世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

政治の制度の前に

2023-10-12 | 国々の正義・・・

 

社会や歴史を政治制度から話し始めるのは、間違っていると思う。

はじめに、風土や風習がどうだという前提を掘り下げるべきだろう。

自然発生的な要素に左右されている共同社会への視点が抜けがちになる。

政治制度だけでみていくと、その社会の根底、生きようを解明できない。

その共同社会の本態が隠れたままだ。

風土や風習には、手順や優先や合理性が希薄だからだ。

一方的な合理性を含む政治制度が、いつもの説得力を持っているとは思えない。

強権、専横で押し切るしかなくなるわけである。

 

行き詰まった政治の最終的選択に露骨な暴力がある。

市民に対しては選択肢がない極端な強制であり、

他国に対しては戦争を仕掛ける。

政治は、脅迫と暴力に容易く変身する。

さまざまな言葉を使って正当化されるが、暴力そのものである。

 

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言い古された諺は‥

2023-10-12 | 雑々と過って惑う

 

📌

言い古された諺は生きている

 

身の回りには言い古された諺が沢山ある。

或いは、年寄りの知恵として発せられたこともるだろう。

人は成長につれて論理的な説明や方法に慣れ、それで合点がいく。

で、俗な諺を軽視して、それが存外に理に適っている事に気が付かない。

その含意は凝縮されており、そのうえ口語的な平易な言いようなので、

その論理性が希薄と直感するのかも知れない。

言い古された諺を口されると、面白くない軽口か皮肉と受け取ることになる。

 

だが、さまざまな曲折を経た末に難題の出口を見つけた後に、

問題の本質が、言い古された諺に喝破されていることに気がつくことがある。

平易な諺は短絡しているが本質を指摘しているのだ。鋭いのである。

 

 

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顔の地殻変動

2023-10-09 | 雑々と過って惑う

📌

自分が老いたせいだろう。

ひとを見て、もろもろ想像してしまう。

例えば、

若い顔、中年の顔、老い顔、街でも車内でも、tv画面などでも、

歳を重ねて人の顔の変わっていく図を無礼ながら、つい勝手に想像してしまう。

若い顔はその老い顔を想像し、老いた顔はその若き日の表情を浮かべて見る。

 

Tv画面に出てくる著名人を見て、あの人のこんな老い顔を見たくなかったと思ったりする。

 

顔のつくりは、地殻変動の如くに、歳を経るに従って変じる。

おやっと思うほど印象の変わる人もいる。

 

幼い子どもたちは、そういう想像を全く誘わない。

老いに最も遠い彼らの無邪気さと幼な顔は、どの子もとてもみずみずしい。

 

そして、やはりわが顔を身体を思う、抗っても、皺もシミも弛みも、

老いがすっかり覆っている。細胞の代謝はうまく働かなくなっている。

受け止めるしかないことばかりが、この後も自分を待っている。

その寂しさに耐える術こそが老いの嗜みなのかも知れないと思ったりする。

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無理矢理に

2023-10-09 | 雑々と過って惑う

📌

無理やりに 歩いて暇を 潰しけり

 

老いまぐれ 未来という字を

ジッと見る

 

老いる身に ”終活”煽る お節介

 

萎たる 家屋見てさえ 我が身かな

 

残日は 台風一過の 心地あり

 

抗えど 見映えは老いて 席貰い

 

風通る 枕ひとつの 昼寝かな

 

風呂あがり 夜風を浴びる 股間かな

 

陽ぞ憎し 日陰をたどりて 遠回り

 

眉薄れ 老けの中和に メガネ黒

 

競技者に 無心の拍手 白き歳

 

走りゆく 少年の勢い 羨まし

 

夏のような 秋が来てまだ 素麺

の昼

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トイレで挨拶

2023-03-22 | 人との間合い

📌

過日、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏死去のニュースが流れた。

僕はずっと昔日に氏を見かけた日のことをよく覚えている。

この会社の本社が英国大使館の近くにあった頃、

動き出したコンビニ展開を取材したくてこの会社を訪問した。

まだセブンイレブンが3店しか展開されてなく、

4店目がまもなく開店に漕ぎ着けるという時期だった。

 

建物に入った僕は受付に進む前に、玄関ホールの近くにあったトイレに入った。

普通に広めで78人は並んで用を足せる。誰もいなかった。

そこで用を足している時に、背丈のある姿のいい人が静かに入ってきた。

伊藤社長だと僕はすぐ気がついた。

面識もなく今日訪ねる相手でもなかったし、トイレの中だし、僕は無反応で通した。

だがその用を足すわずかな時間に、伊藤社長から『いらっしゃいませ』と丁寧な挨拶を

された。僕はちょっとびっくりした。

若い見知らぬ人間にトイレであっても声をかける社長は初めてだったからだ。

 

僕は何かいい経営者の見本を見たような思いだった。

なかなかできることではない。

僕を無視してもなんの支障も、無視されても不快も生じないのにである。

ふっと頭を過ったのは、伊藤社長は社員全部の顔を知っているんだと。

この見知らぬ顔は会社を訪ねてきた客だと察知されたに違いない。

であっても、無反応、無視してもいいケースだ。ましてトイレの中だ。

僕はその一瞬の声かけに、戸惑い、そしてとても感心させられた。

家業の小さな商店から日本有数の小売チェーンに飛躍させた事業家だ。

セブンイレブン担当部門に行く前に、この朝、伊藤社長から受けた印象から、

小売業の雄として大きく展開し始めた会社の踏み込みの深さを印象づけられたのだ。

 

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