Mey yeux sont pleins de nuits...

読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

多木浩二の死と震災復興と

2011-06-11 23:39:04 | その他
 多木浩二の文章との出会いは、『現代思想』に連載されていた『眼の隠喩』だった。人間を、あるいは都市(文化)を視覚的表現として縦横に論じていくその議論は大いに刺激的であったし、それまで耽読していた澁澤・種村的な世界から、よりアカデミックな知の世界へと関心がシフトしていく契機になったと今にして思う。一度でいいから、その講義を聴いてみたいと思っていた人の一人だったけれど、それももう叶わない。氏は4月中旬に亡くなった。 . . . Read more

ノスタルジックな向学心?

2011-05-29 23:40:24 | その他
 一昨年あたりから懐かしい国語の参考書がいくつか文庫で復刊されている。高田瑞穂の『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫)、小西甚一の『古文の読解』(ちくま学芸文庫)、そして二畳庵主人(加地伸行)の『漢文法基礎』 (講談社学術文庫)の三冊で現代文、古文、漢文の三分野が出揃った。古典については、同じ著者の『古文研究法』を使っていたが、『古文の解釈』を使っていた者も多かったと記憶する。それらを、懐かしさもあって、つい買ってしまった。  こうしたブームについて、石原千秋氏は朝日新聞にインタビューに答えて、「迷ったり、岐路に立たされたりしている」中間管理職世代が「『ノスタルジックな向学心』を抱いているからだ」とし、「原点に戻って自分の実力を再確認したい、という癒やし効果もあるのでしょう。もし、それが幻想だとしても」と分析しているのを読んだことがあるが、今のところ人生に迷いを感じていない自分に当てはまらない。単なるノスタルジーなのだろう。ただ、こうしたものを読むと、つい力試しをしたくなるのが人情というもの。新聞に掲載されていた今年度のセンター試験や有名大学の入試問題に挑戦してしまった。  そして、今度はちくま学芸文庫から『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』が刊行された。そのタイトルが示す通り、魯迅の「藤野先生」、柳田国男の「清光館哀史」、清岡卓行の「失われた両腕」、坂口安吾の「ラムネ氏のこと」など高校時代に現代国語の授業で読んだ懐かしい文章がいくつも載せられている。そして、この文庫のセールス・ポイントは、当時の教師用の指導書が載せられている点にあり、併せて読んでいくと、かつて教室で過ごした時間がまざまざと思い出される。 . . . Read more

Mama don't take my Kodachrome away

2011-01-01 11:38:31 | その他
 自然な発色で多くのカメラマンに愛されたコダクローム。Kodak社がコダクロームの製造を中止を発表したのは2009年6月。日本ではその前年の9月に販売が終了していたが、現像処理は2007年に終了していた。  日本とスイスの現像処理施設が閉鎖され、今やコダクロームを扱う最後の現像処理施設として知られていたDwayne社も当初のアナウンス通り昨年末にコダクロームの現像を停止した。 . . . Read more