永遠の語らい UM FILME FALADO
(ポルトガル/フランス/イタリア・2003・95min)
監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
製作:パウロ・ブランコ
撮影:エマニュエル・マシュエル
出演:レオノール・シルヴェイラ、フィリッパ・ド・アルメイダ、
ジョン・マルコヴィッチ、カトリーヌ・ドヌーヴ、
ステファニア・サンドレッリ、イレーネ・パパス、
ルイーシュ・ミゲル・シントラ
ポルトガルのリスボンからインドのボンベイへと向かう豪華客船の旅。歴史学者のローザ・マリアはボンベイで夫と落ち合い、そのままヴァカンスを過ごすために娘のマリア・ジョアナとともに乗船したのだった。船は途中、マルセイユ、ナポリ、アテネ、イスタンブール、ポートサイドに寄港し、そのたびに書物で学んだことを自分の目で確かめるために歴史学者は娘を連れて地中海周辺に栄えた文明の跡を訪ねる。
大航海時代のエンリケ王子の記念像、ギリシア人が始めて西欧に文明をもたらした場所、ポンペイの廃墟、アクロポリスとデュオニソス劇場、ギザのピラミッド、聖ソフィア大聖堂など、諸文明、諸国家の興亡が母娘の会話のなかで語られていく。
そして船が寄港するたびにさまざまな人々が乗りこんでくる。フランス人の実業家、イタリア人の元モデル、ギリシア人の女優という三人は、なかでもポーランド系アメリカ人の船長の賓客として夜毎、食卓を囲む。
四人の会話はそれぞれの人生をその背景となるそれぞれの国の現代史や文化と重ね合わせながら語るというもので、話題はいつしか現代文明の抱える諸問題とあるべき未来へと進んでいく。四人はそれぞれの母語で優雅に語り合う。この場面では長回しと最小限のカットの切り返しで撮影されており、とりわけギリシア人女優役のイレーネ・パパスが圧倒的な存在感を見せる。
バベルの塔をつくった人間の傲慢を戒めるために神は人々をさまざまな土地に分散させ、言語を土地ごとに異なるものにしたことで人々が意志の疎通を図りがたくなったことなど関係ないのだと言わんばかりに、言語の多様性を保持したまま対話が進んでいく。このユートピア的な情景に船長は混迷する現代の一縷の希望を見出そうとする。翌日には船長らのテーブルにポルトガル人母娘も加わり、名歌手でもあるギリシア人女優の歌うギリシアの民衆歌とともに食堂内は幸福感に包まれていく。
ところが、物語はこれで終わりとはならない。最後の寄港地であるアデンで乗船したテロリストが船内に時限爆弾を仕掛けていたのだった。船長は乗客たちに救命ボートへの待避を促す。しかしこの親切なアメリカ人の友好のしるしとしての贈り物が仇となる。爆発による轟音と閃光。その光に照らし出された船長の呆然とした表情のクローズ・アップがストップ・モーションとなり、なおも轟音と船が軋む音が続く中、ギリシア人女優ヘレナの歌が重なり映画は終わる。
異文明同士が対話し、より普遍的な文明を築き、第二のバベルの塔を建造するという船長の夢想もあっけなく粉砕する。それは神によるものではなく、あくまでも人間の所業であり、人間が偉大な文明を築き上げる一方で、破壊と殺戮を繰り返してきた事実についても彼らは語り合っていた。食卓の四ヶ国語が飛び交う会話は、ポルトガル人母娘が見つめ観想した文明の盛衰、自ら作り上げてきたものを自ら破壊しつづけてきた人類の歴史、その破壊の跡をやがて廃墟として化していく自然の大いなる力に触れる旅と響きあい、この船の中に現代文明の、そして人類の運命の縮図を見ることになる。
ポルトガル人母娘が乗船したのは2001年7月。最後の寄港地となったアデンではポルトガル人母娘は歴史散策をせず、市場で買い物をしただけだった。時空を超えた優雅な文明の旅にこのとき現代のまさに現実的な問題が持ち込まれたのだった。そういえば2000年10月、アメリカの軍用艦に対する自爆テロが起こったのもアデンだった。
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