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読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

フランス・ドルヌ+小林康夫『日本語の森を歩いて』

2007-04-10 00:07:33 | 読書
 人は言語によってのみ世界内に存在し、言語の中に深く住まうがゆえに、かえって自らが発する言表を対象化して捉えることが困難になる。だから日本語を母語とする者にとって日本語はあまりに自明のものとして映る。ところが多言語を母語とするものからすれば、それは尽きせぬ問いを誘発する。  なぜ「行ってきます」という言表には「行く」と「来る」の二つの動詞が含まれるのか。「ちょっと待った」という言表のように、どうしてまだ実現していないことについても「た」がつくのか。フランス語を母語とする著者のひとりフランス・ドルヌは日本語という森の中でこうしたいくつもの不思議を見つけては目印をつけていく。観察の対象は日常的な日本語の会話文であり、それらを品の良いユーモアを交えながら、肩の凝らないレポートとしてまとめている。 . . . Read more