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読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

栞 武満徹『音楽の余白から』

2007-04-06 23:37:10 | 読書
 私は常々、邦楽の演奏家と接している中で、日本人は音によって表現(あらわ)そうとするより、音を聴きだそうとすることを重んじているのではないか、と感じることがある。「間(ま)」とか「さわり」のようなことばは、表現における実際的な技術上の意味を示すものでありながら、同時にそれは、形而上的な美的観念でもある。さらに、「一音成仏」というような思惟を生みだしているのは、日本人が、音によって表現(あらわ)すのではなく、音本然の貌(すがた)を聴くことに重きを置いたからではないか、と思う。日本人は、自然の騒音や雑音を単なる表現上の素材として外在するものとしては観ずに、世界の全相をそこに映すものとして把えたのだ。そうした美意識が、能のような高度な芸術をつくりあげた。


 自然の発するノイズを対象として捉えるのではなく、主客未分化の状態で自然の中に身を置くこと。絶えず変転する外界と関わりあう生を積極的に肯定すること。ここでいう「世界の全相」とは人間と自然との関係性の総体と言い換えられるだろうか。

武満徹『音楽の余白から』(新潮社・1980.4)



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