Mey yeux sont pleins de nuits...

読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

フランス・ドルヌ+小林康夫『日本語の森を歩いて』

2007-04-10 00:07:33 | 読書
 人は言語によってのみ世界内に存在し、言語の中に深く住まうがゆえに、かえって自らが発する言表を対象化して捉えることが困難になる。だから日本語を母語とする者にとって日本語はあまりに自明のものとして映る。ところが多言語を母語とするものからすれば、それは尽きせぬ問いを誘発する。  なぜ「行ってきます」という言表には「行く」と「来る」の二つの動詞が含まれるのか。「ちょっと待った」という言表のように、どうしてまだ実現していないことについても「た」がつくのか。フランス語を母語とする著者のひとりフランス・ドルヌは日本語という森の中でこうしたいくつもの不思議を見つけては目印をつけていく。観察の対象は日常的な日本語の会話文であり、それらを品の良いユーモアを交えながら、肩の凝らないレポートとしてまとめている。 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』

2007-04-09 00:10:25 | 映画
 ポルトガルのリスボンからインドのボンベイへと向かう豪華客船の旅。歴史学者のローザ・マリアはボンベイで夫と落ち合い、そのままヴァカンスを過ごすために娘のマリア・ジョアナとともに乗船したのだった。船は途中、マルセイユ、ナポリ、アテネ、イスタンブール、ポートサイドに寄港し、そのたびに書物で学んだことを自分の目で確かめるために歴史学者は娘を連れて地中海周辺に栄えた文明の跡を訪ねる。  大航海時代のエンリケ王子の記念像、ギリシア人が始めて西欧に文明をもたらした場所、ポンペイの廃墟、アクロポリスとデュオニソス劇場、ギザのピラミッド、聖ソフィア大聖堂など、諸文明、諸国家の興亡が母娘の会話のなかで語られていく。  そして船が寄港するたびにさまざまな人々が乗りこんでくる。フランス人の実業家、イタリア人の元モデル、ギリシア人の女優という三人は、なかでもポーランド系アメリカ人の船長の賓客として夜毎、食卓を囲む。  四人の会話はそれぞれの人生をその背景となるそれぞれの国の現代史や文化と重ね合わせながら語るというもので、話題はいつしか現代文明の抱える諸問題とあるべき未来へと進んでいく。四人はそれぞれの母語で優雅に語り合う。 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『家宝』

2007-04-08 01:07:00 | 映画
 二人の女と二人の男が美しい渓谷の田園地帯の中で入り組んだ人間関係を形成する。美しく、その人柄を誰もが称讃するカミーラは家政婦の息子ジョゼと相思相愛の仲だが、ギャンブルに狂う父親のせいで家は傾いており、ただ金のために愛してもいない資産家の息子アントニオと結婚する。カミーラとジョゼとアントニオは幼馴染でもあり、ジョゼのいかがわしいビジネスのパートナーであるヴァネッサはアントニオの結婚前からの愛人で、カミーラとの結婚後も公然と関係が続いている。  この四人にジョゼの母親のセルサとポルトに住む有力者らしきロペール兄弟、そしてカミーラの家族などが絡み、それぞれの人物の組み合わせによって局面が変化しながらストーリーが展開し、最後の最後に意外な結末を迎える。とりわけ「二重人格者」ジャンヌ・ダルクをひそかに信仰するカミーラと聖母マリアに敬虔な祈りを捧げるセルサの関係が、対照的でありながら互いが互いの分身のようで興味深い。セルサはカミーラの援助者の一人であり、カミーラはセルサの秘密をただ一人知る人間となる。そして怜悧な指し手のように確実にチェック・メイトに向けて周到に周囲の人物たちを駒として配していく主人公の一手一手。 . . . Read more

栞 武満徹『音楽の余白から』

2007-04-06 23:37:10 | 読書
 私は常々、邦楽の演奏家と接している中で、日本人は音によって表現(あらわ)そうとするより、音を聴きだそうとすることを重んじているのではないか、と感じることがある。「間(ま)」とか「さわり」のようなことばは、表現における実際的な技術上の意味を示すものでありながら、同時にそれは、形而上的な美的観念でもある。さらに、「一音成仏」というような思惟を生みだしているのは、日本人が、音によって表現(あらわ)すの . . . Read more

池澤夏樹「スティル・ライフ」

2007-04-05 23:38:17 | 読書
 この作品は、人が世界との関係を、世界を驚異とともにみつめる眼差しをとり戻すことを主題とした小説なのだと思う。  佐々井というどこか謎めいた友人の手引きで「ぼく」は、「心が星に直結していて、そういう遠い世界と目前の狩猟的現実が精神の中で併存して」いた太古の人間の持っていた、さまざまな先入見や知的操作が加わる以前の身体感覚によって世界を知覚する術を学んでいく。  佐々井は何気ない山のスライド写真 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『家路』

2007-04-04 00:27:31 | 映画
 事故で妻と娘夫婦を亡くした老舞台俳優ジルベール・ヴァランス。悲しみと喪失感にひたるまもなく、予期せぬ形でもたらされた孫のセルジュとの二人きりの生活をはじめなくてはならない。いつも通りの生活のリズムを確かめながら、ときにいい靴を手に入れ、孫にプレゼントをして心躍らせる時間も確保しようとする。しかし、老いた名優を取りまく環境は時代に流れとともに変わりつつあり、自身もまた自らの老いを自覚する。 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『クレーヴの奥方』

2007-04-03 00:36:21 | 映画
ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』の舞台を現代のパリに移し変え、ヒロインの結婚や母親や夫の死など、プロットの重要な転換点となる出来事をあえて字幕と書簡によって表現するという実験的な手法で描かれる一人の女性の霊と肉の相克。作品が描こうとしているのは、何が彼女に起こったか、ではなく、そのことによって彼女は何を考えたのか、なのであり、観客は、映像によって表現されなかった行為や出来事が主人公にもたらした意味や変化を後に続くシーンにおける行動や会話、あるいは前後のシーンにおける表情や言動の変化を通じて理解し、主人公の心の襞にまでわけいって読み取ることが要求されているように感じる。けれども心理描写を主眼とし、たった一箇所しか風景描写がないことで知られる古典的恋愛小説の映画化としては、ある意味で理に適った手法なのではないかと思う。  . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』

2007-04-01 17:08:10 | 映画
 この『世界の始まりへの旅』は、撮影の合間を利用した、老映画監督マノエルと俳優ジルベール・アフォンソらの旅を描いており、 saudade という感情が旅へと誘う動機となる。そして映画の主題もこの saudade という感情を描くことにあるようだ。マノエルにとっては幼少期の頃の記憶を辿る旅であり、ポルトガルからの移民とフランス人の両親のもとフランスに生まれ育ったジルベールにとっては父祖の地を訪ねる旅となる。つまりジルベールにとってこの旅は自らの始まりを確かめるための旅でもある。旅の目的地が近づくにつれ、ジルベールの胸中は「未知なる土地」への言い知れぬ思いにとらわれる。彼はポルトガル語を解さないが、この感情が彼にとってはあらかじめ失われた故郷への saudade と呼ばれるものであることを知っている。そして車のリア・ウィンドウの方に向けられたカメラがそこを走り抜け、後方へと遠ざかる風景を捉えつづけて、この旅が過ぎ去ったものを確かめるための旅であることを強調しているようだ。 . . . Read more