監督の誇大妄想的なイマジネーションが炸裂する未来の地下世界のセット。そして多用される、観る者の神経を逆撫でするような傾いた構図や広角レンズによる歪んだ画面。アストル・ピアソラのバンドネオンによる哀切きわまりない調べはエンディングに流れるルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」のアイロニーとともに忘れがたい。「狂人の戯言」がときに真実を指し示し、やがて主人公は現実と妄想の閾に宙吊りにされる。 . . . Read more
時間の定量的で不可逆的な流れに抗う人々がいる。こうした登場人物たちの意志を反映するかのように、動画から生成した静止画をモンタージュした映像が、文字通りほんの一瞬だけの動画を除けば、ほぼ全編続く。あとは空港の効果音と地下室のかすかな囁き、それに音楽と淡々としたモノローグのようなナレーション。 . . . Read more
最初に簡潔な解説字幕が入るが、あとはゴッホの作品のモンタージュと音楽、そしてナレーションだけで構成された、画家の人間像を描くドキュメンタリー。ただしただ絵画の断片をつないだだけの映画から異様な迫力が生み出される。画面からは、画家ゴッホの、故郷への失望とパリへの希望、プロヴァンスでの歓喜、そしてサン・レミでの孤独と精神の闇がはっきりと伝わってくる。 . . . Read more
アラン・レネによるパリにある国立図書館(今でいうところのビブリオテーク・ナショナルの旧館)に関する22分程のドキュメンタリー。それほどたくさんの映画を見たわけではないけれど、映画の中の図書館としては、『ベルリン・天使の詩』と並んでこの映像は印象深いものだ。 . . . Read more
この映画はロード・ムーヴィーであると同時に、探偵ものとしても見ることができる。主人公の旅は推理小説好きのお節介な隣人によって遠隔操作される旅でもある。ここでの探偵はロッキング・チェアに身をゆだねパイプをくゆらせることはないが、パソコンの前に座り、ネット上の膨大なデータベースから訪ねていくべき女性たちの居場所をつきとめ、「ハッパ」を吸いながら自らの推理と探索のプランを語る。 . . . Read more
「現実/虚構」、「ネタ/ベタ」、「正常(普通)/異常」といった二項対立軸が「映画内映画」というメタフィクショナルな枠組の中で溶解していき、映画自体もまたメタ・レベルとオブジェクト・レベルの閾が溶解していくという「メタ-ネタ-ベタ」の三題噺。初期の柳町映画にも出ていた柳家小三治師匠の蕎麦屋の屋号についても注目。
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書家・石川九楊は「書く」行為と「話す」こととを隔てるのは、表出されるものが音声か書字かの違いにあるのではなく、ペン先が紙と接触し、摩擦し、そこから離脱する際の「触」と紙に残された痕跡としての「蝕」の有無にあるという。 . . . Read more
言語を媒介とした他者との関係は、それが言語を媒介とするがゆえに避けられない抽象化によって常に何らかの欠落を伴う。タイトルのLost in translation(翻訳することで失われるもの)"とは、そういう意味なのだろうと感じた。
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家は、そこに人が住まうことで家である(人が住まぬ家はやがて廃墟となる)、ということは、しかしそれが余りにも自明のことであったせいか、しばしば見落とされてきた。そこで多木浩二は本書の表題を『生きられた家』という日常的な語感からすれば、ともすれば違和を覚える語句とすることで、このことを読者にあらためて印象付ける。 . . . Read more