた父とのお別れをと、大人たちに促され
とっても綺麗な花々と父のギャップを感じてた冷めた私。

その時、大人達は可哀相にみたいなことを言ってたと思うんですが
可哀相なんかじゃなかったのです。
父が亡くなったことで、何も変わることはありません。
私にとっての父は、近所のおじさんよりも遠い存在でした。

母に連れて行かれた病院、そして葬儀。何の感慨もありませんでした。

可哀相と言うなら、自分の父親が亡くなったことに何も感じない事。

今、書いてきて、
ようやく、半世紀も過ぎた今、父は私や弟を愛してくれていたんだ。と感じます。
チョッと、涙がにじんできました。

誰かが、教えてくれました。私をバイクに乗せて京都の町を走ったんだと、
その時の私は、笑っていたのでしょうか。

あの時、冷めた目で見つめる娘を父はどんな思いで受け止めていたんでしょう。

あは、珍しく感傷的になってしまいました。

でも、心の中の深い所に押し込めてた思い出を話せて、スッキリしています。
あの時、バジルさんに羨ましいって、素直に言えた自分に驚いていました。
カチコチに突っ張ってた気持ちが、すこ~し軟らかくなったようです。

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