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栞 ポール・ヴィリリオの『情報エネルギー化社会』より

2011-03-19 00:39:17 | 読書
 反射から熟考へ。

 ポール・ヴィリリオの『情報エネルギー化社会』より、ペトラルカの言葉を引きながらの一節。

 情報遮蔽が必要だという文化的コンセンサスが熟していない現状では、私たちは少なくとも古代ストア学派の教えに従うべきではないだろうか。ストア学派の人々は友人に、すべてを見てはいけない、また過剰な視覚情報に溺れてはいけないと忠告したものだ。「目に見える無数の事物の形やイメージが次々と入り込み、心の底に集まり積み重なる・・・。それらは心に圧しかかり、混乱をもたらす。心はそれを処理できるようには作られていないからだ。きっと心は、形の歪んだ多くの物を容れておくことはできないのだろう。その結果、災禍をもたらす余分な亡霊が生まれ、私たちの思考は散漫になる。そしてその亡霊が持つ悪しき多様性が、明晰な黙想への道に立ちはだかるのだ」。これらの亡霊は餓死することはない。しかし私たちは死んでいく。

 このことと関連して、ヴィリリオは『アクシデント 事故と文明』の中で、「みなが共同で熟考するなかで構築されるものとみなされている」世論に代わって、「映像が言葉に優る世の中では反射的に発生し、それでいて何のお咎めもない」公共的情動が人々の熱狂をかきたてると指摘していた。 

ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会』(土屋進訳、新評論、2002)
ポール・ヴィリリオ『アクシデント 事故と文明』(小林正巳訳、青土社、2006)


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