前奏曲が奏でられる間、雨が降り続くなか足元のおぼつかぬ白いドレスの女が現れる。そして前奏曲が終わるともに女は路上に倒れ伏す。ムスバッハの演出は『椿姫』を路上に行き倒れたヴィオレッタ・ヴァレリーの回想として描き出す。したがって彼女はほぼ全編にわたって舞台上にいることになる。また舞台手前の紗幕には雨粒やワイパーが映し出される。観客はこの行き倒れた女を車の中から見ているという設定ということになるだろう。
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ミケランジェロ・アントニオーニは、パゾリーニと違って、もともと好きな監督だったが、「欲望」以外のDVDは持っていなかった。偶々、出先で、これまで見たことがなかった「砂丘」と高校生の頃に一度見たきりの「さすらいの二人」が並んでいたので、まとめて購入した。
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ドラマティックな二重唱や三重唱、勇壮な合唱に加え、主要な五人の配役にも聴きごたえのあるアリアが用意された『トロヴァトーレ』は、したがってそれが見事な上演となるにはそれぞれの配役にふさわしい声のキャラクターをもった五人の歌手を揃える必要がある。そして、1978年、ウィーン国立歌劇場ではそのような配役による『トロヴァトーレ』が実現した。
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「海」、「風薫るウィーンの旅六日間」、「バタフライ和文タイプ事務所」、「銀色のかぎ針」、「缶入りドロップ」、「ひよこトラック」、「ガイド」という七つの短編が収録されている。いずれもひそやかな人生の断片を、静謐さを感じさせる文体で切り取ってみせたもので、それぞれに微妙な味付けが施されているものばかりだった。
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小川洋子の作品の舞台は多くの場合、具体的な地名として示されていないことが多い。どこにもなさそうで、しかし意外と身近にありそうな場所。あるいはどこかにありそうで、やはりどこにも存在しないのではないかと思わされる場所。だからこそ作者の奔放な想像力の中で遊ばせてもらうことができる。けれども、この『ミーナの行進』の場合、舞台は芦屋とその周辺で、イニシャルでぼかされていても、具体的な場所につい思い当ってしまう(たとえば、このAという洋菓子屋は、本来Hのことで、クレープ・シュゼットというのはあれのことかな、といった次第)。モデルについても心当たりがないではない。そのため、先にコメントを書いた二作に比して、想像の愉しみという点で、少しばかり窮屈に感じた。
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自然な発色で多くのカメラマンに愛されたコダクローム。Kodak社がコダクロームの製造を中止を発表したのは2009年6月。日本ではその前年の9月に販売が終了していたが、現像処理は2007年に終了していた。
日本とスイスの現像処理施設が閉鎖され、今やコダクロームを扱う最後の現像処理施設として知られていたDwayne社も当初のアナウンス通り昨年末にコダクロームの現像を停止した。
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